サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

「私の名前は中村です」って手話?日本語?

2015年04月09日 | 手話・聴覚障害

新年度も始まり、手話を新たに学び始めた方々も多いと思います。
NHK“みんなの手話”も新たにスタートしたようです。というかたまたま見ただけなのですが。たまたまというのは別番組(ろうを生きる難聴を生きる)を録画していたつもりが番組改編で時間が変わり録画されていたんです。講師の善岡さん(ろう者)とは以前お会いして話した(もちろん手話で)こともありなんとなく見ていたのですが、内容が以前(林家こぶ平さんや今井絵理子さんが出始めた頃)とは随分変わっていたことに少々驚きました。

入門の第1回目から日本手話の文法用語が出て来たからです。以前はおそらくなかっただろうし、各地の手話講習会でも文法を体系立てて教えているところはほとんどなかったのではないかと思われます。(少なくとも初級段階では)。もちろんごく少数はあったと思います。しかし近年は徐々に変わって来ているようです。
番組に出てきたものは、具体的にはPT1という用語。私(つまり一人称)への指差しのことです。ちなみにPT2は2人称への指差し。(しかし、私とかあなたなどの訳語があてはまるとは限りません)。PT3はさらに複雑になってきます。3人称への指差しの場合もありますが、代名詞だったりもします。そこにないもの、見えないものを指差すこともあるわけです。視線によって意味が変わってきます。

話がむずかしくなってきましたが、まあとにかく“指差し”は手話において極めて重要なんです。
外国に行き現地の言葉がしゃべれない場合も指差しが有効ですよね。 例えば食べたいものを指差して食べたそうな顔をするとか。手話の一例のように見えないものを指差すことはないでしょうが。ろう者の脳内では見えているという話もあります。

さてどういう例文でPT1が出てきたかというと、自己紹介です。
各地の手話講習会や手話サークルでも一番最初は自己紹介と挨拶を教えることがほとんどだと思います。(ナチュラルアプローチの場合はそうではないのかもしれません。よくわかりません。ナチュラルアプローチとは、母語が手話であるろう者が、手話で手話を教えること)
聴者(聴こえる人)の多くが初めて触れる手話の文である“自己紹介”こそが手話を学ぶ、あるいは手話に触れるうえで、とても重要だとずっと思っていました。そういったこともあり、自己紹介をどう教えるか興味があったんです。

番組ではまず講師がお手本を示します。
 (実際は善岡という名前が使われていますが、ここでは中村という名前にしています)
手の動きでいうと、PT1(自分を指差す)、次に「名前」「中村」という手話単語を表出。要するに「PT1」「名前」「中村」ということになります。
もちろん声は出しませんが口の動きだけを見ると、名前という手話単語の時のみ 「ナマエ」という口の形をつけていました。

その後、ナビゲーターの三宅健さん(V6)が手話表現をします。
手の動きは同じです。しかし口の形は違います。声にはだしませんが「 ワタシノナマエハナカムラデス」という口の形をしていました。
つまり講師とナビゲーターが違う手話表現をやっていたわけです。もちろん手の動きは同じですが、口の形が違います。手話は手の動きだけで表現するものではありません。「顔が主役で手はオカズ」という言い方をされる人もいます。声に出さなくとも 「ワタシノナマエハナカムラデス」という口の形をしていれば頭のなかは日本語ということになります。
何故そうなっていたかはわかりません。三宅さんの判断かもしれないし、話し合いで決まったのかもしれないし、スタッフの指示かもしれません。つまりざっくり言うと講師は日本手話、ナビゲーターは日本語対応手話で表出しているわけです。ちなみにもっと極端な日本語対応手話であれば、声を出し、「の」 や「は」の助詞を指文字で表出し、「です」の手話単語を表出します。実際は助詞まではつけない場合の方が多いでしょう。

別に批判しているわけではありません。2種類の手話を見せてくれたとも言えると思います。実際は三宅健さんは1年前より出演されていたようなので、自己紹介は自分のやりやすいやり方でやられらのたのでしょう。今後、もっとむずかしい表現になっていけば、そのまま真似するのかもしれません。よくわかりませんが。 

何が正しいとか間違っていると言っているわけではなく、いろんな表現方法があるということです。
日本手話の場合も、一切口の形をつけない場合もあるでしょうし、「中村」にだけ口の形をつけることもあると思います。ちなみに私が自己紹介する場合は、「PT1」と「名前」には口の形はつけずに「中村」にだけ口形をつけます。 その場の状況によっては全体をゆっくりと表出したり「中村」の時だけ声を出したりすることもあります。「言う」という手話単語を最後につけて「ナカムラトモウシマス」という口の形をつけることもあります。


鳥取県に続き、県単位では神奈川県、群馬県でも手話言語条例が制定されました。言語としての手話にも関心が集まっています。手話とは日本語と異なった文法体系をもった視覚言語であるという言い方をする場合も多いのですが、その際の手話は(日本においては)日本手話ということになります。日本語対応手話は日本語だと言っても良いかと思います。
例えば点字は日本語を点字という文字(記号?どう言ってよいか適切にはわかりません)で表記した日本語、書記日本語は音声日本語を書き記した日本語、そして日本語対応手話は日本語を手話単語で表出したものだと認識しています。実際には日本手話と日本語対応手話が入り混じる場合も多く、日本語対応手話はピジン言語という言い方が適切でしょうか?
「声をつけて手話をやってくれ」と言われる場合、日本語が手話に引っ張られ変な日本語になることがよくあります。

「私の名前は中村です」という文も日本語としては変かと思います。
多くの場合は「中村と申します」「中村と言います」「中村です」あるいは「俺、中村」などはあるかもしれませんが、通常は「私の名前は中村です」という自己紹介はしないと思います。日本語としてとても違和感を感じてしまいます。前後の文脈によっては使うこともあるかと思いますが、単独で使うとは思えません。ですから「ワタクシノナマエハナカムラデス」と言いながら(あるいは口を動かしながら)手話単語を表出する場合は、手話対応日本語なのかなと思ってしまいます。 手話をそのまま日本語に置き換えたとでもいいましょうか。


誤解のないように書いておきますが、日本手話と日本語対応手話、どちらがか必要でどちらかが不要、どちらかが優れていてどちらかが劣っていると言っているわけではありません。
第一言語が日本手話のろう者は、日本手話を使った方が当然ストレスもないでしょう。ろう者のなかには日本語が苦手で日本語対応手話も苦手、もっと言えば日本語対応手話に嫌悪感を持っている人もいます。相手によって瞬時に使い分ける人もいます。日本語が第一言語であった中途失聴者や、苦労して日本語を第一言語として身につけた難聴者にとっては、日本語対応手話の方が使い勝手がいいでしょう。
ですから例えば日本手話で通訳してほしい聴覚障害者と日本語対応手話で通訳してほしい聴覚障害者が同時にいる講演などの場合、両方の通訳者が壇上に立つということが理想ということになります。

ちなみに何の苦もなく覚えることができる言語を自然言語と言いますが、聴こえない聴こえにくい人にとっての自然言語は(日本においては)日本手話しかあり得ません。(もちろんそのための環境を整えることが必要ですが)。
日本語対応手話は日本語がわかる人にしか身につけられませんから(あるいは日本語と同時進行でしか身につけられませんから)自然言語にはなり得ません。日本語を第一言語として覚えようと思ったらかなりの困難があるということです。もちろん以前に比べれば補聴器の進歩や人工内耳の普及などで音声日本語の獲得もやりやすくはなっています。人工内耳に関しては賛否両論あります。

いろいろと書き出すときりがありません。手話を学び続ければいろんなことを知ることになりますが、一日だけ体験する場合は、一面しか教わらないと誤解してしまう恐れがあります。短い例文でも、日本手話だけを学んだ場合は日本語とは異なる言語にふれたことになりますが、もし日本語対応手話だけしか学ばなかったら、日本語とは異なる言語には触れずに手話単語にのみふれたことになります。それではあまりにも寂しすぎるのではないか、そう思います。

また手話講習会などの初期段階で「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶を学びますが、ろう者間の自然なやり取りでその挨拶を見たことはほぼありません。要するに後ろにつく“両人差し指を向かい合わせて折り曲げる動き”はやらないということなんですが。もちろん顔のいろんな動きはあります。挨拶に関しても両方教えていったほうが良いのになと思います。後になって知ると、結構驚いたりするので。

何だか番組を否定的に見ているような印象を与えてしまったかもしれませんが、逆に肯定的にみています。
また番組は入門者向けですが、ある程度学習を積み重ねた人にも勉強になりそうです。ただしその場合は音声をオフにして見た方が良さそうです。 

ここまで偉そうに書いてきましたが、私自身の手話力はこのところあまり向上しないで伸び悩んでいます。理由ははっきりしていて怠けてるからなんですけどね。 
「能書きなんか垂れてないで勉強しろ」って感じでもあるんですが…。

また手話に対する考え方は様々です。意見を異にする方も、もちろんいらっしゃると思います。



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