サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

第22回日本電動車椅子サッカー選手権大会

2016年10月30日 | 電動車椅子サッカー

 先週末の10月22日~23日、大阪で開催された『第22回日本電動車椅子サッカー選手権大会』に行って来た。大会を簡単に振り返るとともに歴史にも少し触れてみたい。
 
 大会には各地区の予選を勝ち上がってきた16チームが参加、電動車椅子サッカーのクラブ日本一を決める。各ブロックから選抜された選手たちが集うブロック選抜大会が、国際ルールに準じた電動車椅子サッカーの制限速度10kmで行われているのに対し、こちらは国内ルールの6kmで開催されている。
 もっとも国際ルールが統一され日本に持ち込まれたのは2006年以降であり、それ以前は日本独自のルールにて国内の電動車椅子サッカーは行われていた。現在のサッカーとの大きな違いはボールの大きさと2on1(ツーオンワン)というルールの存在の有無である。ボールは現在直径32.5cmなのに対してて以前は直径50cmの巨大なものだった。運動会の玉転がしの玉のようなイメージだろうか。
 2on1はボールに対して半径3m以内に各チーム1 人しかプレーに関与してはいけないというルールで、噛み砕いて言うと「一人の相手選手に対しては一人の選手しか守備に行ってはいけない」というもので、以前は団子状態でパスなどほぼ皆無だった電動車椅子がボールゲーム化する大きな改革となった。
 私が最初に電動車椅子サッカーを観たのは2006年富山で開催された12回大会で以前のルールにて開催されていた。
 
 さらに大会の歴史を遡ってみる。
 以下電動車椅子サッカー連盟初代会長であったジョージ土井氏の著作『車椅子のジョージ』(リトル・ガリヴァー社刊)からの情報による。
 第1回は1995年名古屋で4チームが参加し『第1回電動車椅子サッカー全国大会in名古屋』という名称で開催された。現在は試合前に各自の電動車椅子が制限速度を越えてスピードが出ないように設定されているかどうかのスピードチェックが必ずあるが、以前はそういったものもなかった。回を重ねるなかでアメリカ製の電動車椅子が導入され国産では太刀打ちできないような状態が生まれ、スピードチェックを行うことになったようだ。
 また今大会の開催地である大阪は電動車椅子発祥の地でもある。大阪市身体障害者スポーツセンターのある日の出来事から電動車椅子サッカーは生まれた。
 とある女性指導員が体育室で遊具の後片付けに追われていた。前述したジョージ氏は彼女に恋心を抱いていた。彼女の手助けをしようとジョージ氏が電動車椅子を使ってまるでブルドーザーのようにスムーズに遊具を運ぶ。するとジョージ氏の前方に直径1m大の大きなバルーンが立ち塞がる。最初はうまく転がすことができなかったが、途中からわりとうまく運ぶことができた。その様子を見ていた男性指導員(ジョージ氏と2人3脚で障害者スポーツの可能性を探ってきた)が飛び出してきてこう言った。
 「これだ!これを使って楽しめる競技スポーツにできないものだろうか?」 
 それが電動車椅子サッカーへとつながっていった、らしい。

 実際電動車椅子サッカー練習の前後、ゴールポスト代わりのカラーコーンを小型ブルドーザーのように器用に運んでいる選手たちの姿を何度も見かけたことがある。

 そして今大会の試合会場は発祥の地の体育館とは異なるものの同じ大阪での開催となった。

 大会は予選を勝ち上がってきた16チームがトーナメント制で雌雄を決する。決勝と3位決定戦を除き2試合が隣り合わせのコートで同時進行に行われた。
 初日の1回戦第1試合は、Yokohama CrackersとYOKOHAMA BayDreamの横浜対決となった。この2チームはともに練習を行う機会も多く1週間前にも合同練習をおこなったばかり。地力に勝るCrackersをBayDreamがどこまで抑えられるのか? しかし開始早々にCrackersが先制点をあげた。クリアボールを紺野が左サイドの永岡へ、永岡がそのままゴールに流し込む。開始わずか35秒ほどの先制点だった。
前半19分には右サイド紺野のキックインを三上がファーで合わせて追加点。前半終了間際にはこぼれ球を再び三上が押し込んで3-0。後半終了間際にはFKからのこぼれ球を三上、紺野とつないで4点目。4対0とCrackersが横浜対決を制した。
 通常トーナメント制では一度負ければ試合はない。だが今大会は1回戦で負けたチーム同士のエキシビションマッチが組まれた。つまり最低2試合はできるわけだ。せっかく全国から集まったのだから少しでも経験を積んでもらおうという配慮だろう。BayDreamは翌日廣島マインツと対戦。2点をリードしたものの、廣島マインツ谷本の意地の2ゴールで追いつかれ2-2と引き分けた。
 もう1試合は奈良クラブビクトリーロードと兵庫パープルスネークスの関西勢対決。2-0と奈良の勝利。こちらは全く観ることができなかった。

 1回戦第2試合は、中部のFCクラッシャーズと東京のFINE、ERST広島M.S.Cと金沢ベストブラザースの対戦。FINEと広島は3人での参戦(通常は4人対4人で試合が行われる)となり敗退、FCクラッシャーズ(7-0)と金沢ベストブラザース(2-0)が2回戦に駒を進めた。  クラッシャーズの飯島は先をイメージしてのプレーや、タメを作ってのパスなど相変わらず“上手い”プレーを見せてくれた。

 第3試合は廣島マインツとNanchester United鹿児島、Wings(中部)とプログレス奈良の対戦。Nanchester United鹿児島はゴールラッシュ、東のハットトリック、塩入の2ゴール、小学生井戸崎や女子選手野下のゴールなどで8得点(もう1点を誰がいれたか不明)をあげマインツを撃破。Wingsもプログレス奈良を2-0と退け2回戦進出。

 第4試合は昨年度優勝のレインボー・ソルジャー(東京)がスクラッチ香川を5-1で下し2回戦へ。Red Eagles兵庫もSONIC~京都電動蹴球団を6-0で下し2回戦へ進んだ。

 1回戦は実力差の大きいチーム同士の対戦となることも多い。一方組み合わせによっては1回戦を勝ち抜ける力を有しているチームもある。例えばYOKOHAMA BayDreamなどもそうだろう。

 1日目第5試合からは2回戦に突入。実力も拮抗し、2日目への切符、即ち準決勝進出ををかけての熱い戦いが繰り広げられた。
 第5試合のYokohama CrackersとNanchester United鹿児島の対戦は息詰まる熱戦となった。前半3分鹿児島はフリーキックからの流れで右コーナー付近の東がワントラップしボールを保持、ニアポストにわずかなシュートコースを見つけるや否やシュートを放ち先制点をあげた。一瞬の隙をつかれたCrackersも前半アディショナルタイムにチャンスを迎える。右サイド三上からのキックインのこぼれ球に竹田がうまく詰めてファーポスト付近で待つ永岡へつなぐ。永岡の逆回転シュートが決まりCrackersが同点に追いつく。その後延長までもつれた試合の決着はPK戦に持ち越された。Crackersの永岡が鹿児島のキーパーに止められ、準決勝への切符を手にしたのは Nanchester United鹿児島。キーパーが一瞬早く動いたようにも見えたが判定は覆らなかった。

 一方、奈良クラブビクトリーロードはWings相手に8-0の大量得点差勝利で準決勝進出。

 第6試合ではレインボー・ソルジャーが金沢ベストブラザーズを4-2、Red Eagles兵庫がFCクラッシャーズ4-3と、それぞれ下し準決勝へと駒を進めた。

 そして迎えた2日目の準決勝、Nanchester United鹿児島とRed Eagles兵庫の対戦で先制したのはRed Eagles兵庫。 左コーナ―付近で有田が粘りを見せ球際で競り勝ち、こぼれ球がファーサイドの内海のもとへ。内海がゴールに蹴り込み雄叫びをあげた。前半5分の先制点だった。鹿児島は追いつくことができずRed Eagles兵庫が決勝進出を決めた。Nanchester United鹿児島はRed Eagles兵庫に持ち味を抑え込まれた形の敗戦となった。組み合わせの妙も感じる試合だった。

 準決勝のもう1試合は奈良クラブビクトリーロードとレインボー・ソルジャー。前半奈良が先制するものの、レインボーも粘りを見せる。後半3分、右サイド北沢のキックインをニアで吉沢が1タッチで方向を変えファーで待つ内橋へ。ゴールゲッター内橋がきっちりと流し込みレインボーが同点に追いつく。試合は前後半5分ずつの延長にもつれ込みPK戦の気配も漂ってきた延長後半2分、ついに均衡が崩れた。奈良の山田が自陣深いところから振り向きざま思い切りのいいシュートを放つ。やや前目にポジションをとっていたレインボーのキーパーをあざ笑うようにボールはゴールラインを越え勝ち越しゴールとなる。そしてそのまま試合終了。昨年の優勝チームであるレインボー・ソルジャーを押しのけ決勝に進んだのは奈良クラブビクトリーロード。

 決勝はRed Eagles兵庫と奈良クラブビクトリーロードの関西勢同士の対戦となった。
 先制点は早い時間帯に生まれた。前半3分、奈良は左サイドで強気のキックインを繰り返していた山田のボールがエリア内で守る2人の選手の間を抜けていき、安井がファーで粘って折り返す。そして2on1(ツーオンワン、前述した電動車椅子サッカー独自の反則)ぎりぎりの位置まで詰めていた山田が蹴り込み先制点をあげる。
 しかし後半3分には兵庫が同点に追いつく。右サイド内海のキックインを有田がシュート、奈良の中井がいったん弾き出すもののボールは木下と中井の間でピンボールのような動きを見せゴールに吸い込まれ、1-1と試合は振り出しに戻った。
 追いつかれた奈良は後半13分、左サイド山田のキックインをファーで安井が合わせて勝ち越す。さらに19分には中井が自陣からの目の覚めるようなロングシュートを決めとどめを刺し、奈良クラブビクトリーロードが2010年16回大会以来5度目の優勝を飾った。
 奈良クラブビクトリーロードは中井・山田など若手パワーが炸裂、木下が後方を締め安井も前線で決めるべきところで決めた。MVPは安井悠馬が受賞した。

 今年の大会は昨年に比べると6kmであることのもどかしさはあまり感じなかった。昨年は大きな体育館でコートも広くとってあったが今年は狭く、スペースのボールに追いつけないという局面は少なかった。だが今後は世界を目指す選手たちは10kmだけでプレーできる環境を整えていくべきだろう。もちろん初心者にやさしい6kmルールが普及という意味で大きな役割をはたしていくべきだろう。
 
 今大会いろいろと思うことは多岐にわたった。2011年以来6年連続で撮影に訪れれば当然だろう。それはともかく撮影は今回が最後。来年以降も是非観戦には訪れたい。

 今大会優勝できる可能性があったチームは奈良クラブビクトリーロード、Red Eagles兵庫、Nanchester United鹿児島、レインボー・ソルジャー、Yokohama Crackersの5チームだろう。いわば5強と呼べるのかもしれない。FCクラッシャーズなども好チームだがやや後塵を拝しているのは否めないだろう。そういった勢力図が来年以降どう変化してくのだろうか。


“聞こえない映画監督”のドキュメンタリー映画『Start Line』

2016年10月16日 | 手話・聴覚障害

先日、“聞こえない映画監督” 今村彩子さんのドキュメンタリー映画『Start Line』を観てきた。
ブログに書き込もうと思っているうちに随分時間がたってしまった。

どんな映画かというと以下(チラシからの抜粋)のような映画だ。

 “聞こえない映画監督”今村彩子は2015年夏、自転車で日本縦断の旅に出る。
 荒天、失敗にすぐ失敗、“聞こえる人”とのコミュニケーションの壁に、ヘコみ、涙し、それでもひたすら最北端の地に向けて走り続ける。そんな彼女 の姿を追うのは、伴走者にしてカメラ撮影を担う“哲さん”。
「コミニュケーションを、あなた自身が切っている」
 相手を思うがゆえの容赦のない言葉に、一触即発の危機が訪れる…。
 そして、聴力を失ったサイクリスト、ウィルとの奇跡的な出会い。
 はたして彼女はどんな答えを見つけるのか?人生の旅そのものの3,824km。
 ニッポンのためらう人に観てほしい、一遍の勇気のおすそわけです。 


 なかなか面白かった。今村さんの作品は結構観ているが、この作品は初めて“一般の聞こえる人”にも薦められる作品なのかという気がする。過去の作品は“聞こえない人”向けだったり、“聞こえない人に関心がある聴者(聞こえる人)”の教材映像という感じだった。
 この映画はコミュニケーションがテーマとして企画されたようだが、映画の前半、“主演女優”でもある監督は聴者とうまくコミュニケーションがうまくとれず、半ばコミュニケーションを放棄したような状況になる。
 聞こえない聞こえにくい人は聴者の口形を読み取ることが出来るなどとまことしやかに語られることがあるが、実際には慣れない人の口形を読み取ることはとても疲れることであり、すべてを理解することなど至難の技だ。映画ではそのあたりのことが痛いほど伝わってくる。それだけでも一見の価値がある。
 監督はそんな困難からまるで逃げるかのように、ろう者の友人を訪ね活き活きと手話で会話する。その対比もとても興味深い。

 前半は今村監督が自暴自棄のような行動で監督を放棄し、まるで“哲さん”が監督のようにも見えたりすることもあるが、撮影の前にかなりのディスカッションをしたのだろう。というか監督が熱く語ったのだろう。“哲さん”のなかに「あなたはこれこれこういう映画を作りたいと言っていたじゃないか」みたいなことがベースにあってのやりとりとなっている。
また彼女の行動は計算なのか?とも一瞬思うが、まったくそんなことはないのだろう。
 
 今村監督は旅が終わった後、当初思い描いていたようなことにはならず随分へこんだようだが、弱い自分と向き合い編集作業を進めた。その結果、まさに等身大のろう者のむき出しの『とても素敵なドキュメンタリー』に仕上がっている。

またこの映画の音に関しては聴者スタッフが何名か関わっているようだ。このあたりも映画の強度を高めている。

東京での上映は終わったが今後各地での上映が予定されているようだ。観て損はないと思う。


単行本『サッカーならどんな障がいも超えられる』発売

2016年10月15日 | 障害者サッカー全般

『サッカーなら、どんな障害も超えられる』 

今年
41日に発足した障がい者サッカー連盟のキャッチフレーズだ。各障がい者サッカーの大会には必ず横断幕が掲げられ、パンフレットの裏表紙を飾る。そして『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』という本が講談社より発売された。

著者は旧知の江橋よしのり氏。「購入しなきゃなあ」と思っていたところ献本していただき早速読了した。

 

 内容は、ブラインドサッカー、アンプティサッカー、電動車椅子サッカーの選手などへの取材を軸にあたかもオムニバス青春小説(本人談)のようにまとめたもの。

 ブラインドサッカーは男女含めて4名の選手が取り上げられ、幼いころから見えない選手やある程度の年齢になって失明した選手などを織り交ぜブラインドサッカーが多面的に浮かび上がってくる。アンプティサッカーは、エンヒッキ・松茂良・ジアス選手の半生を通して日本のアンプティサッカーの歴史そのものが見えてくる。冒頭で取り上げられた電動車椅子サッカーの永岡真理選手からは競技に対しての強い想いが伝わってくる。もちろん競技への想いの強さは他の選手たちにも共通するものだ。

 
 
またブラインドサッカーと対比してデフフットサル(及びサッカー)の植松博美選手夫婦を取り上げたコラムでは、聞こえづらさの多面性や顔を上げないとプレーできないデフフットサル(サッカー)の独自性にふれられている。
 その他ソーシャルフットボール(精神障がい者のフットサル)に関しては医師の立場からのコラムが掲載。知的障がい者サッカー、CP(脳性麻痺)サッカーは紹介だけだが、7つの障がい者サッカーへの入り口としては最適な本だ。


 
この本は女子サッカーにもこだわった本になっている。そういった意味でも興味深い。著者の江橋氏は、なでしこジャパンが一躍有名になる以前より地道に女子サッカーの取材を続けてきた人であるし当然の流れでもあるだろう。
 
 ちなみに私も知的障がい者サッカーのドキュメンタリー『プライドinブルー』を制作した後は“ろう者サッカー女子日本代表=もう一つのなでしこジャパン”を追った『アイ・コンタクト』を制作。その当時、障がい者サッカーのなかで唯一の女子日本代表チームだった。そしてその後“もう一人のなでしこジャパン候補”と遭遇、それがこの本でも取り上げられている永岡真理さんである。現在彼女を中心とした電動車椅子サッカーのドキュメンタリーを制作中だ。

 また著者の江橋氏や編集担当の矢野氏はかなり以前からブラインドサッカーなどの取材をおこなっている。
2011年末に宮城県で開催されたブラインドサッカーロンドンパラリンピック予選にも江橋氏は姿を見せていたし、矢野氏がブラインドサッカーを初めて観たのは2005年だという。(私は2006年です)。矢野氏はブラインドサッカーの試合を観に行くと必ずいるし、ミックスゾーンでも鋭い突っ込みをしていた。
 そういったコンビが作った本であるから安心して読むことが出来る。

 

 以下は『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』アマゾンのURL
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E9%9A%9C%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E8%B6%85%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E6%B1%9F%E6%A9%8B-%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A/dp/4063787184


 以下はこの本への批判ではないが、常々感じていることを少しだけ。
 7つの障がい者サッカーを初めて見るとすると、一般論として圧倒的に魅力を感じやすいのはブラインドサッカーとアンプティサッカーだ。「凄い!」と言いやすい競技とも言える。体験しやすいという共通点もある。メディアも同様にこの二競技には集まりやすいだろう。ことにブラインドサッカーは東京パラリンピックで開催される唯一の障がい者サッカーということもあってダントツの注目度である。もちろんブラサカ関係者の長年にわたる努力の結晶でもあるのだが。アンプティサッカーは今はまだ注目されていなくとも注目されやすい要素はあると思う。
 
 電動車椅子サッカーは迫力もあり派手とも言えるが競技の特殊性故に入り込みやすいとは言えないだろう。
その他の競技は、はっきり言って地味だ。あるいは障害的にもわかりにくかったりする。
 その壁は高いと思う。

 

 自らの経験で言えば、知的障がい者サッカー選手に話を聞く際、こちらの観念がしょっちゅう空回りしていた。そういう時はサッカーボールを取り出して無心に蹴り合うことでなんとかコミュニケーションを図った。デフサッカーに関しても手話や聞こえない人々の世界への理解が必要だったが、サッカーという共通言語がなかったら一歩も前に進めなかっただろう。

 

 きっとサッカーならどんな障壁、障害もきっと超えられる、だろう。健常者側からも障害者側からも。