サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

“乗車拒否”?された伊是名さん

2021年04月10日 | 障害一般

伊是名夏子さんのブログ記事 JRで車いすは乗車拒否されました : コラムニスト伊是名夏子ブログ (livedoor.jp)が炎上した件だが、電動車椅子ユーザーの知人も多数いて介助経験もあり介護福祉士の資格も最近得た私としては、とても気になってはいたものの、車椅子ユーザーのなかでも賛否が別れており「意見が言いにくい」ということもあって、伊是名さんのブログを引用リツーイトするだけにとどまっていた。

(Twitterの文面は以下)
行動の是非でなく問題提起としては、エレベーターのない無人あるいは少人数職員の駅における電動車椅子の乗降について、当面、差別解消法の合理的配慮をどうするか?事前連絡をもらえば対応出来るのか、それでも出来ないのか? 鉄道会社で事前協議し社内共有、外部告知しておく必要があるということか。エレベーターの設置とあわせ、周囲の人々が自然に手伝う社会の実現も一つの解決法だが、電動車椅子は男4人で抱えても大変で危険。中学高校で体験学習が必要か。 来宮駅の平面図は階段の先が点線で上り下りホームとも地下階段を使用しなくてはならないことが読み取れる。そういった知識の共有も必要か。


その後、さらに炎上しているようで、人格攻撃・誹謗中傷は論外としても、「伊是名さんや駅員さんの行動の是非ではなく車椅子ユーザ―も当たり前に移動できるよう障壁が取り除かれるべきであり、そういった観点から議論されるべきである。木を見て森を見ずではだめだ」的な大上段的な論にも違和感を感じ、「(トーンポリシングという考え方はあるものの)やはり行動に対する疑問もあるし、木も見て森も見なくてはならないんじゃないの」と思ったりもした。しかし私のTwitterの書き込みも「まさにその通りじゃん」ということで、この一件を自分なりに整理してみたいと思う。


炎上を知り、最初に伊是名さんのブログ記事をざっと読んだ感想は、コラムニストという肩書の割には、例えば「無人駅」という表現が一言もないなど「言葉が足りなさ過ぎるのでは?」というもの。一読しただけではよくわからなかったので、その後、熟読したがいろいろと疑問点や、どう理解してよいかわからない点も多かった。
順を追って、みてみたい。

まず伊是名さんが、ネットで来宮駅の構内図を調べた箇所。
ブログに添付されていた図面から、エレベーターはなく、改札口へ行くには上り下りのホームともに地下階段を通る必要があることが読み取れるが、伊是名さんはわからなかったようだ。

この時点で伊是名さんは、「下りなら階段なしなのかな」と思い、行ってから考えようとなった。この「事前の調べが足りない。事前連絡で確認していない」という点に疑問を感じた人も多かったようだ。

その後いろいろと調べてみたのだが、国土交通省で11月から「駅の無人化に伴う安全・円滑な駅利用に関する障害当事者団体・鉄道事業者・国土交通省の意見交換会」というものが3度開催されており、4月以降に中間とりまとめが示され、夏頃に最終報告が予定されている。今回のような事例が既に問題化されていたわけだ。

https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr2_000017.html
(上記URLで、議事録や資料を読むことができる。聴覚障害者、視覚障害者への対応も話し合われており興味深い)

この議論のなかで「事前連絡に関する認識の共有」というものが一つのテーマになっており、「各社、事前連絡がなくても対応」することになっている。「ただし、要員手配やバリアフリー設備の状況により、お待たせしたり、乗車列車や乗降駅の変更をお願いする場 合がある」という但し書きはある。

また九州大分県では、脳性まひの車椅子ユーザ―が「電車に乗って好きな所で乗り降りしたい」という願いから「乗車する際の介助に予約が必要なのは差別だ」と、JR九州を訴えている。
無人駅とバリアフリーの関係性「好きに乗り降りしたい」:朝日新聞デジタル (asahi.com)


こういった流れをご存知かどうかわわからないが、ご自分の体験から「いつもJRを利用する時と同様に、連絡をせずにむかいました」(補足で書かれた伊是名さんのブログ記事より  JRの合理的配慮への改善を求める補足 : コラムニスト伊是名夏子ブログ (livedoor.jp))ということのようだ。また同記事で「調べるのも、連絡するのも、手間も時間もかかることだからです。その手間と時間が障害者にだけ強制されるは、差別があるということと同じはないでしょうか」とあるように、一見してわかりやすい説明の部分までは調べるが、それ以上のことを強いられるのは差別だという思い、問題提起もあったということだろうか。また一般論として電話で問い合わせると断られるが、直接行けばOKになることはままあることから、そういう知恵もあったのかもしれない。
尚、前述の「意見交換会」でも、「障害当事者の方々への適切な案内・情報提供の実施」というテーマがあり、HP等をわかりやすくするという点は各社の努力目標となっている。


そして小田原駅に向かい、来宮駅まで行きたい旨伝えたが、その時点で駅員Aさんは来宮駅が無人駅かつバリアフリー非対応ということを認識していなかったようだ。電動車椅子ユーザ―がそういう駅に行くというイメージが無かったのか、単にうっかりしていたのかもしれない。駅員Aさんはその後、熱海駅に連絡したのか連絡する前に無人駅であることに気がついたのかはわからないが、JR側は「無人駅で対応不可能。熱海まででよいか」と伊是名さんに伝えることになる。「無人駅」という言葉がブログ記事に出てこないのでどの時点で伝えたのかわからないが、常識的に考えれば最初の時点で無人駅であることを伝えたのではないか。

前述の意見交換会では「各社とも駅が無人であることのみをもって駅の利用を制限する取り扱いは行っていない」。但し、「無人駅を有する複数の事業者において、改札からホームまでの行き来が跨線橋のみでエレベーターやスロープの 設置がない場合など、構造上車椅子のご利用が出来ない場合は、バリアフリー設備の整った隣接駅のご案内や迂回乗車のご案内を行う場合がある。」ともある。
またJR東日本は、乗車列車、乗降駅の変更について、「手前の駅で降りていただくなど、地方の駅での実例はあるが、いずれにしてもケースバイケースで可能な限り対応させていただいているところ」と回答している。

つまり小田原駅の対応は隣接駅のご案内であったわけだが、迂回乗車の案内はなかった。この時点、あるいはその後、関係各所(熱海駅、小田原駅長やバリアフリー専門の対応部署?)に問い合わせ、駅員Bさん、Cさんが登場するが、その過程で、タクシー、バス、徒歩(電動車椅子自走)の迂回乗車にあたる3択を連絡先等の情報も含めて示すことが出来れば、ケースバイケースの可能な対応、合理的配慮になったということかと思う。熱海駅から、伊是名さんが行きたかった来宮神社まで(どのくらいの割合かはわからないが)ノンステップバスが運行している。

どうなのだろうか?それでも伊是名さんは納得しなかったのだろうか。

しかし提示できたのはタクシーだけだった。それでは納得できない伊是名さんは、「駅は公共交通機関です。駅員さんを3,4人、集めてくれませんか?」と要求した。伊是名さんからタクシー会社に一応連絡したらどうなのだろうとも思うが、予約は絶対無理だと思ったのか、あえて選択肢から外したのかどうかはわからない。「タクシー会社の電話番号をもらいましたが、対応できるかは、わかりませんとのこと」とあるので、伊是名さんは、連絡は駅側がすることと思ったのか? 駅側とすれば、お客様がやることと考えたのかもしれない。今後、そういった場合、どちらが連絡すべきだという議論が必要なのかもしれない。また料金は現状では利用者負担ということかと思うが、いろいろと考える余地はあるのでないか。

ちなみに意見交換会の事例で「徒歩もしくはタクシーを使ってほしい」と伝えることはあるようで、例えば「鉄道事業者が指定した駅で降車し、タクシーで1万円近くかけて自宅まで帰宅した。」ということもあったようだ。あるいは「親族の生死にかかわる事態が発生し、電車を急に利用したい場合も断られた」「無人駅なので 1 ヶ月前までに事前連絡をもらわないと対 応できない」という事例もあり、そんなことを知ってか知らずか、伊是名さんには何とか風穴を開けなくてはならないという強い思いがあったのかもしれない。

また「無人駅は手伝いに行く駅員も高齢な人もいるため、手伝うことが難しい場合もあるがケースバイケースではっきりしたことは言えない」という場合もあったようで、手伝える体力を有する人員が必要である。

何故、伊是名さんは4人ではなく「3、4人集めてくれませんか?」と言ったのかと思ったが、3人の場合は女性のお友達も手伝うということだったのだろうか。それはともかく1時間ほどのやり取りの後、伊是名さん一行は熱海駅へ向かう。熱海駅で再交渉するつもりだったのか、タクシーか徒歩(自走)で行くつもりだったのかは書いてないのでわからない。別の記事のインタビューで伊是名さんが電車に乗ったことを「強行突破」と表現しているが、JR側は小田原→熱海はサポートするわけで、言葉の意味はよくわからない。

乗車後、小田原駅から熱海駅に連絡し、JR側の誰かが「一連のやりとりを携帯で撮影されているし、これは対応しないとヤバい!」と思ったのだろう。熱海駅では駅長も含めた4名が待ち構えていた。駅長も数に入れないと人数を確保できなかったようだ。

そして来宮駅でその4人が電動車椅子を運んだ。私自身も同様に電動車椅子を運んだ経験があるが、かなり大変だ。階段上部の人は腰を痛めそうになるし、下部の人には相当な荷重がかかる。本当ならば6名で運んだほうが良い。

伊是名さんのブログ記事に対する感想を読むと、大変な思いをして運んでくれた駅員さんたちへの感謝の気持ちが感じられない等と批判されているようだ。もちろん人と人との関係がうまく進むためには感謝の気持ちを持って接するほうが絶対に良いのだが、この点はなかなかに難しい問題だ。
伊是名さんのことを言っているわけではなく一般論として、たとえどんなにひどい性格の障がい者でも合理的配慮はなされなくてはならないし、どんなにとんでもない奴でもその人の権利は守られなければならない。障害者差別解消法における合理的配慮は、障害者にとっての権利である。
もちろん笑顔で協力しあったほうが良いに決まっているし、そうあるべきかもしれないが、「そうでなければならない」とはならない。

少し脱線するが、パラリンピックで大活躍し勇気と感動を与えてくれた障害者にも、特に何もしないで悪態ばかりついている障害者にも、合理的配慮はなされなくてはならない。“良い障害者”と“悪い障害者”に、健常者が選別し分断することはアウトだろう。ロンドンパラリンピック後、パラリンピックは障害への理解に全くつながらなかったという意見がとても多かったという。そうならないためにも。

伊是名さんのブログに戻ると、「車いすユーザーが利用者として想定されていない」と何度か書かれているが「バリアフリー対応でない駅に向かう車いすユーザーが、利用者として想定されていない」ということではないか。かなり誤解を招く表現のように感じた。

最終的には、無人駅の来宮駅の乗降で往復ともに対応したわけなので、タイトルの“乗車拒否”や「正直、ここまでの乗車拒否は初めてでした」という言葉の意味を当初は掴みかね、違和感も持ったが、1時間要求しても「はい」と言ってくれなかったのは初めてだったということだろう。JR側としては「それを乗車拒否と言われましても」とはなると思うが。

以前も「階段しかない駅では、時間はかかっても、駅員を集めてくれ、持ってくれる」ようだが、無人駅に4人の職員が出向いたのだろうか? それとも無人駅は初めてのことだったのだろうか。そのことは最初のブログ記事にも補足として書かれた記事にも書かれていないのでわからない。
また補足の記事には「熱海駅の駅員さんは丁寧、親切でしたが『今回は特別ご案内します』と言われたのを改善していきたいと思いました」とあるが、その時点では特例と言うしかないでだろう。駅側としては、通常業務を4名が離れ、隣の駅までいくということはできるだけ避けたいだろう。ただ今後、伊是名さんと同じルートを希望される方がいた場合は、バス、タクシーを即座に案内、それではどうしてもダメですという人の場合のみ、階段で運ぶということになるのだろうか。


前述の意見交換会では、鉄道サービス政策室から以下の提言がなされている。「規則では無人駅であることのみをもって利用を制限する取扱は行っていないという回答を事業者からいただいているが、実際に現場ではそうではないと指摘されているところ。こちらについても、改めて事業者の皆様には、無人駅だからというだけで適切な取扱をしない、前日までの連絡を求めるといったことはしないように教育・周知の徹底をぜひお願い申し上げる」


この先、来宮駅のみならず、無人駅を始めとする非バリアフリー駅をどうするのかというのは日本社会の課題だ。そしてこれは障害者のみならず、高齢者の問題でもある。

すべての駅、特に乗降客の少ない駅のエレベーター設置は実現がむずかしい。ちなみに来宮駅は(Twitterの書き込みによると)エレベーター設置の計画もあるようだ。観光地ということで計画が進みやすいのかもしれない。詳細はわからない。

「オリンピックに無駄な金を使うんならそっちに回せばいいのでは」という意見も散見され、そのこと自体はその通りだと思うが、全駅のエレベーター化は時間的な問題もありなかなかに難しそうだ。じゃあどうするか?
例えばホームの端をスロープにして、線路を渡って改札に通じるという改造も考えられる。実際、そういう構造になっている駅もあり、電動車椅子が改札に向かうのに同行したことがある。

ハード面でなくいかに人員を確保するかということで言えば、熱海ではなんとか4名が確保できたが、地方になると無人駅の隣駅も駅員の数が少なく、4名を確保するのはなかなかに難しそうだ。例えばどこかの私鉄は、専門要員をエリア内の各駅に配置しておき、一堂に集まるという試みをやっているそうだ。これはなかなかに興味深い取り組みである。あるいは管理を自治体にお任せしているところもあるようだ。ボランティアの活用も考えられる。

迂回乗車という観点からは、介護タクシーを保有する会社とのスムーズな連携やノンステップ路線バスとの連携。あるいは福祉車両の有効活用。例えば、高齢者施設の福祉車両をうまく活用するなど。お金の流れをどうするか等、考えなくてはならないこともあるが、可能性はあるのではないか。鉄道会社外との連携ということになるが。地域の実情にそって、業種を超えた連携が必要なのかもしれない。
その他もいろいろ考えられるのではないだろうか。


以前とある地方駅(一応その市内ではメイン駅)に行った時に、バリアフリー構造でないことが気になった。ちなみにアホみたいに重い荷物を持っていたので階段上がって改札に辿りつくまでに疲れ果てた。バリアフリー化はそんな人間にも役に立つ。そこで駅員さんに「もし電動車椅子がこの駅に来たらどう対応するのですか?」と聞いてみた。「隣の市の駅で乗降してもらうしかないです」との返答だった。「この市には電動車椅子では来れないということですね」と問うと、「はい。そうです」と、とても申し訳なさげな表情で答えてくれた。

仮にその駅や日本のどこかの非バリアフリー駅がエレベータ化されることになったとしても完成までの期間をどうするかといいう課題は残る。


「今を生きている」障害者のなかには、それまで、とても待てない。生きているかもわからない、という人もるいるかもしれない。

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」での撮影中、電動車椅子に初めて乗った時、「自分の意志で行きたいところに行ける自由を得た」という意味合いのことを皆が語った。

ある者は手動の車椅子と悪戦苦闘する日々からの脱出。
生まれて一度も歩いたこともないある者は、自走出来る喜びに満ち溢れた。
楽し気に疾走するある者を、誰も止められなかった。

走り続ける自由を、どこまでも


相模原障害者殺傷(やまゆり園)事件関連本

2020年07月25日 | 障害一般

やまゆり園で19人の障がい者を殺害、職員を含む26人に怪我を負わせた植松聖は今年3月に死刑が確定。
事件から明日26日で4年となるこの時期に関連本が立て続けに発売、ほぼ全て読みました。
同様の事件が起きぬように、事件を風化させぬように、本を読み事件を振りかえるのも有意義だと思い、簡単に紹介しておきます。5冊です。

『パンドラの箱は閉じられたのか』創出版
植松ともっとも数多く接見を続けてきた月刊『創』編集長篠田さん編著ということもあり、事件に関心を持つ全ての人のファーストチョイス。
公判以外の独自取材、やまゆり園検証委員会に関する記事もある。
『開けられたパンドラの箱』未読のかたはそちらも併せて。

『相模原障害者殺傷事件』朝日文庫
朝日新聞取材班による文庫本。
公判も順に振り返り、巻末資料として被告人質問の一問一答も掲載してあるなど、資料的価値が高い。どういう事件だったのか、どういう裁判だったのか、概観するにはとても便利。文庫の大きさも重宝。

『やまゆり園事件』幻冬舎
地元神奈川新聞取材班によるもの。
匿名だった被害者が、障害名や人柄など出来るだけ可視化されており貴重。事件のリアルな描写も対になっている。
また事件とは直接の関係はなくとも、共に生きる場である(べき)、施設、学校、家族等々をとことん取材。福祉に関心がある方にお薦め。

『相模原事件裁判傍聴記』太田出版
雨宮処凛さん独自目線の傍聴記。植松の反応、声や表情に言及されているのは貴重。他の本から漏れていた植松の言葉もあったりする。また公判前の彼女なりの植松像がゆらぎ、語られていくのは、植松とは何者か?を考えるのに参考になる。
渡辺一史さんとの対談もとても興味深い。

『私たちは津久井やまゆり園事件の「何」を裁くべきか』社会評論社
公判中の3月に発売されたものだが、「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」主催の講演やシンポジウムの採録を中心としたもので、様々な立場の方の生の声が読めるという意味ではとても貴重。

朝日新聞と神奈川新聞による本は、新聞社故の限界か、植松が犯行に至った経緯の考察や、やまゆり園自体への言及があまり無く、そこは物足りないところではあった。


ALS女性嘱託殺人事件 自らの人生を生きたいと思えるように

2020年07月25日 | 障害一般

亡くなられた京都のALS女性は人工呼吸器を付けない選択をし、自ら命を絶つことを切望されたようだ。

一方、死にたいと2年間思い続けた国会議員船後さんは自らの経験が他の患者の役に立つことを知り、人工呼吸器をつけ生きることを選んだ。
故・三浦春馬さんはALS患者を演じたドラマ『僕のいた時間』で、「死にたいわけじゃない。生きるのがこわいんだ」と涙を流し、多部未華子さん演じる恋人に抱きしめてもらう。そしてそれまで支えてくれた周囲の人々との「それまで生きた時間、僕のいた時間」を支えに“生きる覚悟”を決める。

京都の女性は、2人のようには思えなかったのかもしれない。自己イメージが高く、落差しか感じられなかったのかもしれない。

ALSのことも詳しいわけではなく部外者が軽々しく言えることではないかもしれないが、この事件でまず考えるべきは、船後さんもいうように「自らの人生を生きたいと思える社会」をどう作るか、ということではないのか!

安楽死(あるいは自殺権?)の議論をするとすれば、その次だと思う。

亡くなった三浦春馬さんを引き合いに出すのもどうかとも思ったが、ALSと聞き、即座に顔が浮かんだ。
(ドラマのなかで電動車椅子サッカーをプレーする場面があり、当時、ドキュメンタリーの撮影で通っていたチームが撮影の協力、そんなこともあって、現場で見学していた。)
ひょっとしたらこの事件の報道が生前であったら、三浦さんは自殺を思いとどまったのだろうか。いやそんな仮定の話は失礼だろう。

お二人のご冥福をお祈りします


相模原障害者殺傷事件(やまゆり園事件)に関する原稿

2020年07月21日 | 障害一般

今月26日で相模原障害者殺傷事件(やまゆり園事件)から4年。
事件発生時は衝撃を受けました。
(その時の書き込みは以下 https://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/a2bef9e45f5300297db706708ee26912)

その後は忙しさにかまけてなかなか事件と向き合うことができませんでしたが、今年1月から始まった公判を契機にでき得る限り理解に努めています。
今月に入って関連本も発売、全て購入し読みました。

月刊『創』編集部 『パンドラの箱は閉じられたのか』 創出版
雨宮処凛 『相模原事件・裁判傍聴記』 太田出版
朝日新聞取材班『相模原障害者殺傷事件』朝日文庫
神奈川新聞取材班『やまゆり園事件』幻冬舎
『福祉労働167 特集・津久井やまゆり園時間が社会に残した宿題』現代書館
『ジャーナリズム7月号 特集・実名と被害者報道 』 朝日新聞社

なかなか整理はつきませんが、以下は、「月刊ニューメディア2020年6月号に寄稿」した原稿で、3月下旬~4月上旬に書いたものですが、掲載しておきます。

津久井やまゆり園の殺傷事件の判決を受けて

 事件の真実は?
 多くの人が予想したとおり、そして多くの遺族も望んだように、植松聖被告(30)に死刑判決が言い渡された。その後、弁護側が控訴したが、植松本人が控訴を取り下げ一審で死刑が確定した。 
 同様の事件を繰り返さないためには、二審三審での動機のさらなる解明、施設の問題などを詳しく掘り下げる必要があったように思う。責任能力の有無に終始した一審だけでは絶対時間が足りなかったのではないか。死刑判決にも関わらず、いやだからこそ、植松は自らの“思想”をカッコ良く貫き通し控訴を取り下げた。そのことにより死刑制度そのものが、命を選別し「社会の役に立たない人間」を抹殺した植松の“思想”に飲み込まれた感も否めない。 
 
 事件が起きたのは2016年7月26日未明。当時、私は重度身体障害者による電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画『蹴る』を撮り進めており、障害の理解のためもあって介護の資格を取得し、重度の身体障害者や知的障害者、認知症高齢者らの訪問介護の現場にも身を置いていた。それまでも知的障害者サッカーのドキュメンタリー『プライドinブルー』、聴覚障害者サッカー『アイ・コンタクト』の2本を撮り、障害者との関わりも密だった自分にとって、この事件はあまりにも衝撃的だった。最初の一報に触れた時は介護職員による虐待の延長線上にある殺人を想起し、さらに「障害者がいなくなればいいと思った」という供述からナチスの障害者虐殺のことを思い浮かべ、この現代において本当に実行した人間がいたという、驚き、恐怖、憤り、さまざまな思いが駆け巡った。

 植松は重度・重複障害者の例として、「歩きながら排尿・排便を漏らす者、穴に指を突っ込み糞で遊ぶ者、ご飯が気に入らずひっくり返す者、水を飲み続けて吐いてしまう者」などを挙げ、接する中で「生きている意味があるのか?」と考えたという。実際、介護の現場では従事した者にしかわからないような葛藤を感じる場面も多々ある。正直、私も同様の考えが頭をよぎったこともある。
 ただ「植松は働き始めた当初、利用者のことを「かわいい」と口にしていた。そこからなぜ「この人達を殺したらいいんじゃないですかね」と言うようになり、さらには犯行まで及んでしまったのか。

 津久井やまゆり園自体にも問題はなかったのか? 息子さんが入所されていたご家族の行動記録によれば、「生活介護」として日中の支援が、実質的には、あまり実施されておらず、入所者がただリビングに留め置かれていたことも少なくなかったようだ。また、ある利用者が歩けるに関わらず、長い日には1日12時間車椅子に拘束されたこともあったと指摘されている。植松が衆議院議長宛に書いた手紙の「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしています。車いすに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません」の部分は記述通りだったのだろうか。被告人質問では「(先輩職員が利用者を)人として扱っていないと思った」との発言もあった。津久井やまゆり園のみならず、大規模施設ゆえの構造的な問題とともにされに解明されるべきだったが、審理の過程では大きな論点になることはなかった。

 植松の生い立ち 
 植松は、小学校の美術教師の父と漫画家の母の間に一人っ子として生まれた。やまゆり園は自宅から歩いて徒歩10分ほどの場所にあった。しかも小学校の通学途中にあり毎日のように目にしていただろうし、同じ学校の知的障害児もいた。そんな状況の中、植松は低学年の時に「障害者はいらない」という作文を書いたという。両親や地元の空気感の反映なのか、植松は生い立ちを語りたがらず、詳細はわからない。
 一方で植松は友人も多く高校時代の交際相手によれば、親との仲も良さそうだったという。その後、教師を目指し大学へ。在学中は危険ドラッグにも手を出し刺青も入れた。教員免許は取得したが教師になることはできず、卒業後は運送業を経て、2012年12月から津久井やまゆり園で働き始めた。友人や交際相手の証言では、犯行の1年前2015年から「障害者は死んだほうがいい」「生きてもいても意味がない」「あいつら人間でない」「生産性ないから」という言葉を吐くようになる。そして、大麻を吸い、イルミナティカードに感化され、ネット空間にのめり込んでいった。差別的な書き込みや、犯行をほのめかす動画も投稿していたようだ。「生産性」「自己責任」「排外主義」といった言葉に代表されるような世界。そこには犯行の賛同者や、あるいは後押しもあったのかもしれない。
 その後、安倍首相宛に犯行予告の手紙を書き官邸へ届けようとするが、警備が厳重だったため衆議院議長宛に書き直し手渡した。そして緊急措置入院。入院中に犯行を決意した。

 植松の“思想”は、ネットやマンガ、イルミナティカード、米国大統領トランプ氏、テレビなど、いろいろな断片情報で形づくられている。例えば、映画『テッド2』でテディベアが人間として認められるのかという裁判で、弁護士が「人間性の基準は、自己認識と、複合感情を理解する能力と、共感する力にある」と語る。感動的な場面として描かれているが、植松は、逆に、基準に当てはまらない人間(=意思疎通が取れない者)は「殺したほうが社会の役に立つ」と考えた。植松によれば、重度知的障害者に限らず、重度の認知症、脳死状態が長く続いている者も含まれるという。つまり、人間を役に立つ人間と役に立たない人間、役に立つ障害者と役に立たない障害者に分け、役に立たない人間を抹殺し、そのことによって「日本の借金を減らせる」と考えた。そして、植松は「全人類のために」「いいこと」をしようと、犯行に及んだ。その考えは今も変わっていない。

「在ることに、意味なんかいらない」
 無念にも殺された人たちは、意思疎通ができなかったのだろうか。一度だけ抽選に当たり公判を傍聴し、遺族などの声を聴くことができた。2名を除き、殺害された人たちは甲、負傷者は乙、職員は丙、殺傷された順にABC……と名付けられた。
「言葉は発することはできなくても、感情はあり意思疎通はできていた」
 家族にとって、とても大切でかけがえにない存在であることが繰り返し語られた。だが、その思いは植松には届いていないように見えた。

 私は以前、知的障害者サッカーのドキュメンタリー映画を制作した。彼らは障害が軽度故に「なぜ知的障害者として生まれてきたのだろう」という苦悩があった。だが、健常者よりもむしろ優れていると感じる点もあり、健常者と知的障害者を分ける線が引けるのだろうか、もし線を引くとすれば、分断する線ではなく、人と人をつなぐ線なのではないかとも思った。きっと殺された入所者とご家族も太い線でつながっており、とても意味のある存在だったはずだ。植松はその太い線を、自らの勝手な価値観でぶった切ったのだ。
 だがどうなのだろう。家族とのつながりもなく、言語以外のコミュニケーションも完全に断たれている存在、人間がいるとしたら、どう考えればよいのだろうか?

 この事件に着想を得た辺見庸氏の小説『月』は、ベッド上にひとつの“かたまり”として横たわり続けるきーちゃんの“目線”で物語が紡がれていく。きーちゃんは目も見えず発語もできず、他者との意思疎通もできない。上肢下肢も顔面も動かせない。そのきーちゃんを殺しにきたさと君(植松聖がモデル)に、きーちゃんの意識の分身が訴えかける。
「<ひとではないひと>というのは、かってなきめつけだ」
「あ、あ、在るものを、むりになくすことはない……。あ、在ることに、い、い、意味なんかいらない」

 

参考文献
辺見庸氏 『月』 角川書店
月刊『創』編集部 『開けられたパンドラの箱』 創出版
堀利和編著 『私たりは津久井やまゆり園の「何」を裁くべきか』 社会評論社
神戸金史『障害を持つ息子へ』 ブックマン社
雨宮処凛編著 『この国の不寛容の果てに』 大月書店
高岡健『いかにして抹殺の<思想>は引き寄せられたか』 ヘウレーカ
藤井克典・池上洋通・石川満・井上英夫『いのちを選ばないで』大月書店
藤井克典・池上洋通・石川満・井上英夫『生きたかった』 大月書店
阿部芳久『障害者排除の論理を超えて』 批評社
渡辺一史『なぜ人と人とは支え合うのか』ちくまプリマー新書
『月刊 創』 創出版
『週刊文春4月2日号』 文藝春秋
『東京新聞』
『神奈川新聞』
『朝日新聞』
『産経新聞』

 


植松聖死刑囚移送

2020年04月08日 | 障害一般

本日8日横浜拘置所へ『相模原津久井やまゆり園事件』植松聖死刑囚の接見に初めて行ったのだが、空振りに終わってしまった。
昨日、刑場のある東京拘置所へ移送されたそうだ。

事件が起きたのは2016年7月。当時は電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画『蹴る』の撮影中で、障害への理解や製作資金捻出のため介護の資格を取り訪問介護の現場に身を置いていた時期でもあり、とても衝撃を受けた。
しかしその後は『蹴る』の撮影、編集、公開でいっぱいいっぱいで、数冊の書籍に目を通す程度。
今年に入って公判が始まって以降、正確に理解しよう事件と向き合おうという思いもあり、慌てて新聞、書籍、雑誌『創』等に目を通し、裁判の抽選に通い一度だけ公判の傍聴ができた。
そこで植松死刑囚本人の顔や姿かたちは目にすることができたが、肉声は聞くことができなかった。
その後、植松死刑囚の自宅~津久井やまゆり園~小学校への通学路を歩き彼の人物像を思い描くのだが、裁判が犯行動機に深く分け入らなかったことも相まってなかなかイメージ出来ない。
そこでどんな声でどういうふうにしゃべるのか一度接見してみようと先月ご挨拶したばかりの『創』の篠田編集長にお願いし、同行することは出来たのだが既に移送された後だった。
念のため東京拘置所へも行ったが面会出来ず。今後、植松死刑囚は親族と弁護士にしか接見できないという。

これからは、情報も減り話題になることも少なくなってくるだろう。
自分としては出遅れてしまったのだが、この事件のことは考え続けていきたい。