サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

浦和レッズ ACL優勝おめでとうございます

2017年11月26日 | サッカー

浦和レッズ ACL10年ぶりの優勝!
昨夜(11月25日)は、ACL決勝第2戦浦和レッズvsアル・ヒラル戦を生観戦した。

浦和レッズのサポーターというわけではないのだが、10年前のACL優勝の際にはDVDを制作、編集ではレッズのチャントに“洗脳”され続けてた。実際、完成後も脳内にチャントが住みついていて何気ない時に頭をよぎったりということが多々あった。

それはともかく、以下のようなことをFacebook用に書き込みながら埼玉スタジアムに向かった。
 代表戦やACLなど撮影のためピッチレベル(つまり選手に近い位置)にいたことがそれなりにあるが、観客サポーターのエネルギーや迫力を一番感じたのはテヘランで開催されたドイツW杯予選のイランvs日本。日本にとっての超アウェイ、イラン人のパワーってどうなってんだ!という強烈な思い出がある。通路にもぎっしりと人が座っていたりと人数の多さも一因としてあった。
2番目が10年前の埼玉スタジアムACL準決勝、浦和レッズvs城南一和戦。延長PKにもつれ込んだ試合だったが、レッズサポーターの後押しする迫力が凄かった。
そして今夜はACL決勝、スタンドからの生観戦。
浦和レッズ、10年ぶりの優勝なるか!

いやあサポーターの後押しが凄かった。
コレオグラフィによるビジュアルサポート、ホームゴール裏は2007年優勝を表す星、逆側には2017年優勝の星が描かれ、バックスタンドにはACLの優勝トロフィー。もちろん優勝を後押しするビジュアルだ。
ハーフタイム明けには肩を組み飛び跳ねつつの「歌え浦和を愛するなら」。スタンドが揺れていた。

0-0でも優勝のレッズのフォーメーションは4・3・3・というより、柏木と青木のダブルボランチの4・2・3・1だっただろうか。第1戦とは異なりラインも高めに設定され、トップ下に入った長澤の前線からの守備がとても効いていた。長澤と柏木の距離感も良く、柏木も守備面でもとても効いている印象だった。

しかし後半10分過ぎから長澤に疲れが見えてくる。運動量も多く、球際でも激しく闘った影響だろうか。長澤は相手を追うのだが、後追い的な走りで効果的なプレスにならない。全体も若干間延びし中盤でアル・ヒラルの選手たちがフリーでボールを持てるようになり、そこを起点にチャンスを作り出す。レッズからみるとピンチの連続。レッズの耐えどころであった。
「疲れの見える長澤を代えたほうがいいんじゃないのか?」などと個人的には思ったが、堀監督の打った手は、長澤のポジションを下げ柏木を上げるというもの。
中盤の底に入りそれほど走る必要のなくなった長澤は息を吹き返し青木とともにスペースを埋め、アル・ヒラル選手相手に球際で体を張った力強い守備を見せる。
レッズの劣勢の時間帯、そして的確なポジションチェンジは、この試合の肝だったのではないだろうか。

その後、興梠が下がり、柏木とラファエルシルバの2トップのようになる時間帯もあった。
レッズゴールに迫れなくなったアル・ヒラルはいら立ちを募らせ退場者を出す。その後、ラファエルシルバの歓喜のゴール!
そして優勝!

と、ここまで書いてきてふと思い出したのだが、7~8年前、手話で「好きな選手は誰?」と聞かれたことがある。「ストイコビッチ」としどろもどろの指文字で答えたが「現役選手で誰が好きなんだ?」と再質問された。音声日本語で聞かれていたら「あの選手も好きだけど、この選手のこんなプレーも好き」というように能書きをたれていたかもしれないが、そんなことを語る手話力は当時の私にはない。シンプルに答える必要があり、思い浮かんだのが「あべ」。「俺って阿部選手が好きだったんだ」と思ったその阿部選手は、2007年と今回の優勝でピッチに立っていた唯一の選手。

浦和レッズ、優勝おめでとうございます。
海外遠征の際、食事面でサポートした西シェフもお疲れ様でした!


障がい者サッカーとウォーキングフットボール

2017年11月18日 | 障害者サッカー全般

今日(11月18日)は東京都杉並区の『障がい者サッカー』のイベントへ、ご近所ということもあり顔を出して来た。
最初に障がい者サッカー連盟北澤会長や各団体の選手関係者によるトークセッション、その後エキシビションマッチ、体験会という流れ。
 
これまでいろんな場で、各障がい者サッカーの選手たちや健常者のサッカー少年が入り混じるエキシビションマッチを見てきたが、理念としては素晴らしくても正直無理があるなあと常々思ってきた。誰かがかなり空気を読んでプレーしなくてはならなかったりで。
また電動車椅子サッカーとブラインドサッカーの選手はともにプレーすることは難しかった。
 
今回は障がい者サッカー4団体(アンプティサッカー、ろう者サッカー、CPサッカー、電動車椅子サッカー)以外にも日本ウォーキング・フットボール連盟が参加しているということで、エキシビションマッチはウォーキングルールで行われた。つまり「走っちゃダメよ」というルール。ヘディングも禁止。ボールは電動車椅子サッカーの7号球を使用。
 
そういったルールは多くの参加者にとってはかなりのかせとなり、真剣にやってもなかなかうまくいかないようだった。
 
これならば電動車椅子サッカーの選手もともにプレーできる。いいクロスボールがくれば豪快な回転シュートも披露できるだろう。もちろん電動車椅子サッカー選手にはある距離以上には近づかないという注意は絶対に必要だが。
通常の歩く一歩よりもアンプティサッカーの選手の一歩のほうが大きく、有利に働く局面もありそうだ。
総じてブラインドサッカー以外の6団体の競技者はさほど無理なくプレー出来そうだ。ブラインドサッカーの選手も声でのコミュニケーションを周知すればやれなくはないと思う。場合によってはガイドとともにプレーするなどのやり方もあるだろう。
もちろんデフ(聞こえない聞こえにくい)の選手とブラインド(見えない見えにくい)の選手との橋渡しは必要になってくる。
 
今日のサッカーはフットサルのゴールで行われたのでゴールキーパーは時々空気を読む必要があった。ケースバイケースで少年サッカー用のゴール、場合によっては通常の11人制のゴールを使ったりすれば、GKもガチンコにならざるを得ないだろう。
 
ウォーキング・フットボールは高齢者や人工股関節の人々も楽しめるサッカーだが、障がい者サッカーとウォーキング・フットボールの組み合わせはなかなか面白いことになるのかもしれない。



“電動車椅子サッカーの”有田選手、ボッチャの日本選手権で3位に!

2017年11月14日 | 電動車椅子サッカー

先週末11月11日~12日、大阪で開催された『第19回日本ボッチャ選手権大会』に行って来た。

ボッチャとの接点は横浜の障害者スポーツ文化センターラポールで時折見かける程度でさほどの関心もなかったのだが、電動車椅子サッカーをプレーしていた有田正行さんがボッチャを始め、さらには予選会を勝ち上がり選手権大会に出場することを知り、「行くしかないだろう」ということで大阪府民共済SUPERアリーナまで行って来た。

脊髄性筋萎縮症の有田選手は電動車椅子サッカーを長らくプレー、2011年にフランスで開催された第2回ワールドカップには代表選手として出場、アメリカの選手とともに大会得点王にも輝いた。その後も日本代表候補選手として選出され続けていたが、2017年の第3回アメリカワールドカップの最終メンバーには選ばれなかった。
その後、彼はボッチャを始めたという。
(もう少し詳しい経緯は、電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画のなかに取り込みたいと思っている。)

(以下、ボッチャのあまりうまくない説明が続きます。ボッチャをご存知のかたは適当に流してお読みください。)
大会への予習として練習会に一度顔を出しボッチャの理解に努めたのだが、ボッチャは簡単に言えばターゲットとなる白いジャックボールに自分のボールをいかに近づけるかという競技。6球のボールを投げたり転がしたりして、その時点でジャックボールに近い位置にあるボールの選手が得点を得る。相手の最も近いボールのさらに内側に入っていたマイボールの数が得点となる。個人戦は、そのエンドを4回おこなって最終的に得点が多いほうが勝ちというルール。
得点の換算など詳しくはボッチャ協会のHPなど参照。

 1エンドあたり6球を投げたり転がしたりすることから大会のパンフレットには、“六球入魂”と書かれている。単純にジャックボールに近づければ良いというものではなく、六球で相手のボールを弾き出したり自分のボールでガードしたり様々な駆け引き、戦術がある。

 ボッチャのクラス分けはBC1,2,3,4の4クラス。
脳性まひを始めとする脳原性疾患を対象としたものが、障害の軽い方からBC2、BC1、BC3。
非脳原性疾患、つまり筋ジストロフィー、脊髄損傷、頸髄損傷、脊髄性筋萎縮症等を対象としたものが、軽い方からBC4、BC3。
つまりBC3のクラスが最も重い障害ということになる。
その他、日本独自のものとしてオープン座位とオープン立位がある。

リオパラリンピックで銀メダルを取ったのはBC2とBC1の団体戦。BC2の杉村、廣瀬両選手は報道でも目にすることがあり、実際大会でもその2人をテレビ局等が追っていた。

BC3とその他のクラスの大きな違いは、BC1,2,4が自分の手で投げる(蹴る場合もあるらしい)のに対して、BC3はランプ(あるいはランプス)と呼ばれる勾配具を使用して転がすという点である。
競技者は手や棒、ヘッドポインターと呼ばれるリリーサーなどを用いて、ボールをリリースする。

電動車椅子サッカーとの比較で言えば、電動車椅子サッカーのクラス分けで相対的に軽いPF2に相当するのが、ボッチャのBC1、BC2、BC4。電動車椅子サッカーのPF1に相当するのがBC3という印象だった。

前述した有田選手はBC3に参加した。
BC3では、競技者が競技アシスタントへランプの角度やボールを転がす高さを指示、アシスタントは言われたままに実行する。またアシスタントはコート内の状況を見てはならず、まさに競技者の手足となりアシストする。
有田さんのアシスタントは妻の千穂さん、もっとも信頼できるアシスタントである。

BC3には予選会を勝ちあがってきた16名の選手が参加、4人ずつ4つのグループに分けられた。1日目は予選リーグを戦い、2位以上の選手が2日目の準々決勝へと進出する。

有田選手のグループはリオパラリンピック出場の高橋和樹選手、10月に開催されたバンコク世界オープンに参加した周藤穂香選手など強豪揃い。難しい戦いが予想されたが、第一試合は7対2と周藤選手に勝利、そしてなんと高橋選手も6対3と破った。この勝利には驚いた。関係者の間でも話題になっていたようだった。
そして第3戦の加藤稚菜選手を10対0と退け、なんと予選リーグを1位通過。準々決勝へと駒を進めた。

戦評を語るほどボッチャに詳しくないが、電動車椅子サッカーで様々な場を経験してきたことが落ち着きにつながっているという印象はあった。あまり体調はよくなかったようだが、よくないなりの乗り越え方も夫婦はわかっているだろう。
翌日の決勝トーナメントは呼吸器をつけて臨んだ。

準々決勝の相手は田中恵子選手、前回大会準優勝、過去日本代表選手として国際大会にも参戦している。
試合は有田選手が順調な滑り出し、ミリ単位の勝負となったエンドも有田選手が取り、第3エンドを終えて5対0とリード。しかし最終エンド田中選手が猛追、同点タイブレークも覚悟せざるを得ない状況となったが、辛くも5対4と逃げ切り準決勝進出を果たした。

準決勝の対戦相手は河本圭亮選手。2011年の大会ではBC4クラスで準優勝の経験もある。その後、筋ジストロフィーの進行とともにBC4からBC3へとクラスを変更している。
ヘッドポインターでボールをリリースする河本選手の気迫がすさまじかった。
第一エンドは河本選手が最終投球6球目の逆転でポイントゲット、ミリ単位の勝負で1点を先制する。しかし第2エンドは有田選手が3得点、3対1と逆転。続く第3エンドは河本選手が2点を返し、3対3の同点となり勝負は最終エンドへもつれ込む。
最後は河本選手のスーパーショット(ショットという言葉が適切かどうか不明)が決まり準決勝を制し、有田選手は3位決定戦へ回った。

3位決定戦では北澤和寿選手を9対0と破り、有田選手は初出場にして選手権大会3位に輝いた。

「何とか予選リーグを突破してベスト8までいってくれるといいけどなあ。敗退したらそのまま帰京するか?どうしようかなあ?」
などと失礼なことを考えていた自分が恥ずかしい。

有田選手のボッチャでの活躍から目が離せません。

『ふじのくにボッチャ大会』での有田選手 (撮影 鈴木薫)