サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

なでしこ 全日本女子サッカー選手権 準決勝

2011年12月29日 | サッカー

一昨日の27日、国立競技場に全日本女子サッカー選手権大会の準決勝2試合を観に行った。
2試合、つまり4チームが見れるわけで、かなりのお得感がある。

第1試合はアルビレックス新潟レディースvsベレーザ。
両チームなかなかシュートまで持ち込めない展開た続いていたが、後半6分、アルビレックスレディース、右サイドバックの口木が粘って振り向きざまクロスを入れる。上尾野辺(たぶん)が詰めるがDFがぎりぎりのところでクリア、目の前に転がってきたボールを阪口が正確に蹴りこみ、アルビレックス新潟レディースが先制。
15分にはCKからボランチの川村がDFの前に体を入れ、豪快なヘディングシュート。
その後1点を返されるもの、2-1とアルビレックス新潟レディースが勝利。
元日の決勝に駒を進めた。

それにしても阪口はゲームを通してやはり際立っていた。ベストパフォーマンスではなかったのかもしれないが、ポジショニングや“読み”でベレーザの攻撃の芽を摘んでいたあたりはさすが。
もう1人のボランチ、長身の川村もファイト溢れるプレーで好守に貢献。
170cm以上あるのかと思ったが、実際は168cm。ベレーザのアンカー中里が147cmだったようで相対的により大きく見えた。中里は16歳ながら4・1・4・1のアンカーを任され、バイタルエリアを埋めていた。
ベレーザは、攻撃時には右サイドの岩渕か、左サイドの木龍のどちらから上がり、4・1・3・2のような形になることも多かったようだ。2点取られて、2トップに、その後さらに3トップに。
アルビは、4・4・2というか、上尾野辺と菅澤が縦の関係になる4・1・4・1という感じ。


鮫島選手や熊谷選手による震災への募金活動も行なわれていて、試合と試合の合間には行列ができてました。

第2試合はINACレオネッサ神戸vs岡山湯郷ベル。
前半2分にINACが早々と先制。いやはや何点入るんだと思ったら、結果として4点。
特に前半はバルセロナのようにボールを支配しまくる。1年かけてチームもより熟成した印象。
INACの試合を観ていつも思うのは、川澄のスピードと運動量が凄いことと、チ・ソヨンはいい選手だなあということ。
毎度毎度「アンニョン」でブログを締めくくる川澄選手とチ・ソヨンとの左サイドでのコンビネーションも抜群で、2点目は、澤、川澄、チ・ソヨン、川澄の流れるようなパスワークから生まれた。

だがこの試合である意味もっとも印象に残った選手は、岡山湯郷ベルの宮間あや。
セットプレーの精度も凄いが、後半に入ってからのパスには魅入られた。
おおげさに言えば、次元が違う印象。
後半に入り、ポジションをやや下げ、フリーでボールを持つ機会も増え、そこから繰り出すパスは素晴らしかった。
チ・ソヨンが交代したことにより中盤のプレスがやや落ちたことも、フリーでボールを持てた要因でもあるようだった。
パスだけではなく、パス&ゴーでフォローに上がっている点も素晴らしい。
岡山のゴールはその宮間からの測ったようなパスから生まれた。
あんなパスを受けれる選手は幸せだ。


女川に行ってきた

2011年12月26日 | 日記

先日の25日、仙台まで行ったついでに女川まで行ってきた。
震災から9ヶ月以上たったが、実はまだ被災地に行ったことがなく、一度は自分の目で見ておきたいと思い、
女川に向かった。
別に何かができるわけでもない。ただ見ておこう、行くべきだと思っただけだ。

まずは仙石線で石巻を目指した。しかし高城町駅~矢本駅間は復旧しておらず、松島海岸駅で代行バスに乗り換える。
野蒜あたりにさしかかると、バスの車窓からも明らかな津波の爪痕がわかる風景が続く。
2階建ての住居の1階部分が壁だけを残して吹きさらしになっていたり、ブルーシートや板で目張りしたある家もある。
多くの住居が新しく、点在しているのは何故だろうと思ってよく見ると、家がない場所は全壊して瓦礫が撤去されたのだと気付く。まるで一面が宅地造成地のようになっているところもあった。
途中のスーパーなどにも生々しい津波の痕跡が残されている。営業しているコンビニはどこも新しく、そのことが被害の大きさを感じさせた。

再び矢本で列車に乗り換え、石巻へ。石巻からは再び代行バスで女川を目指す。
途中の線路は地盤沈下のためか海面ぎりぎりのところも多い。
女川駅の一駅手前の浦宿駅はホームの線路がのため冠水しているようだった。

バスはいったん山あいに入る。
郵便局と七十七銀行の仮庁舎を過ぎて間もなく、女川港の海が見えてくる。
と同時に、津波で破壊された光景が広がる。
言葉を失っているうちにバスは、そのなかを進んでいく。
見渡す限りの壊滅状態。
バスは高台の上で停車。そこは陸上競技場前の前のスペース。
到着したと認識できるまでにしばし時間を要した。

呆然としながら、車窓から見た坂の下へと歩を進める。 
海が見下ろせる地点まで来て、再び立ちつくす。
視界をさえぎるものがほとんどない…。
瓦礫は撤去されており、大きな建物だけが点在している。

どこからどう歩いていいのかわからないが、とにかく歩き出す。
アパートの3階には巨大な流木が突き刺さったままで、津波の高さを思い知る。
役所や生涯教育センターも凄まじい状態。

風は突き刺すように冷たい。
風をさえぎるものはない。

各家庭にも失礼ながら立ち入らせていただく。
布団や湯呑みなど、かつては生活の場であったことを思わせるものも、そこかしこに残されている。
5円玉と1円玉が散乱している。どうやら貯金箱が割れたあとのようだった。

バス停のある高台から下りてくる途中に駅まで600mという標識があったが、駅らしいものは何もない。
どこに駅があったのかさえわからない。

瓦礫の集積場に行く。
うず高く積まれた瓦礫が、破壊されたものの大きさを物語っている。

漁港には船が停泊。
仮の漁協も建てられているようだが、日曜日だということもあり、ひと気は無い。

オアシスのように、自動販売機があった。
実は風景を目の当たりにした時、食べ物はもちろん、水の一滴も立ち去るまでは飲めないと思った。
自動販売機に寄付できるようになっており、わずかばかりの金額を寄付し、暖かい飲み物を購入。体を温める。

対岸に人の気配がする建物が見え、行ってみることにする。

車の往来がかなりあり、ナンバーを見てみると宮城のみならず、新潟、秋田、千葉など。
どうやら、被災地の光景を目に焼きつけに来た人たちもかなりいるようだった。
冬休みに入ったこともあるのだろう。父と息子もいた。息子にこの現実をきちんと見せておきたかったのだろうか。

建物に近づくと、鮮魚店だった。しかも寿司も食える。
食事ができるとは思ってもみなかった。
もちろん早速入店し、寿司を堪能。
お腹を満たした後。再び歩き回る。

バス停とは違う高台に上がり、そこから見下ろす風景を目に焼き付けておこうと階段を上がっていった。
避難場所にも指定されているようであった。
上には病院があり、駐車場の脇には仮設の長屋風の建物が建てられていて、薬局などが入っている。
奥には、「おちゃっこクラブ」という喫茶店もあった。
迷わず入店すると、乳飲み子を抱いた女性が出迎えてくれた。
コーヒーを注文し陳列してあった商品を物色していると、試食品をくれた。
「サンマかりんとう」と「いわし揚げ」。早速購入。
その後、仮設住宅のことなど、いろいろと話を聞くことができた。
病院のある高台まで津波がおしよせ駐車場の車が流されたことを聞き、改めて押し寄せた津波の巨大さ、高さを思い知った。
本当に信じられないような高さだ。高台は、建物の5階くらいの高さに相当するくらいには見えた。

赤ちゃんのことを聞いてみると、5月に生まれたのだという。震災の時は妊娠7ヶ月だったそうだ。
「お名前は?」とたずねると、命名の由来とともに教えてくれた。

たとえ停電していて真っ暗闇でも、朝になれば海から太陽は昇ってくる。
名前は「朝日」。
新たな生命が育っていた。


池田敏春監督

2011年12月25日 | 映画

池田敏春監督が志摩の海に身を投げてちょうど1年になる。
遺体が発見されたのが12月26日午前9時40分頃。
24日頃に死亡したと推定されている。

死亡の一報を聞いたのは今年の1月25日、知人のプロデューサーが教えてくれた。

ショックだった。
亡くなった事、自殺だったこともショックだったが、
「池田さんなら自殺もあり得るよな」と思ってしまったこともまたショックだった。

「帰りなん、いざ。何ぞ帰らざる。 あ…伊勢志摩の夕日の中で死にたい。」

実はツィッターでその文面も読んでいた。
でも、まさかと思った。


知らせを聞いて、何も手につかなくなった。
映画の仕事を始めるきっかけとなった人だし、4本(「魔性の香り」「さそり」「ちぎれた愛の殺人」「マトリの女」)の作品についているし、せめて追悼文でも書いた方がいいと思ったが、書けなかった。
頭のなかがぐちゃぐちゃだった。
助監督を始めた頃のことや、池田さんとの仕事が頭の中に渦巻いた。
最初についた作品「魔性の香り」での俺の最初の重要な任務は、主演の天地真理さんが芝浦の橋から飛び降りる許可を得るというものだった。
橋の上、引き込み線、飛び降りた川、全て管轄が違い、各々の許可を得る必要があった。
池田さんが志摩の海に飛び降りたことと、最初の仕事が交錯した。

俺が映画界入りした直接のきっかけは池田監督だ。
吉祥寺の映画館(上映されていたのは、ズラウスキーの「私生活のない女」)で見かけた池田監督に思いきって声をかけ、「何でもやります」と言って、連絡先を無理矢理渡した。
池田監督の作品である「「天使のはらわた 赤い陰画」と「人魚伝説」の2作品が大好きで、監督のファンだったからだ。
その当時俺はまだ学生で、シナリオの学校に通いピンク映画の助監督経験を多少積んだというような存在だった。ちなみに大学の専攻は歴史(東洋史・朝鮮近代史)で映画とは直接の関係性はない。

その後、おそらく2ヵ月後くらいだったと思う。
本当に電話がかかってきた。監督からではなく、チーフ助監督の人からだった。志望する演出部ではなく制作部の人手が足りないとのことだった。喜んで日活撮影所へ向かった。
そう、「魔性の香り」は、日活ロマンポルノの正月作品だった。
その後、現場から中退届けを大学に郵送し、映画の世界に入って行くことになった。

はっきり言って、池田監督を嫌っているスタッフは多い。だが主演女優は池田監督を信頼していた。
俳優の好き放題な意見に左右されて、スタッフへの言動に一貫性がない監督も少なくないが、
池田監督はまったく違う。
一貫性はあったが、スタッフのミスに対しては容赦なかった。狙ったカットが何らかのトラブルで撮れなかったときには、身の毛のよだつような言葉でスタッフを罵倒した。
例えば、巨大な夕日をバックにオイルライターでタバコに火をつける、カメラは望遠でそれを狙うというカットの撮影があったが、本番でたまたま火がつかず、太陽が思ったより落ちてしまったことがあった。監督はトランシーバーで助監督を罵倒した。
プロデューサーだろうとなんだろうと関係なかった。
強きにへつらい、弱きをくじくといったことはなかった。

池田監督のいうことは、ある意味常に正論だった。
ただ、正論を言うことが状況にまったくそぐわないことも現実には多い。
そういった状況で正論を言うことが正しいのか?
言い方の問題もあったかもしれない。
多くのスタッフが、心の中で「ぶち殺したろか」と何度も思ったことだろう。

俺も何度となく罵倒された。
だが現場以外ではこころ優しい一面もあった。
2度目の奥さんとのお宅や、離婚後の1人暮らしの部屋に泊まりに行ったこともあった。
映画の話もよくした。前田米造さんのカメラ、神代さんの脚本と演出などなど…。
日活のアクションを受け継いでいきたいと、言われたこともあった。不肖の弟子でもあった私はまったく受け継ぐことはできなかった。

主演女優に対しては、
大雨を降らせ、橋の上から本当に飛び込ませたり、
寒空の中、十字架に貼り付けにして、大雨を浴びせたり、
渋谷の街をひたすら走らせたり、
早朝の歌舞伎町で血まみれの下着姿で拳銃を持って歩かせたり、
大変なことは強いたが、演出する言葉自体は優しかった。
皆、最終的には納得し、満足していたように思う。

自分は関わっていないが、「人魚伝説」の殺戮シーンは強烈だった。
夫を殺された海女であるみぎわが、復讐のため殺戮を繰り返す。
通常の映画であれば、直接手を下した犯人、その黒幕まで殺せば復讐は終わりだ。
だが殺戮は果てなく続く。
その場に居合わせた人々、パーティコンパニオンであろうとなんだろうとお構いなしだった。
「長すぎるのではないか?少しカットした方良いのではと」いう意見もあったと聞くが、灰皿を投げつけ、「絶対に切らない」と言ったという話も聞いた。
でも決して長くないよ、池田さん。
後年、「いくらなんでも長過ぎたかな」と思ったという話も聞いたが、そんなことないよ。
復讐の相手は原発だったし。いや映画的にも長くはないと思うよ。
そんなこと言ってるから、俺も劇映画が撮れないのかな。


いろんなことを書こうと思っていたが、全くまとまらない。うまく書けない…。
池田さんが飛び込んだ海に行って手を合わせてきたことを書いて終わりにしたい。


何故、池田さんが身を投げたのかはわからない。
うつ病で尚且つ心臓に疾患があったからなのか、50代のうちに死にたかったのか、
考えても想像でしかない。
ただ、手を合わせに行こうと思った。
自分の中でも節目をつけたかった。

だが、なかなか実現できなかった。
たまたま大阪府の小学校から講演に呼ばれた際に、志摩へ寄って来ることにした。
その日のうちに志摩まで移動。ホテルに泊まり、翌朝レンタカーで大王崎の灯台へ向かった。11月14日だった
自殺した理由はともかく、何故身を投げたのがクリスマスイブだったのか?
運転しながら気になってきた。
世間が浮かれている時だからこそ、背を向けたかったのだろうか?

灯台は入場料を支払い、上部まで行けるようになっている。
狭い階段を上りながら、「ちぎれた愛の殺人」で撮影した島根の灯台を思い出した。
「あの時もボロボロになったよな」
上部に上がり外に出ると、高所恐怖症の俺には足がすくむ高さ。
身を投げた場所はわからないが、発見した場所は見当がついたので、
その場所に向かい合掌。

当初は手を合わせたら、その場を立ち去り、帰りに伊勢神宮でも観光して早めに帰京するつもりだった。
しかし、池田さんのツィッターでのつぶやきを思い出した。

「帰りなん、いざ。何ぞ帰らざる。 あ…伊勢志摩の夕日の中で死にたい。」

池田さんが死ぬ前に見た夕日を見なくてはならないのではないか。

「お前、もう帰んのかよ!ちゃんとロケハンしろよな」

池田さんの声が聞こえてきたような気がした。
どうしようかと思ったが、このまま帰ったら後悔するような気がして、夕刻にまたくることにした。

灯台付近から見ると朝日は海から上ってくる。
志摩の海はどちらかというと東に向いていて朝日は昇るものの、夕日が海に沈むことはないと思っていた。
例えば日本海なら夕日は海に沈む。
ではこの場所で夕日が海に沈むことがあるのだろうか。

方角的には微妙だった。
近くの民宿の人に聞くと、海に沈むことはないという。
「なるほどな」と思いつつ、漁港につながる遊歩道を歩いた。

「あー」と思わず叫んでしまった。
池田さんは、太陽が海にもっとも近い地点に沈む日、即ち冬至の日の夕日を見て、その後に身を投げたのではないか。

灯台は4時には閉まってしまったので、その近くの見晴らしの良い場所から夕日を見つめ続けた。
完全に夕日が見えなくなるまで、見続けた。
さらに暗くなれば、灯台に灯がともる。
そこまでいようと思ったが、
池田さんが海の底から誘ってくるような気がして、逃げるようにその場を立ち去った。

後日、昨年の冬至の日付を調べた。
だが、21日だった。
もっと詳しく調べると、21日、22日は曇りで夕日が見えなかったようだ。
「池田監督、撮影現場でも妥協しなかったように、死ぬ前に見る夕日を待ち続けたんですか?」

23日は晴れていたようだ。
「23日の夕日を見て、何を思ったの?」
「やっぱり海には沈まなかったか…」と思ったの?

最後まで、ロケハンしてたの…?




(24日中にアップしようと思っていたのだが、間に合わなかった。また怒られるかな)

 


ブラインドサッカー日本代表、パラリンピック出場ならず…

2011年12月24日 | ブラインドサッカー

第1試合で韓国が中国に敗れたことにより、日本代表は引き分け以上でパラリンピック出場が決まる。
そういった状況でむかえた日本vsイラン戦。
先発メンバーは、GKが安部尚哉に代わった以外は前日と同じメンバー。
GK交代の理由はわからない。

試合は両チームとも激しい闘志を見せ、球際の争いでも一歩も譲らない展開。
イランの6番が開始早々強烈なシュートを放つが、GK阿部選手がはじき出す。
20分過ぎには、ヤス(佐々木康裕)のシュートが惜しくもゴールポストを叩き、前半を0対0で折り返した。
いやあ本当に惜しかった。

しかし、もしそのままゲームが終了すれば、パラリンピックの出場が決まる。


後半に入り、トモ(黒田智成)が次々にチャンスを作り出す。
2分のシュートは惜しくもゴール左に外れ、
6分にはGKと1対1になり、押し込めるかと思われたがノーゴール。

そしてむかえた後半7分、左サイドからのイランのシュートはポストに当たったもののゴールに吸い込まれ、イランが先制点をあげた。
思わず、ピッチ脇で「あー」と声をあげてしまった。
撮影していれば、絶対に声を出すことは無いが…。

その後、ヤス(佐々木康裕)やカトケン(加藤健人)が強烈なシュートを放つが、イランのGKが立ちはだかる。
ビッグセーブの連発。
イランのGKは、コーチングでも強烈に存在感を発揮していた。

後半18分には、イランがカウンターから6番の強烈なシュートで8分に追加点をあげ、
日本は2点を追う展開となる。
終了間際、日本は第2PKのチャンスを得たもののシュートはジャストミートせず、試合終了。

日本はイランに0対2と敗れ、パラリンピック出場権を得ることはできなかった。

本当に残念だった。
パラリンピックの出場権を、手を伸ばせば届く位置まで手繰り寄せたが、イランの方に転がっていった。


黒田選手(トモ)が「(日本も)フィジカル、スキル、メンタル面などレベルアップしてきたが、イランはそれ以上に実力をあげてきていた」語るように、アジア各国のレベルはかなり上がってきているようだ。

「(日本代表がさらにレベルアップするためには)国内のブラインドサッカーが強くなることが第一。クラブチームで、一つ一つできることをやっていく」ことの重要性を落合選手が説くように、ブラインドサッカー全体の底上げが必要なのであろう。
日本代表がワールドカップに出場するためには、Jリーグの底上げが必要だったのと同じように。

「日本の力の100%は見せることができなかった、ただ選手たちは全力を出した」という落合選手の言葉通り、「本当に勝ちたい!パラリンピックの出場権を勝ちとる!」という強い気持ちが試合会場にかけつけた全ての人々の心に届いたことだけは間違いない。
 
彼らは、あきらめずに最後までプレーする姿を見せてくれた。

 


やったぜ、ブラインドサッカー日本代表 パラリンピック出場に王手!

2011年12月23日 | ブラインドサッカー

ブラインドサッカー日本代表、韓国に勝利し勝ち点3ゲット!
しかも劇的な逆転勝ち!
いやあ興奮しました。仙台まで来て生観戦した価値がありました。

寒風の中、12時前に試合会場に到着。
会場はなんと野球場。ライト付近に壁がセッティングされ、観客は一塁側スタンドから観戦。

第1試合は、すでにパラリンピック出場を決めている強豪中国とイランの対戦。
中国は前日に2-0で日本に勝利、勝ち点3を獲得。イランは韓国と1対1で引き分けている。
中国チームは2年前に観た事があるが、イランは初めて。
ペルシャ語と中国語の飛び交う中、キックオフ。
前半3分にはイランの6番が切り返しから強烈なシュート。しかし身体能力抜群の中国のGKが弾き出す。
6番の選手(シャルハビザデ?)を見て、かつてのイラン代表、アリ・カリミとマハダビキアを思い出した。共通するのは球際の強さ、そして強引さとテクニックを併せ持つこと。
6番は体の入れ方もうまく、ボールを奪われない。ドリブルも、いわゆるブラインドサッカー的なドリブルではないように見えて、ターンなども実にうまい。
過去、晴眼者のなかでサッカーをやっていたのだろうか。
しかし、その後は基本的には両チームとも1人が攻撃、3人は自陣で守り、得点の気配は見えない。(ブラインドサッカーは、4人のフィールドプレーヤーとGKの計5名でプレーする。GKは晴眼者)。中国はシュートも放てない。
しかし後半に入り、中国がPKを決め、1対0とイランを破った。
その結果、中国は勝ち点6で決勝進出決定。イランは勝ち点1のまま。


第2試合には日本代表が登場。観客も次々と詰めかけた。
ちなみに同時刻には、同じく仙台市内で東北ドリームスvs JAPANスターズのチャリティマッチが開催されている。
試合中は声を出した応援がほとんどできないので、試合前にサポーターが熱い気持ちを選手たちに伝える(もちろん俺も)。
1敗している日本は、この試合に敗れるとパラリンピック出場の夢が早くも絶たれてしまう。
重要な一戦が14時過ぎにキックオフされた。

先発は、アキ(田中章仁)、オッチー(落合啓士)、カトケン(加藤健人)、ヤンマー(山口修一)、GKはゴリ(佐藤大介)。

日本代表の国際試合を観るのは2年ぶりになるが、戦術的にもかなり進化を遂げている印象を受けた。
例えば2年前の大会時は、パスをつないでいくサッカーを指向してしていることはわかるものの、現実的にはパスがつながらず、攻撃が分断されることが多々見受けられた。
その時の対戦相手は中国だったが、壁を使ってGKからパスを送り、前線の選手が1人ドリブルで攻め込む中国の方が、面白くはなくともある意味、理にはかなっていた。

今回の日本代表は、他の3カ国のように1人が攻めて個人技で崩すのではなく、前からプレスに行き、機を見て2人目、3人目が上がっていったりなど分厚い攻撃を見せると同時に、GKがボールを持った時などには選手が両サイド(壁)に開き、うまく壁を使うなど柔軟性を持った進化を遂げていた。
また選手交代も、以前と比べてとてもうまく機能し、ポジションチェンジもスムーズに見えた。
ただ、攻撃から守備への切りかえが遅れたり、その際のポジショニングが悪くスペースが埋められていない場面が多々あり、失点につながらなくてもよいがというふうに試合を観ていた。

この1戦にかける日本選手の気合は並々ならぬものがあり、勝ちたいという気持ちはピッチからビシバシと伝わってきたが、気持ちが空回りした点もあったのか、ファールも多く、前半20分(くらい)には韓国に第2PKを与えてしまう。
選手や観客が祈るような気持ちで見つめるなか、韓国の選手が枠を外してくれた。
前半終了間際には、アキが素晴らしい上がりを見せ、韓国ゴールを脅かすが、前半を0対0で折り返す。

しかし後半6分、先制点をあげるたのは韓国。
薄くなったDFの間隙を縫うような形であれよあれよと言う間にゴールされてしまった。

その後、トモ(黒田智成田)が次々に韓国ゴールに攻め込む。
トモは本当に体の入れ方、使い方がうまい。
とにかくまずは1点を返さないと、パラリンピックへの道は絶たれてしまう。

そしてむかえた後半16分、日本の左CKのチャンス。
ガッツを見せていたオッチーが、ドルブルで持ち込み右足を振りぬく。
豪快のシュートがゴールネットを突き刺し、1対1の同点。
ガッツポーズも豪快だ。

その後も日本がチャンスを作り出すが、残された時間もあとわずかとなった終了間際、
トモが右サイドから持ち込んで素早い振りからシュート!
GKに当たったボールがゴール内に吸い込まれる。
日本の逆転!
観客席のほぼ全員が即座に立ち上がり、喜びを選手達と共有する。
「ヤッター」
そして終了のホイッスル。
日本勝ったー!

明日(24日)、イランに勝てばパラリンピック出場が決まる。
第1試合の韓国vs中国戦で、韓国が引き分け以下の結果に終われば、日本はイランに引き分け以上でパラリンピック出場が決まる。


試合が終わって通路を歩いていると、
前方を親子(母と娘)が歩いていて、会話がもれ聞こえてきた。

母「目の見える日本代表も、目の見えない日本代表も、同じなんだよ」

…思わず、落涙。


明日は、ブラインドサッカーの“ジョホールバル”。
イランに勝ってパラリンピック出場を決める歴史的な1戦になるはずだ。
見逃すな!
キックオフは14時だ。