蔵王の最高峰熊野岳に立ち寄ると、きまって山頂の茂吉歌碑に立ち寄って、万葉仮名調の少し読めない字もあるのだが、
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ
の歌を目で追う。
歌は文字通り歌なので、大声を出して、「ミチノクヲ~♬ フタワケザマニソビエタマオウ~ ♬ ザオウノヤマノクモノナカニタツ~♬ 」と歌えばいいのに。
昨日の「鎌倉殿の13人」で実朝が歌っていたような抑揚で高らかに声を出せばいいのだが、周りに人がいるので恥ずかしくてできないけれども、そのように声を出すと、歌の良さが分かってくるのだろう。あの、宮廷の歌会始ほど冗長である必要はないが、茂吉の歌は、本来自然の中で声を出して詠むものだろう。
(山歩きだとクマ除けにもなるし)
公益財団法人斎藤茂吉記念館の全国の茂吉歌碑一覧を眺めたら、茂吉が蔵王を中心とした山を読んだ歌が163の歌碑中33ほどあったので、下記のとおり書き写した。
「なあんだ、茂吉の歌って平凡だよね、牧水や会津八一ほどの詩情もないし、つまらないあ」
と内心思うところもあるのだが、あの万葉集を読んだ者が感じ取る素朴でおおらかな自然詠になっていて、茂吉は自然を読むとき、意識的にこのように古代人が抱くような素直な感性を言葉にしたものなのかもしれない。
そして、歌碑に刻まれたこれらの歌を山中で高らかに歌うと茂吉の良さが感じられそうなのである。
熊野岳から朝日連峰
熊野岳から月山と鳥海山。まさに「蔵王の山の雲の中に立つ」だよね。
オイラも、やってみようよ茂吉に学んで山の歌。そして誰もいない山中で「クマ缶」代わりに
歌ってみようぜ。まずは、肩にかけたサコッシュにメモ帳とペンを ♬
茂吉記念から「山の歌」を歌碑№ごとに拾った
№1
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山
の雲の中にたつ
№3
五日ふりし雨はるるらし山腹の吾妻のさぎり
天のぼりみゆ (歌集「あらたま」改作歌)
№18
蔵王山その全けきを大君は明治十四年あふ
ぎたまひき
№25
大きなるこのしづけさや高千穂の峯のすべた
るあまつゆふぐれ
№28
陸奥の蔵王山並にゐる雲のひねもす動き春
たつらしも
№29
ひむがしに直にい向ふ岡に上り蔵王の山を
目守りて下る
№32
万国の人来り見よ雲はるる蔵王の山のその
全けきを
とどろける火はをさまりてみちのくの蔵王の
山はさやに聳ゆる
№36
蔵王よりおほになだれし高原も青みわたりて
春ゆかむとす
№45
霧島の山のいで湯にあたたまり一夜を寝たり
明日さへも寝む
№70
わが父も母もいまさぬ頃よりぞ湯殿の山に湯
はわき給ふ
№86
ひむがしの空にあきらけき高千穂の峰に直向
ふみささぎぞこれ
№91
ふた国の生きのたづきのあひかよふこの峠
路を愛しむわれは (笹谷峠)
№95
開聞は円かなる山とわたつみの中より直に
天に聳えけれ (開聞岳)
№110
三瓶山の野にこもりたるこの沼を一たび見つ
つ二たびを見む
№124
もえぎ空はつかに見ゆるひるつ方鳥海山は
裾より晴れぬ
№138
すでにして蔵王の山の真白きを心だらひにふ
りさけむとす
№145
霧島はおごそかにして高原の木原を遠に
雲ぞうごける
№146
山の峰かたみに低くなりゆきて笹谷峠は其
處にあるはや
№147
ひさかたの天はれしかば蔵王のみ雲は
こごりてゆゆしくおもほゆ
№148
朝ぐものあかあかとしてたなびける蔵王の山
は見とも飽かめや
№150
ひさかたの雪はれしかば入日さし蔵王の山
は赤々と見ゆ
№151
蔵王よりひくき雁戸のあゐ色をしばし恋しむ
雪のはだらも
№152
やま峡に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の
香の深くただよふ (蔵王温泉)
№153
たましひを育みますと聳えたつ蔵王のやまの
朝雪げむり
№154
蔵王よりゆるくなだるる高はらはなべて真白し
雪ふりつみて
№155
蔵王山のかげより白雲のわきのぼるさまあざ
やかにけふはれわたる
№156
雪消えしのちに蔵王の太陽がはぐくみたりし
駒草のはな
№157
蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に
雲のゐる見ゆ
№158
蔵王より南のかたの谿谷に初夏のあさけの
靄たなびきぬ
№159
ここにして蔵王の山はあら山と常立ちわたる
雲見つつをり
№160
ひむがしの蔵王の山は見つれどもきのふもけ
ふも雲さだめなき
№161
ひむがしの蔵王を越ゆる疾きかぜは昨日も今
日も断ゆることなし