先週末の10月22日~23日、大阪で開催された『第22回日本電動車椅子サッカー選手権大会』に行って来た。大会を簡単に振り返るとともに歴史にも少し触れてみたい。
大会には各地区の予選を勝ち上がってきた16チームが参加、電動車椅子サッカーのクラブ日本一を決める。各ブロックから選抜された選手たちが集うブロック選抜大会が、国際ルールに準じた電動車椅子サッカーの制限速度10kmで行われているのに対し、こちらは国内ルールの6kmで開催されている。
もっとも国際ルールが統一され日本に持ち込まれたのは2006年以降であり、それ以前は日本独自のルールにて国内の電動車椅子サッカーは行われていた。現在のサッカーとの大きな違いはボールの大きさと2on1(ツーオンワン)というルールの存在の有無である。ボールは現在直径32.5cmなのに対してて以前は直径50cmの巨大なものだった。運動会の玉転がしの玉のようなイメージだろうか。
2on1はボールに対して半径3m以内に各チーム1 人しかプレーに関与してはいけないというルールで、噛み砕いて言うと「一人の相手選手に対しては一人の選手しか守備に行ってはいけない」というもので、以前は団子状態でパスなどほぼ皆無だった電動車椅子がボールゲーム化する大きな改革となった。
私が最初に電動車椅子サッカーを観たのは2006年富山で開催された12回大会で以前のルールにて開催されていた。
さらに大会の歴史を遡ってみる。
以下電動車椅子サッカー連盟初代会長であったジョージ土井氏の著作『車椅子のジョージ』(リトル・ガリヴァー社刊)からの情報による。
第1回は1995年名古屋で4チームが参加し『第1回電動車椅子サッカー全国大会in名古屋』という名称で開催された。現在は試合前に各自の電動車椅子が制限速度を越えてスピードが出ないように設定されているかどうかのスピードチェックが必ずあるが、以前はそういったものもなかった。回を重ねるなかでアメリカ製の電動車椅子が導入され国産では太刀打ちできないような状態が生まれ、スピードチェックを行うことになったようだ。
また今大会の開催地である大阪は電動車椅子発祥の地でもある。大阪市身体障害者スポーツセンターのある日の出来事から電動車椅子サッカーは生まれた。
とある女性指導員が体育室で遊具の後片付けに追われていた。前述したジョージ氏は彼女に恋心を抱いていた。彼女の手助けをしようとジョージ氏が電動車椅子を使ってまるでブルドーザーのようにスムーズに遊具を運ぶ。するとジョージ氏の前方に直径1m大の大きなバルーンが立ち塞がる。最初はうまく転がすことができなかったが、途中からわりとうまく運ぶことができた。その様子を見ていた男性指導員(ジョージ氏と2人3脚で障害者スポーツの可能性を探ってきた)が飛び出してきてこう言った。
「これだ!これを使って楽しめる競技スポーツにできないものだろうか?」
それが電動車椅子サッカーへとつながっていった、らしい。
実際電動車椅子サッカー練習の前後、ゴールポスト代わりのカラーコーンを小型ブルドーザーのように器用に運んでいる選手たちの姿を何度も見かけたことがある。
そして今大会の試合会場は発祥の地の体育館とは異なるものの同じ大阪での開催となった。
大会は予選を勝ち上がってきた16チームがトーナメント制で雌雄を決する。決勝と3位決定戦を除き2試合が隣り合わせのコートで同時進行に行われた。
初日の1回戦第1試合は、Yokohama CrackersとYOKOHAMA BayDreamの横浜対決となった。この2チームはともに練習を行う機会も多く1週間前にも合同練習をおこなったばかり。地力に勝るCrackersをBayDreamがどこまで抑えられるのか? しかし開始早々にCrackersが先制点をあげた。クリアボールを紺野が左サイドの永岡へ、永岡がそのままゴールに流し込む。開始わずか35秒ほどの先制点だった。
前半19分には右サイド紺野のキックインを三上がファーで合わせて追加点。前半終了間際にはこぼれ球を再び三上が押し込んで3-0。後半終了間際にはFKからのこぼれ球を三上、紺野とつないで4点目。4対0とCrackersが横浜対決を制した。
通常トーナメント制では一度負ければ試合はない。だが今大会は1回戦で負けたチーム同士のエキシビションマッチが組まれた。つまり最低2試合はできるわけだ。せっかく全国から集まったのだから少しでも経験を積んでもらおうという配慮だろう。BayDreamは翌日廣島マインツと対戦。2点をリードしたものの、廣島マインツ谷本の意地の2ゴールで追いつかれ2-2と引き分けた。
もう1試合は奈良クラブビクトリーロードと兵庫パープルスネークスの関西勢対決。2-0と奈良の勝利。こちらは全く観ることができなかった。
1回戦第2試合は、中部のFCクラッシャーズと東京のFINE、ERST広島M.S.Cと金沢ベストブラザースの対戦。FINEと広島は3人での参戦(通常は4人対4人で試合が行われる)となり敗退、FCクラッシャーズ(7-0)と金沢ベストブラザース(2-0)が2回戦に駒を進めた。 クラッシャーズの飯島は先をイメージしてのプレーや、タメを作ってのパスなど相変わらず“上手い”プレーを見せてくれた。
第3試合は廣島マインツとNanchester United鹿児島、Wings(中部)とプログレス奈良の対戦。Nanchester United鹿児島はゴールラッシュ、東のハットトリック、塩入の2ゴール、小学生井戸崎や女子選手野下のゴールなどで8得点(もう1点を誰がいれたか不明)をあげマインツを撃破。Wingsもプログレス奈良を2-0と退け2回戦進出。
第4試合は昨年度優勝のレインボー・ソルジャー(東京)がスクラッチ香川を5-1で下し2回戦へ。Red Eagles兵庫もSONIC~京都電動蹴球団を6-0で下し2回戦へ進んだ。
1回戦は実力差の大きいチーム同士の対戦となることも多い。一方組み合わせによっては1回戦を勝ち抜ける力を有しているチームもある。例えばYOKOHAMA BayDreamなどもそうだろう。
1日目第5試合からは2回戦に突入。実力も拮抗し、2日目への切符、即ち準決勝進出ををかけての熱い戦いが繰り広げられた。
第5試合のYokohama CrackersとNanchester United鹿児島の対戦は息詰まる熱戦となった。前半3分鹿児島はフリーキックからの流れで右コーナー付近の東がワントラップしボールを保持、ニアポストにわずかなシュートコースを見つけるや否やシュートを放ち先制点をあげた。一瞬の隙をつかれたCrackersも前半アディショナルタイムにチャンスを迎える。右サイド三上からのキックインのこぼれ球に竹田がうまく詰めてファーポスト付近で待つ永岡へつなぐ。永岡の逆回転シュートが決まりCrackersが同点に追いつく。その後延長までもつれた試合の決着はPK戦に持ち越された。Crackersの永岡が鹿児島のキーパーに止められ、準決勝への切符を手にしたのは Nanchester United鹿児島。キーパーが一瞬早く動いたようにも見えたが判定は覆らなかった。
一方、奈良クラブビクトリーロードはWings相手に8-0の大量得点差勝利で準決勝進出。
第6試合ではレインボー・ソルジャーが金沢ベストブラザーズを4-2、Red Eagles兵庫がFCクラッシャーズ4-3と、それぞれ下し準決勝へと駒を進めた。
そして迎えた2日目の準決勝、Nanchester United鹿児島とRed Eagles兵庫の対戦で先制したのはRed Eagles兵庫。 左コーナ―付近で有田が粘りを見せ球際で競り勝ち、こぼれ球がファーサイドの内海のもとへ。内海がゴールに蹴り込み雄叫びをあげた。前半5分の先制点だった。鹿児島は追いつくことができずRed Eagles兵庫が決勝進出を決めた。Nanchester United鹿児島はRed Eagles兵庫に持ち味を抑え込まれた形の敗戦となった。組み合わせの妙も感じる試合だった。
準決勝のもう1試合は奈良クラブビクトリーロードとレインボー・ソルジャー。前半奈良が先制するものの、レインボーも粘りを見せる。後半3分、右サイド北沢のキックインをニアで吉沢が1タッチで方向を変えファーで待つ内橋へ。ゴールゲッター内橋がきっちりと流し込みレインボーが同点に追いつく。試合は前後半5分ずつの延長にもつれ込みPK戦の気配も漂ってきた延長後半2分、ついに均衡が崩れた。奈良の山田が自陣深いところから振り向きざま思い切りのいいシュートを放つ。やや前目にポジションをとっていたレインボーのキーパーをあざ笑うようにボールはゴールラインを越え勝ち越しゴールとなる。そしてそのまま試合終了。昨年の優勝チームであるレインボー・ソルジャーを押しのけ決勝に進んだのは奈良クラブビクトリーロード。
決勝はRed Eagles兵庫と奈良クラブビクトリーロードの関西勢同士の対戦となった。
先制点は早い時間帯に生まれた。前半3分、奈良は左サイドで強気のキックインを繰り返していた山田のボールがエリア内で守る2人の選手の間を抜けていき、安井がファーで粘って折り返す。そして2on1(ツーオンワン、前述した電動車椅子サッカー独自の反則)ぎりぎりの位置まで詰めていた山田が蹴り込み先制点をあげる。
しかし後半3分には兵庫が同点に追いつく。右サイド内海のキックインを有田がシュート、奈良の中井がいったん弾き出すもののボールは木下と中井の間でピンボールのような動きを見せゴールに吸い込まれ、1-1と試合は振り出しに戻った。
追いつかれた奈良は後半13分、左サイド山田のキックインをファーで安井が合わせて勝ち越す。さらに19分には中井が自陣からの目の覚めるようなロングシュートを決めとどめを刺し、奈良クラブビクトリーロードが2010年16回大会以来5度目の優勝を飾った。
奈良クラブビクトリーロードは中井・山田など若手パワーが炸裂、木下が後方を締め安井も前線で決めるべきところで決めた。MVPは安井悠馬が受賞した。
今年の大会は昨年に比べると6kmであることのもどかしさはあまり感じなかった。昨年は大きな体育館でコートも広くとってあったが今年は狭く、スペースのボールに追いつけないという局面は少なかった。だが今後は世界を目指す選手たちは10kmだけでプレーできる環境を整えていくべきだろう。もちろん初心者にやさしい6kmルールが普及という意味で大きな役割をはたしていくべきだろう。
今大会いろいろと思うことは多岐にわたった。2011年以来6年連続で撮影に訪れれば当然だろう。それはともかく撮影は今回が最後。来年以降も是非観戦には訪れたい。
今大会優勝できる可能性があったチームは奈良クラブビクトリーロード、Red Eagles兵庫、Nanchester United鹿児島、レインボー・ソルジャー、Yokohama Crackersの5チームだろう。いわば5強と呼べるのかもしれない。FCクラッシャーズなども好チームだがやや後塵を拝しているのは否めないだろう。そういった勢力図が来年以降どう変化してくのだろうか。