サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

電動車椅子の入場制限-2

2013年04月28日 | 電動車椅子サッカー

広島菓子博への電動車椅子の入場制限問題だがかなりの抗議が殺到したようで、最終的には入場に際しての制限をつけないということになったようだ。サイトの記述も書き換えられていた。
乗換に関しては、途中段階では乗換を求めるが拒否すれば電動車椅子のまま入場できるようになっていたが、最終的には乗換を求めないということになったようだ。
(一連の流れは、4月23日の書き込みを参照してください)
 
この間の後手後手の対応を見ていると、主催者側は電動車椅子は一般観客にとっての危険物であるという認識がまずベースにあったような印象を受ける。
電動車椅子が使用者にとっての足であり、電動車椅子であるからこそ自らの意志で動くことが出来る体の一部であるという認識は徹底的に欠けていたようだ。(自分自身もそういった認識は、以前は決定的に欠けていたのだが)


朝日新聞広島版に、26日電動車いすで入場した方の取材記事が出ていた。
新しい運用通り、菓子博側のスタッフ3人が付き添ったそうで、以下のような感想が載っていた。

「付き添いはありがたいけど、どこか不自由。付き添いの人が周りの人に『ご迷惑おかけします』って言うので……。できれば普通の人と同じように扱ってもらいたい」と複雑な表情を浮かべた。

付き添いの人がどういうつもりで「ご迷惑をおかけします」と言ったのかはよくわからない。おそらく悪気はなかったのだろう。しかしその発言が、電動車椅子に乗っている人間にとって「あなたは社会に迷惑をかけている存在なんですよ」と間接的に響いたことだけは確かだと思う。

現代の差別は、かなりの割合で悪気のないものが占めているのではないか。もちろん“悪気のある”差別がなくなたわけではないが。
自分自身を含めて、まったく悪気はないものの、ある言動が人を傷つけることになったり差別することにつながったりすることは少なくないと思う。
その最大の原因は、知らないこと。無知であることだろう。
想像力の欠如に起因する場合もあるかもしれない。知らなくとも想像力で補える部分はかなりあるとは思う。しかしベースになる部分は知らないとやはりどうにもならないのではないか。
悪意なき先入観。それは時として凶器だ。


えらそうな書き方になってしまったかもしれない。
このところ障害者サッカー(知的障害者サッカー、ろう者サッカー、電動車椅子サッカー)の映画を作るようになって自分がいかに無知で生きてきたかを思い知る日々だ。


ACLレッズ踏みとどまる

2013年04月24日 | サッカー
生!生!生!
ビールしゃなくてサッカー生観戦!
ACLアジアチャンピオンズリーグ浦和レッズvs広州戦を埼玉スタジアムに観に行った。
グループリーグ突破のためには勝つしかないレッズと、引き分けでもOKの広州の対戦。広州は中盤の3人が中央のスペースを消し、バリオスを前線に残し、左右のFWムリキなどもリスクをおかさす守備に奔走。
リッピ監督の指示のもと引き分け狙いかなという感じ。
両チームなかなかシュートまで持ち込めない展開のなか23分柏木がPKを得てキッカーは阿部ちゃん。しかしポストを叩く!そして37分にはバリオスのゴールを許し先制される。
このままリッピのおもうつぼの展開になってしまうのか!

しかしレッズは後半気持ちを全面に押し出し球際の強さを見せ、チャンスを作り出す。
51分左右サイド平川のシュート性のグラウンダーのクロスをこおろきが押し込み同点!
63分にはPKを外した阿部が槇野とのワンツーからダイレクトでゴールに流し込み逆転!とってもとってもビューティフルなゴーール!!
3分後には、こおろきがPKを得てマルシオが蹴り込み3対1。
さあどうするリッピ。
と、ゲームが中断し主審が副審の元へ。なんとリッピ監督が退場。思い通りの展開にならずイライラして暴言を吐いたのか?
盛り上がるスタンド。
一度はオフサイドと判定され覆ったように見えた不可解な失点はあったものの3対2でレッズが勝利。グループリーグ突破の可能性を残した。

2007年以来の優勝目指して突っ走れ!





電動車椅子の入場制限~乗換の大変さ

2013年04月23日 | 電動車椅子サッカー

広島で19日から開催中の全国菓子大博覧会への電動車椅子の入場が当初拒否され、その後、条件付きで認められたらしい。

経緯がよくわかなかったので、毎日新聞大阪版、博覧会のHPなどを参照して自分なりに整理してみた。
 
博覧会開催前に、自らの授産施設がブースを出展している電動車椅子のスタッフが会場を下見。実行委から「電動車椅子は暴走すると危ない」という理由で入場できないと注意される。授産施設側が抗議、電動車椅子のスタッフの入場は許可されることになったものの一般の電動車椅子使用者にはさまざま条件がついた。例えば平日限定、予約のうえ手動の車椅子に乗り換える。
授産施設側は「電動車椅子は1人で動くためのもの。普通の車椅子では押す人がおらず動けない」などと抗議、その他からもかなりの抗議が寄せられたようで最終的には、介護スタッフも常駐させ、全日受け入れOKになったようだ。

全国菓子大博覧会のサイトhttp://www.kashihaku2013.jp/によると、会場が混雑した場合や車いすの機種によっては、危機管理上の観点から電動車いすから手動の車いすに乗り換えてもらう場合があるそうだ。乗換が困難は人の場合は、事前予約をすれば使用している電動車いすの仕様に応じたサービスも行うそうだ。

 一応全てのケースに実行委員会が対応した形に落ち着いたようだ。

 しかし疑問点も残る。

 そもそも電動車椅子は危ないのか?
暴走すると危ないというのは全く理解できない。車だって暴走すれば危ない。でも普通暴走なんかしないし。
このところ電動車椅子と同じ空間にいることが多いが、危ないと思ったことは一度もない。基本的に電動車椅子サッカーをやっている人たちなので操作が他の人よりうまいということもあるかもしれないが。
危ないのはむしろ健常者側の不注意だ。電動車椅子は健常者よりかなり目線が低いので、そこにいることに気がつかない場合がある。例えば子供がいることに気が付かないで子供にぶつかりそうになることがあるが、その状況と似ている。つまり危ないのは電動車椅子ではなく健常者の方だ。で子供の場合は子供が怪我をするわけですが、電動車椅子の場合は電動車椅子が頑丈なものだから健常者側が怪我をする確率が高くなる。しかし手動の車椅子に乗り換えるということは健常者が怪我をする確率は低くなるが車椅子に乗っている側が怪我をする確率は高まる。


では何故乗り換えなくてはならないのか?
すいている時は乗り換えなくてもいいようだから、混雑した時の状況を考えてみる。
電動車椅子の走行自体は問題ないとしても、混雑すると視界が完全に遮られてしまう可能性は高く、何らかの手助けは確かに必要であろう。

実行委員会側は以下の形を選択した。
手動の車椅子に乗り換えて実行委員会が用意した介助スタッフに車椅子を押してもらう。サイトによると介助スタッフは有資格者ではなくボランティアスタッフのようだ。たまたま資格を持っている人もいるかもしれないが車椅子を押すことに慣れていない方である場合も考えられる。それで良いのかという問題もある。
他の選択肢としては、電動車椅子を手動に切り替え手動で押す。ただ慣れていないと手動の車椅子よりは取扱いが大変だという可能性もある。あるいは電動車椅子で動き、ガイド役を付ける。
その状況に合わせて選択出来るということが良いのかもしれない。

 
実行委員会側は新たに乗換を介助する介護福祉士等を常駐させるようにしたようだ。一連の経緯を見ていると乗換がそんなに大変なことだとは、実行委員会側は思っていなかったような印象を受ける。私自身もちょっと前まではそうだった。
乗り換えも大変だが、その後も大変だ。電動車椅子はその人に合わせて製作されている場合も多く、仮に乗り換えられたとしても快適に座ることが出来ない。というか自分の車椅子にしか座れない人も多いのだ。おそらくそのような抗議もあり、乗換困難な人は乗り換えをしない形の対応になったようだ。
 

電動車椅子の人もどうしても乗り換えなくてはならないような局面がある。例えば、飛行機に乗る時などである。以前電動車椅子サッカー日本代選手団の成田空港出発の模様を撮影した。
手動の車椅子に乗り換えねばならないのは仕方がないが、リクライニングシートの手動の車椅子の数が不足していて一部の選手たちはとてもつらい思いをすることになった。

成田空港は日本の空の玄関口、是非とも早急に導入してほしい。
もうすでに導入されていたとすれば嬉しいことですが。


あくまで毎日新聞大阪版、博覧会のHPなどを参照して書き込んだものであり、事実関係とは異なる点があるかもしれません。
また私自身も電動車椅子のことに関して無知な部分もまだまだ多く、不備な点などありましたらご指摘ください。


(追記)
「人ごみの中で、不意にすれ違った人の荷物がジョイスティックに当たりそうになりヒヤッとした経験がある」という書き込みがフェイスブックにありました。同行者の方の書き込みです。周りの方もしくは荷物などが触れて急加速し、けが人が出ることいことは可能性としてはあり得るわけですね。
電動車椅子は手動の車椅子に比べて重量も重く、ごついですから。
「そういったこともあり得るので乗換えてください」「乗換が困難な方には別途対応します」というふうに説明されれば、納得できるしわかりやすいですね。


いかに手話の才能がないか~言語野~同時通訳~通訳~通訳される立場から

2013年04月20日 | 手話・聴覚障害

(グダグダと書き連ねてしまいました。お暇な時に読んでください)

オイラは手話の才能がない。
オイラには語学の才能がない、第2言語を習得する才能がない、というかセンスがないといった方がわかりやすいのかもしれない。
(だからと言って手話の勉強をやめようという気はないので心配御無用!愚直に続けます)

結構海外に行く機会も多いので英語が出来ると勘違いされることがよくある。
ところがからっきしダメで、もう壊滅状態。謙遜していると勘違いされて困ってしまうことも多いんだけど本当に苦手で…。
英語より身振り手振りや表情の方が通じる。この点は手話を勉強していて上達した点だ。

言語習得の才能がないのは、何というかそのまま受け入れるというか真似するのが苦手で。何事もすぐ言語化(日本語化)したがる屁理屈野郎というか、日本語が頭の中に充満してしまう。

20年以上前に韓国語を熱心に勉強したことがあって結局はモノにならなかったのだが、英語よりは自信が持てた。
何故かというと、最初の3か月くらいは徹底的に発音練習ばかりさせられたことが良かったのだと思う。
単語ではなく一音一音を舌の動きから徹底してやったなあ。
例えば、「お」と「お」の違い。「ん」と「ん」と「ん」の違い。なんのこっちゃ。
口をとがらせる「お」と、とがらせない「お」。「n」と「ng」と「m」の違いだったりするわけだが。


オイラみたいな言語のセンスがない屁理屈野郎は尚更強制的に日本語を頭から追い出す必要がある。
日本手話の学習においては、オイラに限らず極めて重要な点だ。
手話でやっかいなのは、日本には日本語とは違う日本手話と日本語である日本語対応手話があることだ。やっかいというより難しい点ですね。
過去の手話学習者は日本語対応手話を習得しても、ろう者同士が話す日本手話がさっぱりわからず苦労したようですし(単純化して言えばということです)。
最近は日本手話の会話には問題ないけれど日本語対応手話が苦手な人もいるし。純然たる日本語対応手話にはやたらと単語力が必要ですから。
かくいうオイラはとっても中途半端で、どっちもうまく出来ません。
いつも、「表情でごまかしている」と言われるし。
日本手話には「顔が主役で手はおかず」という言い方もあるんだが、オイラの場合は我流の表情とぎこちない手の動きだったりするわけです。

で、読み取りに関しては、すごく冴えててわかる時もあるんですがさっぱりの時もあります。
冴えている時というのは何というか、頭が手話脳になっている感覚というか。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、脳つながりで言語野について書きます。
言語野は左脳にある、言語を司る箇所。
いわゆる母語を話している時はほぼ言語野のみが活動しているようで、まあ楽に会話が出来るわけですね。
ところが、習得前の第2言語は脳内のいろんな箇所が動員されているため、とっても頭が疲れます。読み取れない表現できない、あるいは聞き取れないしゃべれない。そんな状態で手話に長時間接すると、頭がパンクしそうになります。というかしょっちゅうオーバーヒートしてます。
ただし第2言語を完全に習得すると、脳内で活動するのがほぼ言語野のみとなり、楽に会話できるようになります(というかそうなるらしいです。一度もそうなったことがないです)。
但し、同時通訳しようとしたら脳内が再びとんでもない事態におちいります。
要は別の脳も使わなくてはならないということですね。

ところで手話の場合は同時通訳(音声から手話への通訳)が当たりまえのようになっていますが、研究によると60%~70%くらいしか表出できないようです。
「そんなことはない。手話は同時的表現ができるからほぼ漏れることなく表出できます」という話も聞いたことはありますが、出来る人は少数なのではないかとも感じています。過不足なく同時通訳することはかなり高度なわけで、その点はもっときちんと認識されるべきだと思います。例えば、音声言語の同時通訳は誰でもできるわけではないことを多くの人が認識していると思いますが、手話に関しては認識されていないのではという気もします。
ところが逐語訳なら正確に伝わるかというと、必ずしもそうでないこともあります。翻訳力がなかったり、抜け落ちたり。
本当に通訳はむずかしい。


過去いろんな通訳の方にお世話になったことがあります。
各国の音声言語、そして手話。
音声言語で一度だけ、同時通訳の体験があります。オイラが日本語で質問。別のブースにいる通訳者が外国語に。インタビューの相手の言葉はイアホーンから日本語で入ってくる。直訳にちかいような形なので、むしろわかりやすかったことをよく覚えています。理由はいろいろありますが、表情や声のトーンが意味と結び付くからです。後ほど確認したところ情報としての抜け落ちはそれなりにありましたが、インタビューするにあたってLIVE感がとても有意義でした。しかしその方法は経費がかかるので、なかなか出来ないんですが。
一方逐次訳でもかなり正確に訳してもらった場合もあれば、かなりいい加減な場合もありました。長く話した後の逐語訳の場合はかいつまんでいう必要もあり、話が転がっていかなかったりします。通訳者が不確かな点を聞き返す時間的余裕がある場合は当然正確性が増しますが、そうでない場合は不正確になります。いずれにせよ、内容に関して通訳者が精通していることが大前提です。
撮影現場の通訳で、通訳者だけが内容をわかっていないといった経験もあります。通訳者はなんだかわかがわからないまま日本語や外国語をしゃべっているのですが、きっとこういうことに関して言っているんだろうとお互いが察しあって理解するということもありました。


で手話通訳です。逐次訳は時間的余裕があり、通訳者側がわからないことを聞き返してくれればかなり正確に伝わります。ただ内容を理解されていないのか?うまく伝わっていないこともあります。
同時通訳の場合(オイラが講演する場合など)、伝わったのかどうかよくわからなかったりもします。時にはあきらかに伝わっていないと思うこともあります。仕方ないと思うこともあれば、言い直して何とか伝わるように努力することもあります。
むずかしいのは、微妙なニュアンスがうまく伝わらないことです。わかりやすい断定的な物言いではないことこそ伝えたい最大のテーマだったりすることがあるのですが、なかなか伝わらないと感じることもありました。こちらの言葉が足りなかったとも言えますが。事前のコミュニケーションが足りなかったのかもしれません。まあしゃべり方に問題がある場合も多いのですが。

ところで手話通訳者の方から、同時通訳(聞き取り表現)の場合、映像的なイメージを頭の中に描いていってそこに少しずつイメージを足していくというようなことを聞いたことがあります。先日英語の同時通訳者の方の本を立ち読みしていたら、同じようなことが語られていました。以外と言えば以外ですが、なるほどなるほど。
つまりは正確なイメージを掴めれば、かなりきちんとした通訳ができるということ。
でも正確なイメージを掴むことが難しい?


最近…

2013年04月20日 | 日記

最近ブログの更新が滞っています。
Facebookの投稿が増えたということにも起因しているんですが。
Facebookは昨年の9月に始めたんですが、ブログとどう使い分けたら良いのか迷ってしまって。
(ツィッターは登録しているけど、ほとんど使ってません)

結局Facebookは、現在進行形や何かが終わった直後、または短文の時に。
一方ブログは、長文だったり、きちんと振り返ったり、何らかの考えを書き込んだりする時に。ということは、最近きちんと振り返ることもせず、ものも考えていないということなのか…。
いかんなあ。
考え事するのは好きなので、頭の中だけでブログを書いたことは何度もあるんですが…。
将来、考えただけで文字化されるようなソフトが開発されると便利なのかなあ。でもそうなったら怖いような。

更新していない言い訳を書き連ねてもしょうがないですね。


ところで4月と言えば新年度がスタートする月。
サラリーマンではないし子供もいないので今まであまり関係なかったのだが、手話の講習会や勉強会は4月に始まることが多く、2月3月あたりはどこに通うか頭を悩ませる時期。東京は勉強する場も多いので贅沢な悩みなんだけど。
で、4月や5月からいろんなところに通います。継続するところもあれば、新たなところも。ろう者の先生もいれば聴者の先生も。

グダグダと書き始めて、手話の話になったので別記事に投稿します。