聞こえない映画監督である今村彩子さんとアスペルガー症候群でうつもある女性(まあちゃん)の〝心の越境ドキュメンタリー映画〟『友達やめた。』を観てきた。
今村監督の作品はずっと観ている。以前は監督自身「聞こえない人の世界を知ってほしい。外に向かってメッセージを送りたい」というスタンスだったようで、俺みたいに聞こえない聞こえにくいことに関することは何でも観る、読みたい立場からするととても貴重な映像だったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ところが前作「スタートライン」あたりからは「自分の中に入っていく感じ」になったようで映画として俄然面白くなり、むしろ外(聞こえる人)に向かった映画となっていった。
今作は、小学校で給食を作り時には手話通訳をこなすアスペルガー症候群のまあちゃんのリアルな姿を描いた良作。今村監督は「このままでは、まあちゃんを撮っているのではなく、アスペを撮ってることになってしまう…」と思い悩み、二人の距離は離れたり急接近したりしながら撮影は続いていく。
充分に面白い作品だったが、前作ほどにはすんなり入っていけない面もあり、かなりもやもやも残った。
聞こえないことによるコミュニケーションの断絶は今作ではない。映画を観るまで知らなかったがアスペルガー症候群のまあちゃんは手話通訳者でもあり、双方の会話自体には問題ない。今村監督は口話、まあちゃんは手話付き口話での会話である。2人にとっては口話無しの手話で会話した方が楽なように思えるが、映画用にそのコミュニケーション方法をとったのだろうか??
撮影はあきらかにその方が楽だし、聴者にはそちらのほうが見やすい。
ということで 前作までは“聞こえない”マイノリティの立場だった今村監督が、今作ではマジョリティの立場に立つ。マジョリティとは、まあちゃんに言わせると“普通脳”ということらしい。その立場からの不快感、葛藤が映像化されていく。
なのだが、どうも今村監督の立場に気持ちがついていかないのだ。監督は当初我慢を重ねていたが、まあちゃんが「いただきます」をきちんと言えないことや何も言わずにお菓子を食べてしまったことなどに怒ってしまう。俺は挨拶全般ががとても苦手で煮え切らない人間なので、2人の中間で居心地の悪さを感じながらスクリーンを見つめることになったりもした。
映画パンフで能町みね子さんがうまいこと言っているので引用すると、
「“まともな”今村監督が “ちょっとおかしな”まあちゃんを撮っているはずなのだけど、観ていると、わっどうしよう私まあちゃんの気持ちのほうがわかってしまうぞ?と慌ててしまった。」
みたいなことである。
ということで、すんなり入り込めなかったりしたのだが、そのことは逆に映画の幅の広さにもつながっている。映画内で二人は仲良くなるタイプではないというようなやり取りがあるが、今村監督がもし聴者だったら、まあちゃんのような人に関心を持たない人だったのかもしれない。だがともかく二人は出会ってしまい、今村監督自身の“解放”のために映画を撮ることになる。その二人の距離の遠さのなかに大抵の人が投げ込まれ、距離感の変化によって観る側の立場も流動的で押し流されたりするというか、まあだからいろいろと考えさせられたりもする。
なんだかまとまらなくなってきたが、(聞こえない人が作った映画なので)字幕テロップと音楽のことにあえてふれておきたい。
この映画の字幕テロップは大きく分けると、以下になる。字体はそれぞれ変えてあった。
1手話への字幕 (数は少ない)
2口話への日本語字幕(手話付き口話も含む)
3心情や説明のテロップ
4二人の日記の抜粋
5テロップではないが、ラインのやり取りの文字
3と4は聞こえようが聞こえまいが読む必要があるが、1と2はそれぞれの必要に応じてということになる。私の立場では、3と4だけ読むようにしていたが、3の心情や説明のテロップがすんなり頭に入ってこなかった。というか読むのに出遅れてしまうことがたびたびあった。直前の日本語字幕を読んでいた人はすんなり、その位置に出るテロップが目に飛び込んでくるだろうが、そうでないとつらい。
日本語字幕と心情や説明のテロップへのスムーズな移行は、自分の映画に日本語字幕を付けた際にも大いに悩むことろでもあった。なかなか難しい問題だ。
また日記の抜粋は、あれほど大量に引用するのなら、そのままの字体で読むのはつらかった。活字に直すか、丁寧に筆記で書き直すかしたほうがよかったのかもしれない。
そして音楽。
少々うるさく感じ、映画の中身への集中力がそがれてしまった。楽曲自体の良し悪しではない。というか悪くはない。そういう問題ではなく、付けるところにはべったりと付き過ぎている印象だった。箇所によってはもっとレベルを低くしたり、フェイドイン・アウトにしたり、曲数を絞って同じ曲を繰り返したり等の工夫があってもよかったような気がした。前作「スタートライン」が動的な映画だったので音楽も付けやすかったと思うが、今作はより繊細な工夫が必要だったのかもしれない。
聞こえない監督が聞こえるスタッフの意見を聞いたり波形を見たりして音楽をつけるのはとても良いと思うが、早瀬監督の作品を観た時も感じたが、音楽がくどいような気がする場合が多い。難聴者のことを考えてそうなっていることもあるかもしれないが、このあたりはなかなかに難しい問題だ。
なんだか苦言を呈したような文章になってしまったが、充分魅力的な映画で、
私には撮れない映画です。
映画「友達やめた。」は、東京と名古屋で現在上映中。
10月9日まで新宿ks cinemaで10時~
10月16日まで名古屋シネマスコーレにて12時50分~
その他の地域でも随時公開。
配信もあるそうです。
詳しくは映画HPを参照。
http://studioaya-movie.com/tomoyame/
それからパンフレットは税込1100円で高い!と一瞬思ってしまったが、掲載されている「まあちゃんの日記」がとてもおもろい。買い、です。
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