サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

ドラマ『奇跡の人』とヘレン・ケラー

2016年12月30日 | 手話・聴覚障害

NHKBSで放送されていたドラマ『奇跡の人』が文化庁芸術祭でテレビ・ドラマ部門の大賞を受賞したそうで。

 以下の段落はORICON STYLEよりの引用記事。
 ロックバンド・銀杏BOYZ峯田和伸が主演し、NHK・BSプレミアムで4月~6月に放送されたプレミアム・ドラマ『奇跡の人』が、平成28年度(第71回)文化庁芸術祭でテレビ・ドラマ部門の大賞を受賞した。27日、文化庁より発表された。
 同ドラマは、重いハンディキャップを克服したヘレン・ケラーと、彼女に光を与えた“奇跡の人”サリバン先生の実話をヒントに、うだつの上がらないダメ男・亀持一択(峯田)が、目と耳に障害のある娘・海を抱え、さまざまな困難と格闘していた鶴里花(麻生久美子)と出会い、「人生で何も成し遂げていない自分がやるべきことは、この母娘を助けることだ!」と一大決心。ダメ男のいちずな想いが信じられないような奇跡を生む、正真正銘の愛の物語。  
 受賞理由として、「岡田惠和の大胆だが繊細な脚本、狩山俊輔の遊び心たっぷりの演出、主演の峯田和伸や脇を固める俳優陣の好演が光り、娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた傑作ドラマに仕上がった」と指摘。「盲ろうの少女が世界を発見していく奇跡は、私たちがこの世界を、人生を再発見していく奇跡でもある」と絶賛している。

 
 私も題材故に「観となかきゃ」ということで10月からの再放送を観ていた。ロック嫌いの人にはうざく感じられたかもしれないが、なかなか面白いドラマに仕上がっていた。無理を感じる部分もあったのだが、物語全体に寓話性を持たせたことによりうまく処理している印象だった。盲ろうの女の子がおざなりに描かれている部分もかなりあったが、盲ろうに関するポイントポイントは押さえていたように思う。欲を言えば10回ではなく6〜7回くらいの尺だとちょうど良かったのかもしれないと思った。そこは連続ドラマの難しいところで、内容によって適正回数が変動できれば良がなかなかそうもいかない。


 で、ドラマのモデルになっているヘレン・ケラーとサリバン先生について少し書き込みことにする。
 ヘレン・ケラーに関して、映画『アイ・コンタクト』を作るまでは人並みの知識しかなかったのだが映画制作を機に、ヘレン・ケラーの著作、サリバン女史の著作、ヘレン・ケラーについて書かれた何冊かの本、漫画などを読んだ。
 読んでいて印象的だったのは、ヘレン・ケラーが1歳7ヶ月までは「聞こえていた」「見えていた」ことだった。1歳7ヶ月と言えば、いくつかの単語を発し、言語が脳内に浸透し始めていく時期だろう。実際ヘレン・ケラーもある程度の単語を発していたようである。元々知的能力は高かったようでもあるし、ものに名前があるということはこの時点である程度理解できていたのではないかと思われる。そして1歳7ヶ月の時点から高熱のため、聞こえなく、見えなくなっていったようだが、全く聞こえなくなったのか?少しの残存聴力は残っていたのか? 正直よくわからない。

 サリバンと出会うのはその5年後で、その間は家庭内でのみ通じるホームサインでコミュニケーションをとっていたようである。ドラマで亀持一択が自分や母親の名前の手話を教える場面があるが、ヘレン・ケラーの場合はサリバンと出会う前からその点はできていたようだ。ただしその背後にある感情まではわからない。(ドラマでは単なるサインということではなく、親愛の情を示すコミュニケーションツールとして昇華していく様が描かれていた。)
 
 自身も弱視者であるサリバンは(荒っぽく言うと)ベルの紹介で派遣されてきた。ベルは電話の発明で有名な人物。その電話は難聴者である妻が何とか会話できるようにと開発したもので、ベル氏はろう学校の設立もしている。また強烈な口話主義者でもあったらしい。(口話主義のことは後述する)。サリバンは母親と早くに死別し父親はアル中、盲学校は卒業したが後が無いと言えば後がない状況。
 
 ともかくサリバンとのマンツーマンのやり取りのなかでヘレンは急速に文法を理解し、世の中には文字というものがあり、その文字で言語を書き現すことができるという事実を知ったようだ。それからは点字書物の乱読につぐ乱読。あるとあらゆる点字書物を読み尽くすほどの勢い。そうやってヘレンは貪欲に知識を吸収していき大学にまで進学することになる。
 
 ヘレンはベルの影響も多く受けており、口話(要するに音声でしゃべること)の習得にも情熱を燃やした。前述した口話主義とは聞こえなくてもしゃべれるようになるという主義。実際に世界のろう学校で口話教育がおこなわれ、日本でも昭和8年にろう学校での手話が禁止された。しかし実際しゃべれるようになったのは残存聴力が残っていると思われる一握りの子供たちだけであった。口話教育は(大げさでも何でもなく)人類の教育史上における大きな失敗となった。
 
 ヘレンに話を戻す。彼女はサリバンの口のなかに手を入れ、ある音の時の舌の位置はどこ、振動の具合などをチェックしくり返し発音練習したようだ。残存聴力も多少はあり活用したのではないだろうか?よくわからないが、個人的には残存聴力が少しあったのではないかと思っている。ただ補聴器もない時代であり活用できるほどの残存聴力ではなかったのかもしれない。
 
 そしてともかく不明瞭ながらヘレンは音声言語も話せるようになった。実際はごくごく近しい人しか聞き取れなかったようで、そういった人が通訳代わりとなり明瞭に言い換えたようだ。実際彼女の音声を聞いたことがあるが、不明瞭だということはわかるものの、英語なのでどの程度不明瞭なのかがよくわからなかった。

 ヘレンは生前、取り戻せるのなら聴力と視力、どちらを取り戻したいかと問われ明確には答えなかったようだが、言語によるコミュニケーションという面から聴力というような意味合いのことを語ったようだ。知性の人、ヘレンらしい返答とも言えるが、ひょっとしたら手話言語の豊潤さを理解できていなかったのだろうか。もちろん彼女は手話の存在は知っていて、日本からヘレンを訪ねたろう学校のろう教員から日本語の指文字作成の相談にものっている。当時は日本で指文字ができる前で、世界的にも有名なヘレンに意見を求めたのだ。
 ヘレンが触手話、あるいは触手話的なものをどれほど使っていたか不勉強ながらあまりよく知らないのだが、少なくとも視覚言語である手話(アメリカ手話)を見たことはなかったわけで、手話言語の持つ言語的豊かさに気付いていなかったのかもしれない。それとも多数者の言語である英語のほうが良いと思ったのだろうか。

 
 ドラマに関連づけてヘレンケラー のことに言及しようと記憶を頼りに書き始めたが、わからないことも多かった。詳しい方がおられたらご教授ください。


『JIFF(障害者サッカー連盟)インクルーシブフットボールフェスタ2016』開催

2016年12月28日 | 障害者サッカー全般

 12月24日のクリスマスイブ、東京都多摩市でJIFF(障害者サッカー連盟)主催の 『JIFFインクルーシブフットボールフェスタ2016』が開催された。
 今年4月1日に JIFFが正式に立ち上がって以来、JIFF主催の初めてのフェスティバルである。

 イベントには障がい者サッカー7団体の関係者や選手たちをはじめ、多くの健常児や障害児童、ご家族や関心のある大人達が参加。電動車椅子サッカー、アンプティサッカー、ブラインドサッカーを体験するとともに、健常者も障がい者も混ざり合うピッチで、ボールを蹴った。
 ピッチ上には、健常児、知的障害児、聴覚障害児童、脳性麻痺、片足切断のアンプティサッカーの選手達が混在。一つのボールを追いかけた。

 また在京のJリーグ(FC東京、FC町田ゼルビア、東京ヴェルディ)、なでしこリーグ(日テレベレーザ、スフィーダ世田谷)、Fリーグ(フウガドールすみだ、ペスカドーラ町田、府中アスレチックFC)等、各チームのコーチや選手、サッカースクール関係者、OGなども参加、健常児・障害児への指導、というか楽しい場作り、そしてともにピッチでプレーした。また聴覚障害のプレーヤーを中心としたチーム、バルドラール浦安デフィオからも監督、選手が参加した。

 北澤JIFF会長をはじめ、元なでしこジャパンの小林弥生さんも参加、元JリーガーでCPサッカー日本代表監督島田祐介氏もともにプレー、元日本代表監督岡田武史氏、日本代表GK川島永嗣選手は、各種サッカーを体験、プレーの難しさを体感していた。

  
 これだけの人々が集まったのも、やはりJIFFが正式に発足しサッカー協会と障がい者サッカー7団体とJFA(日本サッカー協会)が太いパイプでつながったことによるだろう。

 しかし以前より数は少なくとも、各県各地域で各障がい者サッカーが集ったイベントが開催されてきた歴史を忘れるべきではないだろう。
 例えば『メリメロ』は、「障害のあるなし関係無しに『ごちゃまぜ』 にサッカーを楽しむことができる空間作り」を旗印に活動を続けて来たが先日発展的解消をとげた。私も何度か参加させてもらった。

 また2010年に開催された別団体によるイベントには、南アフリカW杯を終えたばかりの川島選手も参加、ブラインドサッカー体験している姿が印象に残っている。
 その時のブログの書込み  
 障害者サッカーのイベントに川島選手が

 ちなみにその時、初めてアンプティサッカーを目撃。ヒッキ選手のボールタッチの柔らかさに驚いた。

 北澤会長もブラインドサッカーにかなり前から関わりを持たれて来た。ロンドンパラリンピック予選の前くらいからは煩雑にブラインドサッカーの現場でお見かけしたように思う。ブラインドサッカー版『ドーハの悲劇』も目の当たりにされていた。 

 岡田武史氏は以前より電動車椅子サッカーに関わりを持たれ、私が電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画を撮るきっかけになった日本代表の壮行試合(2011年)も観戦されていた。

 さらに言えば、岡田氏をフランスワールドカップアジア予選の真っただ中、監督に抜擢した故・長沼健JFA会長(当時)は、晩年、ハンディキャップサッカー連盟会長として知的障がい者サッカーと深く関わられた。2006年のドイツ大会ではご一緒することができた。

 そういった前史があって、今に連なっている。もちろん順風満帆な流れではなく、様々な問題を抱えながらの歴史だっただろう。


 具体的にどのイベントというわけではないが、以前のイベントでは健常者と障害者がともにプレーする、一同に会すること自体が目的のように感じられ、「楽しさ」が全面に押し出され「素晴らしいこと」で終わっていると思うことも少なくなかった。また『健常者、障害者ともに』ということを強調するがあまり各々の障害理解にはつながっていないような気がすることも多かった。

 もちろん健常児・健常者にとって何らかのきっかけになればで良いのだが、その場での疑問にも明確に答え得る人が少なく、浅い理解で満足しているように思えることもあった。

 やはり大切なのはその場で何かを感じて、その後も継続して考え続け、出来れば発信につなげることだろう。
 そのことが『サッカーなら、どんな障害も超えられる』 ということにつながっていく。

 閉会式の挨拶でも北澤会長がそういった意味合いのことを述べられている。

(以下は閉会式の岡田武史氏、北澤会長の閉会式での挨拶。当日の様子を撮影した映像をインサートしていますので雰囲気は伝わるかと思います)
 【JIFF】JIFFインクルーシブフットボールフェスタ2016 岡田武史氏、北澤豪会長コメント動画  


 私自身は当日撮影等に追われていて時間的な余裕もなかったのだが、インクルーシブのサッカーを見て思ったのは、かなりガチの瞬間が多かったこと。
健常児が障害児からガチンコでボールを奪う、障害児も懸命にボールを取り返そうとする。もちろんそこには笑顔はない。しかし真剣にサッカーを、フットサルをプレーしている姿がある。
「楽しい」って、そういうことだったりもするだろう。
 何か少しだけインクルーシブサッカーの進化形を見たような気がした。

 また健常児がアンプティの選手にパスを出す場合、足は1本しかないわけでより正確なパスが求められる。もちろんスペースへのパスもより工夫が必要だ。CP(脳性麻痺)の選手にパスを出す場合は麻痺していない方の足で受けやすいようなパスを出すべきだったり、場合によっては健常児だけでプレーしているよりもより高度な瞬間的な判断が要求されることもあるだろう。あるいは接触プレーで倒した場合、さすがにそこまでの接触はよくないと学習もするだろう。知的障害児にはあまり複雑な動きは要求できないと学習するだろう。聴覚障害児とはジェスチャーやアイコンタクトが有効だと感じるだろう。
 そうやって身をもって『障害』を 体感できるのも、サッカーを互いが真剣にプレーするからだ。 

 


横浜で映画『MARCH』上映とブラインドサッカー体験会

2016年12月08日 | 映画『MARCH』

今週末の土曜日(12月10日)横浜市港北区で短編ドキュメンタリー映画『MARCH』の上映があります。
その前には落合啓士選手も来場しブラインドサッカー体験会もあるそうです。

日時 12月10日(土曜)
9時20分~ ブラインドサッカー体験会
11時 映画映画『MARCH』の上映
(上映の前にプロデューサーであるツンさんの被災地報告会有)

場所 横浜市港北区 城郷小机地区センター

いずれも無料、当日城郷小机地区センター体育館へ。
映画上映のみの参加も可能だそうです。

詳しくは下記参照
http://www.chikusen.ne.jp/kodukue/event/detail.php?id=698