サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

精神障害者のフットサルを初めて見た!

2015年05月30日 | ソーシャルフットボール

 先週、精神障害者のフットサルを初めて見た。
5月21日に開催された『東京都精神障害者フットサル大会2015』。
障がい者サッカー協議会に名を連ねている7団体で唯一全く肉眼で見たことがない競技で、モヤモヤ感がたまっていたのでいい機会だと思い見学させてもらった。

 初めて見たというくらいなので精神障害のフットサルには当然詳しくない。まあ個人的な雑感ということでお読みください。
精神障害全般に関しても詳しくはないのですが「精神科病棟転換型居住系施設に反対する」といった内容のDVDを作る機会があり、少しは勉強しました。興味のある方は是非どうぞ。
http://www.jdnet.gr.jp/guide/Publication/yarebadekirusa.html

 
 大会はエンジョイするなかで勝利を目指すといった感じで、全国大会につながるガチンコの予選は別日にあるとのことだった。
(後日、既に東京都の予選が行われた。今年は第1回の全国大会となるので予選ももちろん初めてである)
見学した大会には17チームが参加。17チームが3つのグループに分けられ最初にグループリーグ、その後上位、中位、下位の3つのトーナメントに別れるという流れで、各チームが満遍なくプレーできるように考えられていた。また東京の場合は事業所を母体としたチームが多いようで、他の地域では病院を主体にしたチームが多いそうだ。

 試合を観始めてまず思ったのは、組織化されてているチームとそうでないチームの落差。要するに指導者(少々語弊がある言葉だが)がいるかどうかという違いで、後から聞いた話だと、職員でたまたまサッカー経験者がいるかいないかの差ということのようだった。
 組織化されていないチームのほうはそのへんでよく見かける草フットサル状態、もちろんみんな楽しそうだ。上手い人もなかにはいた。そんな選手のなかにはまわりが思い通りに動いてくれないことにより欲求不満になっている人もいるのかもしれないが、そのあたりのことはよくわからない。
 組織化されているチームは技術的にはあまりうまくなくともオフ・ザ・ボール、ボールのないところでも有機的に動けていて、そちらの方がより高みの楽しさを感じているようにも思えた。指導者である職員も、選手たちの個性をいかすことを心掛けているようではあった。なかには職員に対して少々うざい(愛着を込めて?)と思っている人もいたのかもしれないが。
この大会では職員も1名だけなら出場できたようで、少々異質な人がピッチ上にいるという印象もあった。 精神障害だからこういうプレーになるというようなことはあまり感じられないのだが、(語弊はあるかもしれないが)顔を見るとそうなのかなと思う人はたくさんいた。街中で見かけたら全く気がつかないかもしれないし、私のある種の先入観かもしれない。

 面白かったのは6人目の動き。5人でやるフットサルで6人目って何?って感じだが、女性が入れば6人でプレーすることが認められている。最初に観た試合でも、6人目の女子選手が常に前線で待ち構えていて右サイドからのグラウンダーのアーリークロスをダイレクトで見事にゴールに蹴り込んだ。(電動車椅子サッカー関係者にしかわかりませんが、その瞬間『おー、みどちゃんだ!』と思いました)。その選手にはその後も注目していたのだが、その後はあまりジャストミートしなかった。たまたまだったのかな。
ちなみに女性が入ったら6人までOKという特別ルールは、日本独自のものだそうだ。女子も入りやすいと言えるが、女子だけではチームが組めないとも言えるかもしれない。

 参加していた選手たちは、精神障害といっても様々で、統合失調症、躁や鬱や双極性障害、発達障害、薬物依存等々。一般的には精神障害の範疇に入れて良いか意見の分かれるものもあるようだ。 障害者スポーツにはリハビリ的な側面とガチンコ勝負的な側面がある。 フットサルという流動的なチームスポーツではコミュニケーションをとることなしにプレーすることは出来ないわけで、リハビリに適しているとも言えるのかもしれない。選手によっては、フットサルのレベルなど関係なくピッチに立っていること自体が相当なリハビリとなっている人もいるだろう。もっと言えばフットサル場に来ること自体がリハビリになっている人もいたのかもしれない。また別の選手は勝つための戦術(そんなに大げさなものではなくとも)を理解し、ある意味一つの社会とも言えるピッチ上で自らの役割をこなし一つ一つのプレー選択していくことを通してリハビリにつながることもあるだろう。まあ要するに、ガチンコ勝負だからこそリハビリにつながるということもあるだろうということだ。
  精神障害のリハビリの先にあるものは就労などの社会復帰ということだろう。通院しながらという場合もあるだろうし、場合によっては通院する必要がなくなり手帳を返納する場合も少なからずはあるのだろうか。その場合は精神障害フットサルを『卒業』したということか。将来、精神障害のフットサル日本代表、あるいはサッカー日本代表チームなどか結成された場合、『卒業』した選手たちは代表に選ばれる資格を失うということになるのだろうか。それは嬉しい悲鳴?
 また『卒業』した選手たちがクラブチームなどに残り、ロールモデルとしてともにプレーし続けることの意義も大きいかもしれない。
(クラブチームという形態をとっているチームも数は少ないがあるようだ)

 日本ソーシャルフットボール協会のHPには「サッカーやフットボールを通じて、人とつながり、社会とつながり、世界とつながること」という言葉が書かれている。(ひょっとしたらサッカーやフットサル?まあそれはともかく)
主語は精神障害者だと思うが、『健常者』である私自身もサッカーを通じて、出会うはずのない人と出会い、出会うはずのない社会、そして世界とつながってきた。サッカーがつなげてくれたとも言えるのだが。例えば知的障害者サッカーの選手たちを撮影で訪れた際、どうしたら良いかわからなくなった時はただボールを蹴りあっていた。そこから始まった。
 「障がいのある人もない人も、ともに…」という言葉はとっても苦手なのだが、精神障害者と『健常者』が偏見なくフットサルが出来る状況が形作られれば、素晴らしいとは思う。そしてまた精神障害者のみで構成されるチームの存在意義も大きいと思う。

 なんだかちょっとよくわからなくなってきた。見た以上のことを書き過ぎました。


 7月には全国大会へつながる関東予選があるそうで、今度はガチンコ勝負を観戦したい。
 第1回ソーシャルフットボール全国大会は10月3日(土)~4日(日)、名古屋で開催予定。
 日本ソーシャルフットボール協会HPは http://jsfa-official.jp/index.html



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フットサル大好き)
2016-06-07 22:26:19
はじめまして。
とても興味深く記事を読ませていただきました。

自分もフットサルを通じて出会うはずのない人と出会い、世界が広がりました。
東久留米の精神障害者と健常者がともにフットサルを楽しもうというチームに所属しています。

障がいのある人も無い人もともに…と言う言葉が苦手だと言うところが興味深く感じられました。

またブログ拝読させて下さい。
返信する
Re:Unknown (kazuhiko-nakamura)
2016-06-21 15:51:27
記事を読んでいただき、ありがとうございます。
障がいがある人も無い人もともに‥、と言った瞬間から多くのものがこぼれ落ちていくような気がしています。
返信する
スタッフも人間だから (高知県)
2017-03-07 16:19:38
精神障害は克服出来てませんが、フットサルを辞めました。病院の組織、また病院の仕事に携わるキャプテンの構図に差別を感じてしまったからです。高知県の女性でも私ははちきんです。
キャプテンに『友達ではないから』なんて言われちゃうと、組織的に自分の居場所はここじゃないんだなと感じました。今は健常者(経験者)と二人でフットサルをして強くなることが目的です。組織、個人、自分に合った形で社会と繋がって行く方法を生み出せばいいですよ。サポートしてくれる人が必ず必要ですけどね\(^o^)/
返信する
臭いものには蓋をしろ!かな。 (tunagu)
2018-01-25 14:28:47
選手は本当に楽しめているのだろうか。日本ソーシャルフットボール協会にもコメントされていますが、精神障害者フットサルチームは問題視されていないパワハラ、モラハラ、いじめはあります。ボール一つで障害は乗り越えられる!と言われても、軽々しく感じます。
返信する
citrangs tossa 告発 (Unknown)
2018-02-10 13:38:35
海辺の杜 近森病院のstaff(藤戸病院)連携

海辺の杜 過去、入院患者から400万窃盗事件(准看護士)

近森病院 元院長 中学生男子に淫らな行為逮捕

選手の半数以上 近森病院
返信する
感謝 (匿名)
2018-09-04 19:47:29
ご縁が合って人とつながる。人の人生なんていつどうなるかなんて誰も解らない。
今、練習させてもらえる環境や教えて頂けることに感謝をしています。
職員が選手をウザイと思うならそれは仕方がない。気づきかも知れないがウザイと感じるなら繋がらないように放念すればいい。
人との繋がりは自ら行動を起こすことで奇跡に出逢えるかも知れない。私は私を支えてくれた皆様のお陰で随分成長することが出来ました。
返信する

コメントを投稿