サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

日本代表候補合宿

2011年07月28日 | サッカー

8月10日の札幌での代表戦を前にして、8月1日~3日に日本代表候合宿が行なわれるが、
メンバーが発表された。
(なでしこではなく、男、A代表です)

全て国内組なので、新選出の選手が多いが、個人的に注目しているのは、サンフレッチェ広島の青山敏弘。北京五輪予選から気になる存在だった。
ポスト遠藤の一角に名乗りをあげることができるか。

 


サッカー小嬢&なでしこジャパン

2011年07月26日 | サッカー

今日朝(といっても遅いですが)起きて、永里選手のブログを見たら、公園にトレーニングに行ったら女の子がいて、いっしょにボールを蹴ったそうで。その子のことを永里選手がサッカー小僧ならぬ、サッカー小嬢と書いてました。
なるほど、なるほど。

永里選手のブログのことは、ワールドカップ前のシンポジウムで江橋よしのり氏が「どんどん哲学的になっていく」というようなことをおっしゃっていたので、それ以来興味を持って読んでました。川澄選手のブログは1年前から読んでましたが。
まあそれはともかく、永里選手のブログを読んだらボールを蹴りたくなって、俺も近くの公園まで行って来ました。単純というか、アホというか、お勤め人ではないからできることですけどね。最近太り気味だし、雲りでやや涼しげだったということもあり。

いました、いました。サッカー小嬢が。うちの近くのちっぽけな公園にも。
二人でボール蹴ってました。本格的にやってるのではなく、遊びで蹴ってる感じ。
でもボールはいいボール、新しそうでもありました。安くはないはず。
なでしこジャパンの活躍に刺激されて、おねだりして買ってもらったのか、
それとも親父か母親が将来のなでしこジャパンを育てようと買い与えたのか?

てなことを考えていたら、
片方のサッカー小嬢のお母さんも参加し、3人でパス回しを始めました。
お母さんの靴は、ボールを蹴る前提の靴ではまったくないので、予定外の行動だったのかなあ。

そんな感じで、全国のサッカー小嬢がボールを蹴り始めたようで。


なでしこフィーバー

2011年07月26日 | サッカー

この1週間のなでしこフィーバーは凄まじい。
昨日のINAC神戸レオネッサ vs ジェフ千葉レディースの観客数はなんと17812人!!

2002年か2003年頃のベレーザの試合で少ない時は20人もいなかったたんじゃないだろうか。正確にはわからないが、印象としては。それを思うと、うそみたいだ。

女子サッカーの映画を作りたいという思いで、参考に観始めた女子サッカーだったけど、
元野球部の草サッカープレイヤーとしては、とてもプレーの参考になるので、
尚更はまっていきました。


なでしこのTVの露出度も凄いが、間違い・無理解がとんでもなく多いのにもびっくり。
とりあげてくれるだけでありがたいという側面もあるけれど、もう少しなんとかならんのかとも言いたくなったしまう今日この頃。
昔の貴重な映像を流してくれたりは、ありがたいけど。

 

 


原田芳雄さんのお通夜&追悼文訂正

2011年07月22日 | 映画

昨晩、原田芳雄さんのお通夜に行って来た。
棺の上にはバーボン(IWハーパー)と脇差が置かれていた。ハーパーはもちろん芳雄さんが愛飲していた酒。脇差は何かの映画で使ったものなのだろうか?
脇にはギター、あじのある芳雄さんのブルースの歌声を思い出す。その脇には赤いタオル、「どついたるねん」関連?

その後、「鬼火」の望月監督と後輩の助監督と少々飲んだのだが、記憶違いがあり、追悼文に誤りがあることが判明した。言われて見て、はっきりと思い出しました。
いいかなとも思ったのですが、やっぱり訂正しておきます。

二人を殺すシーンと女子マラソンは別日でした。2度、間違うわけにはいかないので、映画のスケジュール表とアトランタ五輪の女子マラソンの実施日を確認しました。

二人を殺すシーンの撮影は、朝方までかかることが予想されていましたが、芳雄さんの「国広(芳雄さんが演じる役名)は、殺す時はすぐ殺すから。追っかけたりしないよ」との発言から、結果として大幅に撮影時間も短縮され、映像も引き締まったものになりました。
これは間違っていないのですが、マラソンとは関係のない話でした。
「芳雄さんが今日の撮影は早く終わる」と言ってますとセカンド助監督が言ってきて、あわてて飛んでいって~監督とプロデューサーも含めて相談といった流れは前述した通りです。


女子マラソンの日は、ナイトロケが予定されていました。登場人物は芳雄さんだけの歩きのシーン。高架下の雰囲気のある場所での撮影。ホームレスとして路上に座り込んでいるエキストラで俺も出演しています。
予定としては、マラソンの最後の方は見れるだろうけど、スタートから見るのは無理かなという予定でした。

芳雄さんに限らずスタッフも注目の女子マラソンは見たい。それで朝からスタッフが「今日、女子マラソン見れるかな?」「原田さんも見たいと言ってたよ」とチーフ助監督の俺にプレッシャーをかけてきます。
監督にも「原田さんがマラソン見たいと言ってるようです」というスタッフの言葉が耳に入り、監督・カメラマン・俺で相談して、明るいうちから撮影できるカットを選び撮影。
昼でもかなり暗い場所だったので可能でした。暗くなるのを待ってその他のカットを撮影。
ホテルに戻り、マラソンのスタートからTV観戦、有森裕子の銅メダルが見れて皆幸せになったというわけです。
正確に記憶していたなら、こちらのエピソードは書かなかったと思いますが、まあそれも成り行きで。

芳雄さんからは
「やればできるじゃないか」と、お褒めの言葉をいただきました。


合掌


追悼・原田芳雄さん

2011年07月19日 | 映画

原田芳雄さんが亡くなった。

昨日、その事実を知った時は、言葉を失ってしまった。

原田芳雄さんとは、助監督の時に3度ほど仕事したことがある。
ご自宅にも、作品の打ち合わせと、餅つき&大宴会にもお邪魔したことがある。

 仕事をしたなかで、印象に残っている作品は、「鬼火」(監督・望月六郎)。
芳雄さんは、出所したばかりのヒットマン国広の役(主役です)。全編大阪ロケの作品だった。
ちょうどアトランタオリンピック開催中だった。

俺はその時、チーフ助監督でスケジュールをたてていたのだが、夜明け前出発を繰り返す俺に、芳雄さんが「中村、俺はにわとりじゃないんだ」と言われたことをよく覚えている。
「映画はどう“遊ぶ”かだ」というふうなことを常々語っていた芳雄さんにとっては、撮影期間の短い現場は大変だったと思う。俺は「いや、まあ、へへ」と頭をかきながら情けない対応をしていたが、芳雄さんは、そうは言いながらも、きっちりとスケジュールに対応してくれた

撮影もなかばを過ぎた頃(たぶん)、その日は、国広(芳雄さん)が二人を殺すシーンの撮影予定。ナイトロケでかなり遅くまでの撮影になる予定だった。
朝の準備の時に、セカンド助監督があわてた様子で走ってきた。「原田さんが『今日の撮影は早く終わるから、ホテルに戻ってマラソン(五輪の)が見れる』と言ってるんですけど」。
「何を考えてるんだ!芳雄さん、今日マラソンなんか見れるわけないだろう」と思いながら、あわてて芳雄さんのところにすっ飛んでいった。
芳雄さんが言うには「国広(芳雄さんが演じる役名)は、殺す時はすぐ殺すから。追っかけたりしないよ」
なるほど、その通りだ。
脚本では、ビルの表で1人を殺した後、逃げるもう1人を追いかけ路地裏で殺すことになっていた。ロケハンした結果、料亭の表で1人を殺し、逃げるもう1人を追いかけ、すぐ近くの公園で殺すことになってた。
芳雄さんとしては、ヒットマンである国広は何のためらいもなく料亭の前で二人とも殺すよ、みすみすその場から逃がすようなことにはならないよ、ということだったわけだ。
「その通りだ!」と思い、監督・プロデューサーも呼んで話し合った結果、全員が納得し、芳雄さんが言った形になった。
撮影した映像は、明らかに予定していたより、いいシーンになった。
おかげで、スタッフもマラソンが見れたはずだ。

 亡くなった翌日に、殺す殺すと、物騒な文面になってしまったが、芳雄さんを語り、作品を語ることがせめてもの供養かと思い、書き記しました。

それにしても、芳雄さんは体がすごく柔軟だったのを思い出す。地方ロケのホテルやご自宅で飲んだりする時、ストレッチをしながら飲まれていたが、当時の俺なんかよりはるかに柔軟だった。そんな姿を見て「若いなあ、このオッサンは」と思ったものだ。

原田芳雄さんのご冥福をお祈りします。