サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

富山第一の優勝と障害者サッカー

2014年01月14日 | サッカー

高校サッカーは、富山第一が劇的な逆転劇で優勝。
TV観戦していたのですが、優勝後の監督インタビューで「障害者」という言葉が出てきて、「何?何??」ということで気になってちょっとだけ調べてみました。

監督さんが、いろんな人に触れ合うことを大切にされている方のようで、その考え方の延長として障害者も参加する大会にこの何年か部員も参加していたようです。

「障害といっても何の障害?いろいろあるけれど」

選手のインタビューによると「松葉杖をついていたり、筋肉がなかったり、耳が聞こえなかったり、しゃべれなかったりする人」ということみたいで。

で大会のことを調べてみたら、富山で健常者、障害者、老若男女を問わずサッカーを楽しもうというアミザーデサッカー大会という大会でした。14回を数える大会で、アミザーデとはポルトガル語で「友情」を意味する言葉のようです。
CPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)の選手などが参加していたようで、障害の程度は幅広いようです。

選手はそういった経験を通じて良い刺激を受けていたようで、きっと優勝に至る一つの力になったのでしょう。


追記
その大会を通じて知り合った障害を持つ選手などから、ミサンガの贈りものや応援のメッセージなどもあったようで、目に見える形でも力になったようです。
CPサッカーの選手は元日本代表の選手なども含まれていて、考えてみたらCPサッカーの日本代表の合宿などで見た選手でした。
優勝インタビューを聞いた時は号泣したそうです。

最近CPサッカーはご無沙汰していて、今度是非見学に行きたいと思います。


ついでといってはなんですが、高校サッカーと障害者サッカーとの関わりを少し。
「プライドinブルー」に出演したGKの加藤君(知的障碍者サッカー日本代表選手)は秋田商業で以前練習していました。秋田商業の生徒ではありませんでしたから、正式な部員ではありませでしたが、強豪校の選手に揉まれ練習に励んでいました。撮影もしたのですが、映画には使用せず。やっぱりあった方が良かったかなとちょっぴり後悔した場面でもありました。

ろう者サッカー日本代表で言えば、秋田商業や鹿児島実業など強豪校の部員だった選手もいました。



 


プライドinブルー ヨコハマフットボール映画祭で上映

2014年01月13日 | 映画

私の監督作「プライドinブルー」がヨコハマフットボール映画祭のプログラムの一環として、久しぶりに上映されます。
2月11日(火・祝)11時~ 場所はもちろん横浜。

詳しくはヨコハマフットボール映画祭のHPで確認してください。
http://yfff.jp/

映画「プライドinブルー」をご存知ない方のためにちょっとだけ説明しておきます。
オリンピックの後に同じ地でパラリンピックが開催されるように、サッカーワールドカップの後に知的障害者サッカーの世界大会が開催されます。
2006年にドイツワールドカップが開催されましたが、その後開催された知的障害者サッカーの世界大会に出場した日本代表チームを追ったドキュメンタリー映画が「プライドinブルー」です。

今年はブラジルワールドカップ、そして知的障害者のワールドカップも開催されます。
2006年当時より、明らかにパワーアップしたわれらが日本代表チームがブラジルに乗り込みます。
そんなこともあり上映していただけることになりました。
チームについてはいずれまた紹介しますが、まずは映画を観てください!
当日、私も行きます。
他の、サッカー映画も観たいし!

ちなみにヨコハマフットボール映画祭では、記念すべき第1回のオープニングで映画「アイ・コンタクト」を上映していただきました。
ところが上映の時に会場に行けなくて、とっても残念な思いをしました。
ちょうど、その時、イタリアでザッケローニ監督にインタビューしていたんです。アジアカップ終了後の取材でした。

ところで「プライドinブルー」には、選手団団長であった故・長沼さんも出演されています。
チームの球拾いをされている姿はとても印象的でした。
TV中継された地元ドイツと日本の開幕戦を見たデッドマール・クラマーさんから長沼さん宛に「日本代表かく戦うべし」といった熱いメッセージが届いたことも思い出に残っています。
そこは映像化していないのですが…。

2月11日、ヨコハマで会いましょう!

 


再び鳥取県手話言語条例のCMについて

2014年01月10日 | 手話・聴覚障害

先日、鳥取県手話言語条例のCMについて書き込みました。

実はCMは公開後すぐに見ていて、ミスと指摘されている点にはすぐ気が付きました。
ただ、手話言語条例の制定は画期的なことであり、取り立てて言うほどのことではないんではないか、手話言語条例という大きなうねりのなかでむしろ水を差すことになるのではないかとも思い、書くこともしゃべることもしていませんでした。
しかし新聞報道がされた以上、発信すべきだと思い書き込みました。

ミスしたことを責め立てたり個人や団体を批判するというつもりは全くありませんでしたが、結果としてそう見えてしまう側面があったかもしれません。そして(影響力は少ないかもしれませんが)水をさしてしまったかもしれません。
また言葉足らずの面もあり、あえて再び書き込むことにしました。

何よりもまず、私自身が映像表現に関わる人間であり、手話を学び、学び続けている者だからです。

ある意味、全国のトップを走る手話言語条例を制定した鳥取県のCMをきっかけとして、いろいろ考えさせてもらう。
そういうことでもあります。

私が気になった点、というより関心を持った点は、どのようなコンセプトでこのCMが考えられ、そして何故ああいう手話表現が選ばれ、そのためにどういう演出がなされたのかという点です。
私にとってはCM内の、人によっては些末なことと思われる点が重要であったりするわけです。

一つずつ見ていきます。
まずコンセプトです。
広く言えば、手話言語条例を広く世の中に知らしめることです。
そしてCMのなかで間違いなく必要なものは手話です。大きく分ければ、3通りが考えられます。
ろう者が出演し、手話表現をする。
聴者が出演し、手話表現をする。
ろう者と聴者がともに出演し、それぞれ手話表現をする。

それぞれ一長一短はありますが、手話とは縁がなかった聴者が手話を学び始めた、そういった方向性が選ばれたわけです。
聴者である鳥取県出身の松本若菜さんに出演してもらい手話表現をしてもらうことで、県民の方々が親しみやすいような作りを狙ったのでしょう。

次の段階として、彼女にどういう手話表現をしてもらうのか?
その点は極めて重要で、様々な議論も必要でしょう。
誰が決めるのかという問題もあります。
日本手話なのか、しゃべりながらの日本語対応手話なのか、日本語対応手話であるが声は出さないのか、その他いろいろ考えられます。
日本語とは別の言語を強調するのであれば、もちろん日本手話が選ばれるべきでしょう。

一つの考え方として、彼女が鳥取県内の手話講習会で学んだ人と設定し、考えるのはありだと思います。
今ある現状から考えるということです。
例えば手話講習会で1年あるいは2年学んだ者の設定にして、そのことをもとに手話通訳者やろう者が手話表現を考える。
コンセプトが明解になれば手話通訳者やろう者も考えやすくなると思います。

CMでは、結果としてしゃべりながらの手話が選ばれていました。
何故かははっきりとはわかりません。鳥取県の手話講習会ではしゃべりながら手話を学んでいるのかもしれません。
でももし違うのであれば、少なくとも声は出さない方が良かったのではないかと思います。
手話は日本語とは違う言語であると言われてても、CMで日本語をしゃべっていたら
「なんだ日本語しゃべってんじゃん」
という印象を与えるからです。そういう印象も大切なのではないかと考えます。

もちろん、日本語をしゃべりながらであっても手話単語を織り交ぜる。
スタートはそこからでも構わない。
小さくとも、まずはその一歩を踏み出すことが、手話言語条例が理想とする社会への第一歩だ。
そういった考えもあると思いますし、このCMもそういうコンセプトで作られたのでしょう。

実は恥ずかしながら、手話言語条例の全文を読んでいませんでした。
遅ればせながらやっと読みましたが、感動的といってもいい内容でした。
そこに向かって進むんだ! そういう固い決意が見えるような内容です。
鳥取県のHPで読むことができます。

条例では、手話使用者としてのろう者という言葉は出てきますが、聴覚障害者、中途失聴者、難聴者という言葉は一切出てきません。
中途失聴者、難聴者にも配慮して、CMでは声を出すという風になったのかもしれません。

次にいきます。
彼女がその手話表現をおこなうために何がなされたのかという点です。(前述したことと多少だぶる点もありますが)
見た印象を一言で言えば、手話指導の方の手話を懸命に覚えて表現した、その違和感がありました。
手話は真似から始まりますが、うまい人の手話を真似しているだけで彼女の手話に見えない、そういった印象です。
自分としては、ミスと指摘されている箇所よりもむしろ気になった点です。
手話がたどたどしいから違和感があると言っているわけではありません。
CMのために映像を見て練習したふうにしか見えなかったということです。
もちろんそれが何か問題?と言われるかもしれませんが、私は気になってしょうがなかった。
自然には見えなかった。狙いがよくわからなかった。
それだけのことです。

例えば、予算と時間があれば、彼女が実際に手話をより学んで、彼女の手話で語る、そういったことも出来たかもしれません。


CMはミスが指摘された後、即座に訂正されたようです。
今後はミスがないように「今回の件を反省材料として、事前に関係団体で確認してもらうことを徹底する」そうです。
もちろんミスはない方が良いでしょうが、今後、ミスがあってはいけないという硬直的な議論ではなく、今回の件がもっともっと開かれた議論のきっかけになれば良いのではないでしょうか。

この件とは違いますが、制作サイドは充分に内容を理解し噛み砕いて作っていてミスではないにもかかわらず、監修者や関係団体の言うとおりにしなくてはならないことがあります。
まさかそうなることはないでしょうが。


鳥取県手話言語条例のCMに間違い

2014年01月07日 | 手話・聴覚障害

 昨年10月8日、鳥取県の県議会で手話言語条例が可決されました。
全国で初めてのことで、とても素晴らしいことですが、CMに手話の誤りがあったようです。
経緯は日本海新聞で知ったのですが、文末に記事を引用しておきます。

 きちんとした検証も必要かと思い、CMの手話を書き出してみます。
というより、自分自身がどうなっているのか気になるので書き出してみます。自分の手話力はとりあえず棚にあげさせてもらいます。

 CMの手話は日本語ををしゃべりながら、手で手話単語を表出しています。ですから当然日本手話ではありません。
具体的に見ていきます。
 その前に手話を知らない方に最初におことわりしておきますが、手話単語は地方によって違ったりします。またろう者によってもかなり表現が違う場合もあります。まあこういう公式的なCMは教科書的な単語にした方が良いとは思いますが。
また(手の動き)のスラッシュ/とスラッシュ/の間が手話単語です。本来は手話単語でなくラベルと呼ぶべきでしょうが、ここでは手話単語と呼ぶことにします。

最初に音声日本語の部分を書き出してみます。

「私は手話を始めました。聞こえる人も聞こえない人も、手話でお話したり支え合うことが出来たら、もっと素敵な鳥取県になると思いませんか?私もがんばります」
「はじめまして、私の名前は」(この箇所に音声はありません)

次に手の動きも詳しくみていきます。

 (音声)   私は手話を始めました。
 (手の動き) 私/手話/始める/~ました  

 (音声)聞こえる人も聞こえない人も、
(手の動き)健聴者(=聞こえる人・聴者)/聾(ろう)/いっしょ  
*記事によると以下の指摘があったそうです。
 「聞こえる人」と表現する部分。口と耳の前に差し出した指を体から遠ざけて表現すべきところを、逆に外側から体に近づけて表現している。確かにそうなっています。
 但し、流れで逆になる場合もあると思います。多くの人が意味は掴めると思います。私とてしてはむしろ、ろう/いっしょ の流れに違和感がありました。聾を表現した後に一度手を大きく広げるので幻惑されてしまいそうになりました。

(音声) 手話でお話したり支え合うことが出来たら
(手の動き)手話/お互い話す/助ける/助けられる/時 
*お互い話すというのは、口話でしゃべっているという動きです。
*助ける/助けられる では、左手の親指は立っていません。それよりもむしろ右側の動きにメリハリがなく、するっと回転するので、そちらの方が気になってしまいました。
*時は、一瞬何か読み取れませんでした。

(音声)もっと素敵な鳥取県になると思いませんか?
(手の動き)もっと/良い/鳥取/県/なる/思う/~ですか?
*鳥取は、顔の前で親指と人差し指を2回合わている。鳥取の手話表現は、鳥と取るという手話の組み合わせです。
 鳥はまだしも、取るはかなりわかりにくいです。私自身も音声を聞くか、口形を読まないと鳥取とはわからないかもしれません。むしろ岐阜と思ってしまうかもしれません。
 県もわかりにくいと言えばわかりにくかったかもしれません。

(音声) 私もがんばります
(手の動き) 私/も/がんばる

 (音声無し。発声はしているが、演出上別のナレーションに置き換えてある。口形は「はじめまして、わたしのなまえは」)
(手の動き)初めて/ あいさつ /私/名前
*普通は、初めましては、初めて/会う という単語で表現します。初めて/ あいさつは、普通に考えたら間違いだと思います。
 初めてには、左手は添えてありませんでした。添えなくても通じます。ろう者は左手を添えていない場合も多いです。
 教科書的に言えば、左手は添えます。
*名前は、関西というか東京とは違う表現の名前です。

 以上。
単語の違和感について書き記しました。


ところでCMの手話を一番最初に見た時の正直な印象は、「しゃべりながらか…」でした。
以前は、手話講習会では喋りながら手話単語を表出するというものが多かったようですが、最近は声を出さないふうに変化してきています。もちろん最初から日本手話をナチュラルアプローチで学ぶということもあるわけですが。ちなみに、音声日本語とは違う言語である日本の手話は、日本手話です。
個人的には、しゃべりながらの手話はとってもむずかしく「名人芸」の世界だと思っています。例えば、しゃべりながら、尚且つ聞こえない人にも見やすい手話(間をおいたり、手話独特の文法を盛り込んだり…)だったり、とても今の私には出来ません。やるとすれば聞こえない人の読唇力に頼るしかありません。

手話がわからない人は、読んでいて何が何だかわからなかったかもしれません。
手話をめぐっては様々な考え方もあり、ここではこれ以上書きません。


またCMをめぐっての経緯は何となく想像は出来るのですか、憶測でしかないので書きません。

 今後は監修をつけるとありますが、詳しい方にチェックを受けるべきなのは当然です。 しかし全体の方向性を決めるのは誰なのか? このへんをごちゃ混ぜにしてはならないと思います。

  しかしまあ制作サイド、つまりCMを作る側がある程度手話を理解していれば、過ちは防げるわけで。

啓発用DVDも制作されたようなので、手話に対する理解はある程度あったとほ思うのですが。

今後、全国の自治体でこういったCMを作る場合は、
「是非、私にCM撮らせてください!」


(以下 日本海新聞からの引用しておきます)
 鳥取県が県手話言語条例の制定をPRするテレビCMで「手話の一部が誤っている」と、ろうあ団体などから指摘されていたことが6日、分かった。県は手話指導や収録を制作会社に任せており、放映前のチェックで間違いに気付かなかった。CMは県のホームページで閲覧可能で、県は注釈を加えるか公開を取りやめるか検討している。
 CMは米子市出身の女優松本若菜さんが出演し、手話で条例の意義を呼び掛ける内容。昨年12月3~9日にかけ、山陰の民放3局が36回ずつ、計108回放映された。
 間違いを指摘されたのは、松本さんが手話で「聞こえる人」と表現する部分。口と耳の前に差し出した指を体から遠ざけて表現すべきところを、逆に外側から体に近づけて表現している。「はじめまして」も「会う」が「あいさつ」になっていた。関係者によると「支え合う」や「鳥取」を表現する際の手の位置など、ほかにも違和感のある部分があるという。
 CM制作費は790万円(啓発用DVD作成費含む)。県はコンペを経て米子市の制作会社に委託し、松本さんへの手話指導は同社が依頼した元手話通訳者が実施した。11月末に県の担当者が動画をチェックしたが、分からなかった。
 県障がい福祉課は「収録までの時間がなかったのも一因。県ろうあ団体連合会の関係者に立ち会ってもらえば防ぐことはできた」と反省し、今後は同団体に監修してもらう。
 県内のろう者の女性は、松本さんを擁護した上で「県だけが前に進むのではなく、手話を使う私たちに確認してほしい。一緒に進んでこそ意味がある」と指摘している。


手話による社会福祉士試験向けのセミナー~日本手話の方がわかりやすい

2014年01月06日 | 手話・聴覚障害

手話による『社会福祉士』『精神保健福祉士』の国家試験のためのセミナーを受講してきました。
どちらの試験も受けるわけではなく、また受験資格もないのですが、手話の勉強と介護職員初任者研修の復習のために受けたわけです。

行って大正解!
発見というか、『目からうろこ』としては、具体例などは「日本語よりも日本手話の方がはるかにわかりやすいこともある」ということ。
理解するにあたって日本語化する必要がないというか、逆に言えば日本語化しない方がわかりやすいとも言えるかもしれません。
例えば、病気のことなどは。
その他も良い具体例であれば日本手話の方が具体例を再現しやすく、「なるほどー!」って感じでした。
もちろん自分が表現することは出来ません、というかド下手です。
日本手話が流暢な人がやれば、わかりやすいということです。
日本語対応手話ではそうもいきません。
もちろん日本語対応手話が必要性な局面もあるでしょうが。


理屈の部分になると日本語の方がわかりやすい箇所もあり、「使い分けだな」と思いました。

ちなみにセミナーでは、手話だけでなくパワーポイントも効果的に使われてました。

本当に試験を受ける人には申し訳なかったのですが、自分としては、手話の読み取り練習にもなり、「なるほどー!」という点も多く、年明けから有意義な1日でした。

最初は高校サッカーの準々決勝に行くか、セミナーに行くか迷ったんですけどね。