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かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

遊び仲間たちとのお別れ

2021-11-25 10:41:53 | 日記

こないだ帰郷した娘に尻を叩かれたこともあり、そろそろ「断捨離」をはじめようか、という気持ちになってきた。手始めに、今朝は、昔の遊び仲間「釣り竿5本」「キャンプ用大型クーラーボックス」「歩くスキーセット」「山スキーセット」「トライアスロン用自転車のフレームなど」に粗大ごみ券を張って、指定された粗大ごみ置き場に運んでいった。

釣りは、1987年に和歌山の田辺に暮らしていた時に覚えて病みつきになり、磯釣り竿、投げ竿、ルアー竿、船竿など次々とをそろえて、和歌山では、磯ではグレ(メジナ)やチヌ(クロダイ)、砂浜ではキス釣りに執着した。1990年以降仙台に暮らしてからは、防波堤でスズキやメバル、乗合船でカレイやヒラメ、ボートでアイナメ、砂浜でスズキやイシモチなど現を抜かした。釣り道具は、2001年の沖縄転勤の際にも持って行ったが、それっきりほとんど使わなかった。なぜかというと、ダイビングを覚えてからは、お魚が可愛すぎて、釣ってさばいて食べようという気にはならなくなったから。まあ、お刺身や焼き魚と人一倍魚介好きのオイラの言える立場ではないが、しかしながら現実としてオイラの釣り人生は10年ちょっとで終わった。

学生時代に覚えたスキーは、北海道に暮らし始めるとゲレンデから林道や登山道を歩くスキー(クロスカントリーほど本格的ではない)移っていき、山岳会に所属した旭川、八戸時代は、山スキーに埋没していったが、温暖地和歌山に移動した時点で、スキーの世界とはお別れをしてしまった。今朝別れたスキー板くんたちとは遊びもしないのに30年以上も部屋に放置されていたことになる。可哀そすぎます。

大型のクーラーボックスは、車を所有していた時代に娘らとキャンプに行くために買ったものだが、2,3度使用しただけで20年以上も使われずに釣り道具などのガラクタ類を入れていたもので、それでも使い古したように汚れていた。

トライアスロン用の水色のカーボン製フレームは2001年に、宮古島で購入したもので、トライアスロンの練習に周囲100k程度の宮古島を何度も何度も一緒に走った仲間。沖縄本島、石垣島を含めて6年間苦楽を共にした仲間で、2003年落車事故にあっても、オイラが鎖骨を折ったのに、どこにもゆがみなくその後もがっばってくれたやつ。捨てるにに忍びないとフレームだけ部屋に横たえていたが、やはり使う当てもないので捨てることにした。さようなら。

釣りにスキーに家族キャンプにトライアスロンにと今日お別れしたグッズ・ギアたちとは、短くもオイラの青年期や壮年期をおおいに楽しませてくれたものたちだ。今度は思い出の小部屋にしまっておこう。

 

         


深田日本百名山登頂の思い出  76 恵那山(えなさん・2190米)

恵那山頂から下山中に「あ、頂上の小石拾ってくるのを忘れた!」と悔やんだ思い出がある。よって恵那山をいつ登ったのか不明であるが、頂上の小石は、集中して百名山歩きをしている2007年に集めていたので、その年だったかもしれない。

恵那山登山に選んだルートは、あのウェストン卿も歩いた前宮ルートという一番長いルート。あのころネットで、恵那山神社を登山口とする上川(かおれ)道とも称されたクラッシックルートが整備されており、素晴らしいルートだという情報を仕入れていたので、オイラもこの道を選んだ。

岐阜県中津川の駅前から恵那山神社のあるウェストン公園前までバスに乗り、ウェストン卿の像に挨拶してから登り始める前宮コース。地図だと往復13時間は要すると記されているが、たしかオイラは8時ごろの朝一のバスに乗って、夕方5時ごろ、暗くならないうちには帰りのバスに乗ったのだから9時間以内で往復してきたことになる。あの頃は、富士登山競争にも100kマラソンにもチャレンジしていた時期でもあり、体力には自信があったのだろう。今のオイラからは想像もできないオイラが存在したことになる。

ともかくも、頂上まで1合目から20合目までの標識があり、古いモニュメントや古木を目にした神さびた静かな山道で、1日誰にも会わず、頂上の展望もきかないながら、充実した山歩きだったので、オイラの選択に誤りがなかったのだろう。

2015年9月はじめ、木曽町のウルトラマラソンを終えた翌々日、オイラは妻籠~馬籠~中津川までという中山道の宿場町を繋ぐウォーキングをしたが、東に鎮座する恵那山の堂々とした姿に、何度立ち止まったことだろう。そしてあの上川道の静かな古道を思い出してもいた。

       

          前宮ルート、この地図には全部が載っていません。

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