かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

山の歌を詠もう、先ずは深田百名山

2022-10-21 20:09:37 | 日記

茂吉さんに感化されて、山の、自然の、うーんやっぱり花鳥風月の歌を詠んでいこう。まずは、昨年秋に当ブログに記した「深田日本百名山」のを改めて読み直しれて。

今日は、75番の富士山。冨士といえば、赤人さんの歌。「万葉秀歌」で茂吉さんは、この歌を評して

「赤人のものは、総じて健康体の如くに、清潔なところがあって、だらりとした弛緩しかんがない。」

浄勁じょうけいとでもいうべきものを成就じょうじゅしている。」

と表現し傑作だと評している。「浄頸」を調べたてもよく分からない。清らかでつよいという意味だろう。

オイラもそんな作風をめざしたいが・・・・・ううん、もっと茂吉や古典を学ばなければ。

 

田児たごの浦ゆうち出でて見れば真白ましろにぞ不尽ふじ高嶺たかねゆきりける 

〔巻三・三一八〕 山部赤人

(青空文庫・斎藤茂吉「万葉秀歌」より)

*ちなみに古今集は

田子の浦に 打出て見れば白妙の 富士の高根に 雪は降りつつ

 

 

深田さんの終焉の地を思いながら

 永劫に 聳えよと言い 眠りたる  茅の頂より 初雪の富士

 

2000年代以降の富士との付き合いを思って

いくたびも いくすじのみち 歩みける 富士の高根の つらさも恋いて

  


2021.11.22   

深田日本百名山登頂の思い出      72 富士山(ふじさん・3776米)  抜粋

・・・・・

だが、始まりがあるなら終わりもある。15、6年間続けてきた富士へのこだわりだが、世界遺産登録後の山上のゴッタ返しに嫌気なようなものがさしてきたので、そろそろ卒業しようという気になっている。

まだ「麓からの富士山」で歩いていないのは、御殿場市の須走浅間神社を起点にする「須走登山道」。そのため、今年の9月、この道から富士山に登って終わりにしようと計画していた。

が、コロナによる緊急事態宣言で適わず来年に持ち越されている。

2004年から始まった富士山愛、2022年に別れを告げる日に、富士山は何を語ってくれるのだろうか。


2022年追記

今年、須走からの登頂は雨のため途中断念した。卒業式は来年。太宰の「三つ峠ドテラルート」もセットで。

     

               御坂峠天下茶屋からの富士

 

 

 

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茂吉の山の歌

2022-10-17 18:41:49 | 日記

 

蔵王の最高峰熊野岳に立ち寄ると、きまって山頂の茂吉歌碑に立ち寄って、万葉仮名調の少し読めない字もあるのだが、

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ

の歌を目で追う。

歌は文字通り歌なので、大声を出して、「ミチノクヲ~♬ フタワケザマニソビエタマオウ~ ♬ ザオウノヤマノクモノナカニタツ~♬ 」と歌えばいいのに。

昨日の「鎌倉殿の13人」で実朝が歌っていたような抑揚で高らかに声を出せばいいのだが、周りに人がいるので恥ずかしくてできないけれども、そのように声を出すと、歌の良さが分かってくるのだろう。あの、宮廷の歌会始ほど冗長である必要はないが、茂吉の歌は、本来自然の中で声を出して詠むものだろう。

(山歩きだとクマ除けにもなるし)

公益財団法人斎藤茂吉記念館の全国の茂吉歌碑一覧を眺めたら、茂吉が蔵王を中心とした山を読んだ歌が163の歌碑中33ほどあったので、下記のとおり書き写した。

「なあんだ、茂吉の歌って平凡だよね、牧水や会津八一ほどの詩情もないし、つまらないあ」

と内心思うところもあるのだが、あの万葉集を読んだ者が感じ取る素朴でおおらかな自然詠になっていて、茂吉は自然を読むとき、意識的にこのように古代人が抱くような素直な感性を言葉にしたものなのかもしれない。

そして、歌碑に刻まれたこれらの歌を山中で高らかに歌うと茂吉の良さが感じられそうなのである。

 

      

 

   

        熊野岳から朝日連峰

   

      熊野岳から月山と鳥海山。まさに「蔵王の山の雲の中に立つ」だよね。

 

斎藤茂吉記念館HP

茂吉歌碑一覧

 

 

オイラも、やってみようよ茂吉に学んで山の歌。そして誰もいない山中で「クマ缶」代わりに

歌ってみようぜ。まずは、肩にかけたサコッシュにメモ帳とペンを ♬

 

 


茂吉記念から「山の歌」を歌碑№ごとに拾った

 

 

№1

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山
の雲の中にたつ

 

№3

五日ふりし雨はるるらし山腹の吾妻のさぎり
天のぼりみゆ (歌集「あらたま」改作歌)

 

№18

蔵王山その全けきを大君は明治十四年あふ
ぎたまひき  

 

№25

大きなるこのしづけさや高千穂の峯のすべた
るあまつゆふぐれ

 

№28

陸奥の蔵王山並にゐる雲のひねもす動き春
たつらしも

 

№29

ひむがしに直にい向ふ岡に上り蔵王の山を
目守りて下る

 

 

 

№32

万国の人来り見よ雲はるる蔵王の山のその
全けきを

とどろける火はをさまりてみちのくの蔵王の
山はさやに聳ゆる

 

№36

蔵王よりおほになだれし高原も青みわたりて
春ゆかむとす

 

 

№45

霧島の山のいで湯にあたたまり一夜を寝たり
明日さへも寝む

 

 

№70

わが父も母もいまさぬ頃よりぞ湯殿の山に湯
はわき給ふ

 

 

№86

ひむがしの空にあきらけき高千穂の峰に直向
ふみささぎぞこれ 

 

 

№91

ふた国の生きのたづきのあひかよふこの峠
路を愛しむわれは    (笹谷峠)

 

 

№95

開聞は円かなる山とわたつみの中より直に
天に聳えけれ    (開聞岳)

 

 

№110

三瓶山の野にこもりたるこの沼を一たび見つ
つ二たびを見む

 

 

№124

もえぎ空はつかに見ゆるひるつ方鳥海山は
裾より晴れぬ

 

 

№138

すでにして蔵王の山の真白きを心だらひにふ
りさけむとす

 

 

№145

霧島はおごそかにして高原の木原を遠に
雲ぞうごける

 

 

№146

山の峰かたみに低くなりゆきて笹谷峠は其
處にあるはや

 

№147

ひさかたの天はれしかば蔵王のみ雲は
こごりてゆゆしくおもほゆ

 

 

№148

朝ぐものあかあかとしてたなびける蔵王の山
は見とも飽かめや

 

 

№150

ひさかたの雪はれしかば入日さし蔵王の山
は赤々と見ゆ

 

 

№151

蔵王よりひくき雁戸のあゐ色をしばし恋しむ
雪のはだらも

 

 

№152

やま峡に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の
香の深くただよふ   (蔵王温泉)

 

 

№153

たましひを育みますと聳えたつ蔵王のやまの
朝雪げむり

 

 

№154

蔵王よりゆるくなだるる高はらはなべて真白し
雪ふりつみて

 

 

№155

蔵王山のかげより白雲のわきのぼるさまあざ
やかにけふはれわたる

 

 

№156

雪消えしのちに蔵王の太陽がはぐくみたりし
駒草のはな

 

 

№157

蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に
雲のゐる見ゆ

 

 

№158

蔵王より南のかたの谿谷に初夏のあさけの
靄たなびきぬ

 

 

№159

ここにして蔵王の山はあら山と常立ちわたる
雲見つつをり

 

 

№160

ひむがしの蔵王の山は見つれどもきのふもけ
ふも雲さだめなき

 

 

№161

ひむがしの蔵王を越ゆる疾きかぜは昨日も今
日も断ゆることなし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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四半世紀ぶりに訪れた愛すべき山頂

2022-10-15 15:12:32 | 日記

蔵王温泉泊りの翌日、例のクーポンを1枚の補助を受けロープウェイに乗って地蔵岳山頂駅(1700m)まで一気に登った。たしか山頂駅までの片道料金は6月には1500円だったが、いつの間にか1800円と20%も大幅値上げとなっていた。クーポン1000円分は助かったが、この旅行支援策も、電気やガス料金への一部補助策と同様に、大幅値上げラッシュの波に飲み込まれようとするいたいけな庶民への懐柔策(バラマキ選挙対策ともいう)なのではあるまいか。

若かりし頃(50代まで)はロープウェイの「ロの字」も興味を抱かなかつた御仁が、いまやすぐに「アルトクイツク派」と成り下がっている。

今年の6月に熊野岳(1841m)~刈田岳(1758m)~蔵王古道(宮城)を下って遠刈田温泉に下っているので、今回は、ゆっくり紅葉を楽しみながら名号峰(みょうごうほう・1,490.7m)~峩々温泉を経由し遠刈田に下る計画を立てたが、熊野岳山頂から宮城側は雲海の中に隠され、ついぞ山襞の色づき具合を確認することさえ叶わなかった。

それでも、かつて白砂と花崗岩がゴロゴロ配置された庭園の一角のように美しい名号峰の山頂を愛して何度も通っていたので、山頂の標と三角点に再会できただけで十分満足したし、猫鼻経由で峩々温泉に下るダケカンバとブナの見事なゆるやかでやさしい尾根も辿れてよかった。

この山頂、「みょうごう」という名がついているので、昔の行者も熊野岳を眺めながら念仏を唱えて癒しをもとめたパワースポットなのだろう。晴れていたら、岩に腰を下ろし、お茶を飲みながら本でも開いてくつろぎたい場所なのだ。

 

   

   

   

   (上部はダケカンバの森)

   

   (ガスの映るブナの大木)

   

   (猫鼻の道しるべ、かつては紅葉台から青根温泉にも下った。)

 

名号峰を踏んだのは5月の北蔵王縦走の時以来だから22年ぶりか。その時は熊野岳に向かったから、猫鼻経由で峩々温泉に下る道を歩いたのはもっと前か。じつに四半世紀も経っているようだ。そのころは、マイカー日帰りで蔵王を訪れていたころで、峩々温泉に車を止めて猫鼻や濁川を経由して何度も名号峰に登ったし、熊野・刈田岳方面のロバの耳コースや賽の河原コースも何度か歩いた。

もうマイカーも乗らないし、濁川上流は火山危険ということで通行止めで廃道化しているみたいだ。そして、起点としていたあの鄙びた秘湯の峩々温泉(ががおんせん)も、増築したのだろうか大きな屋根がいくつもある大きな宿となっていた。調べたら2007年にリニューアルして一泊2万円以上するような高級宿と様変わりしたようで、登山者が山小屋感覚で気軽に利用するような宿ではなくなっているみたいだ。

 

  

 

加えて、その峩々温泉に猫鼻35分下ってからエコーラインに登り返す30分ほどの舗装の登りも堪えた。遠刈田温泉に着いたのは16時30分を回っていた。こんなこともあったので、下り基調とはいえ、同じコースを歩いて「愛すべき」とはいえ名号峰山頂を訪れるという選択肢はないのだろう。

山頂の愛すべき「名号峰」と前日仰いだ山容の見事な「雁戸山」。愛すべき北蔵王の山たちを再訪してそれそれの山頂でお茶を飲みたいな。もう、登る機会がないなんてさみしいぜ。

地図とにらめっこで、再訪の青写真を描きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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クマ缶鳴らして色づかない蔵王を歩く

2022-10-14 17:40:58 | 日記

山形市宝沢(ほうさわ)集落から、この3年蔵王古道(宝沢口)を歩いてきたが、今年はまだだったので、紅葉の盛りの古道を歩いてみようと計画していた。が、おなじ宝沢を起点とした「コエド越え」という山形市内と蔵王温泉との往還峠をまだ歩いていないことに気づき、また、峠からすぐに登れる龍山(1362m)にもしばらく立ち寄っていないので、「今年は、この古い道を歩いてみよう」と、蔵王温泉に一泊の予定で家を出た。

ザックに熊スズを二個つけて歩き始めた。ブナの実は見当たらなかったが、ミズナラのどんぐりやクリのイガはいっぱい落ちている山道は「アイツ」との出会いに気を付けなければならない。山形側の蔵王古道を愛するヒトなのだろうか、時々「クマ缶」と書かれた一斗缶(と言っても今の若い人に理解されないか)が木にぶら下げられ、これを打ち鳴らす鉢の役を担う棍棒もヒモに括られていたので、「クマ缶」のあるところでは必ず「ガーンガーン・・・」と十回ほど力強く打ち鳴らした。打ち終えても何の反応も感じないほど山の秋は静かすぎた。

     

蔵王のこの秋の彩度も「全然」であった。山を下りて蔵王温泉で行き会ったオジサンと話したが、やはり今年の蔵王は「ダメ」ということらしい。赤も黄も「茶系」にくすぶつているとのことである。

龍山の山頂は何年ぶりだろう。蔵王(熊野岳)に登ったのは、学生時代の夏、その最初のコースが蔵王温泉~龍山~ドッコ沼~地蔵岳~熊野岳~蔵王温泉ではなかったか。今ではとても同じコースを歩く気合も体力もなくなったが、もうその年齢の3倍以上も生きてきてしまった。

龍山山頂の記憶が少しよみがえってきた。360度の展望。月山も朝日も飯豊も雲に隠れていたが、山形市街が一望だ。30半ば(あの面白山事件の年)、1年ばかり勤めたのに街の記憶はほとんどない。

この山頂から眺めていちばん立派に見える山。二つの峰。地図で確認したらやはり雁戸山(がんどさん・北峰1484.4m)だった。「あそこにも20年以上登ってないな。」。車をやめ、バスの不便なこの時代、(体力も落ち)、行きにくくなった山のひとつだが、あの山頂に来年は、という気になった。

 

    

龍山山頂に茂吉碑が建っていた。木製の碑で、「峰」という字が少し判別しずらかったが、

     山の峰かたみに低くなりゆきて 笹谷峠は其処にあるはや

遠い日に、茂吉もこの山頂に立って雁戸山を飽かず眺めたのだろう。北峰から左の尾根が右の尾根よりか標高を落として笹谷峠(ささやとうげ)に続いている。茂吉の詩情は、鋭い観察眼に裏打ちされているようだ。

      

 

宿について、フロントのやさしいオジサンから始まったばかりの「旅行支援」ということで、「山形県地域限定クーポン1000円×3枚」をいただく。宿代も「4割引き」ということである。

5000円ばかりの宿代は、「実質〇円」ということに、何か罪(税金泥棒罪)なことをしたような。(内心ヤッタゼだと喜んでいるくせにだ)。

そそくさと近くの酒屋に足を運びクーポン2枚を地酒・麦酒・アタリメと交換。風呂上がりの秋の夜長の友とした。

 

     

 

くうぽんは 捨つるがごとく酔いと消え  蔵王ひと夜の月も隠れし

 

アア モキチノヨウナ ヤマノウタヲヨミタイ コンナ センリュウノヨウナ バカウタデハナク・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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面白山(おもしろやま)高原駅の お・寒・い・思い出

2022-10-08 15:08:15 | 日記

仙台と山形をつなぐJRの仙山線。仙台から行く県境の仙山トンネル(5361m)を潜り抜けた標高444mの地点にひっそりと建つ無人の「面白山高原駅」。

この駅は、北蔵王の面白山系(南面白山・北面白山・中面白山・権現様峠・奥新川峠・長左衛門平・天童高原)に伸びるいくつかの登山ルートの起点となっていて、いわゆる「駅から登れる山」の典型のような駅。

30代のころから何度この駅を利用して面白山系を歩いたことだろう。

数年前までは、この駅からスキーリフトが走っていて、改札を出るとそのままスキー場に運んでくれる国内でも珍しい駅だった。が、いまはそのスキー場は廃業となり、往時のにぎやかさはない。スキーリフトやそれを繋ぐ索道や鉄塔類、スキースクールの建物などはそのまま放置され廃墟ホテル同様の廃れ具合である。

スキー場があった頃は、周囲に民宿などが数軒あったようだが、今は1、2軒微かにヒトの気配がするだけとなっている。登山者やハイカーのほとんどが、電車や車でやってきて日帰りするような周囲の山々ではあるので、宿屋はやっていけないのだろう。

だが、オイラはこの「面白山高原駅」に「泊まった経験」がある。仙台方面への終電は22時ころまであるので、登山で帰りが遅くなったという話ではない。

もう、かれこれ30年以上の4月のことである。

1年ばかり勤務地が山形市出会った頃の話。なぜか、仙台のアパートからから仙山線で通勤をしていた。

その職場で4月早々に開かれた歓迎会。職場の仲間たちとの話がはずんで、ついに終電の時間となった。山形の地酒と郷土料理をしこたまいただいたものだから、酔いに酔っていただろうから、仙台行きの暖房の効いた終電の座席につくや、すぐさま寝込んだものと思われる。「ガタン・ガタン・・・」在来線のレール走行音が子守唄代わりとなったのだろう。

車内アナウンス、「〇〇ヤマ―〇・〇〇ヤマ―〇~」の声で目が覚めた酔っ払いのオイラは、大いにあわてた。当時オイラが利用していた仙台の駅が「〇〇ヤマ駅」だったので、その駅に着いたものと判断して、あわててドアのボタンをあけて外に飛び降りた。

が、目の前の駅はポツンと駅舎というか待ち合いの小屋が建っている「面白山高原駅」であったのだ。

慌てて振り向いて、たったいま降りた電車に飛び乗ろうとしたが・・・・電車は非情にもゆっくり動き出し仙山トンネルに吸い込まれて行ってしまった。(愕然)

そのあと、オイラの朦朧とした思考回路がどのように働いたのか。

今の時刻表を調べてみると、23時に山形行きの終電車が来る。いまならそれに乗って山形までもどり、駅前のビジネスホテルに泊まればなんとかなっただろう。

しかし、オイラはその適切な行動をとらなかった。まず、明かりを頼りに、駅近くの宿屋らしい建物の玄関をたたいて宿の者を起して一宿の宿を乞うた。相当に酔ってふら付いてしどろもどろだったのだろう。にべもなく断られた。

腹を立てたオイラは、「ヨ~シ あの駅のコテージ風待合室に泊ってやれ、山男のおいらにとってヘノカッパだ。」わざわざまた山形に戻り、寝るだけのために数千円の大枚?をはたく気にはなれなかったし、はやく横になりたいという気持ちが勝っていたのかもしれない。

幸い、そのコテージ風待合室には、何とか横になれそうな木製ベンチがあったので、オイラは着ていたコートをかぶって横になって、少しは寝入ったのだろう。

標高444mとはいえ、4月の県境の山中。当たり前のように朝方には気温は10℃を下回っていただろう。酔いどれのオイラはまもなく目が覚め(寝ている間に山形行き終電は過ぎて行ったのだろう)、寒さに震えあがって、いちばん電車がくる朝7時まで眠れぬ時を過ごした。幸い当時のこの建物内に自販機があり、おいらは、ホットコーヒーを朝が来るまで何杯飲んだのだろう。

長くて寒くて辛い時を過ごしたオイラは、風邪を引いたのか、熱も出てきたので、一番電車で仙台に帰り、その日は、「風を引いたので休ませてください・・」と職場に電話をして、布団にもぐって無駄な一日を過ごした。

「面白山事件」・・・といまも脳裏から離れない「面白山高原駅」。

ホームに立ち、コテージ風待合室を目にするたびに思い出しては、失笑している。

「もう・・さんじゅう〇〇年にもなるか・・・昨日のようだが、あの迷惑そうな宿はいま廃墟・・か。」

 

 

    

 

 

    

 

 

    

    いま、自販機は撤去され、当時のベンチとテーブルがさみしく残っているだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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