遊びをせんとや

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大坂の陣と吹田村~橋本家文書展~ 

2023-05-03 07:18:36 | 美術館、博物館
吹田市立博物館で面白い特別展をやっているので初日に観に行った。


大坂冬の陣と夏の陣の戦いがどのように庶民に影響をあたえたかである。
幸い神崎川より北の吹田村には戦火は及ばなかったようだ。
そのために北野天満宮の神輿が避難して来たみたいだ。

中島のあたりではこの戦いでも豊臣方に味方する地主もたくさんいたみたいだ。
逃げ出した徳川方に着いた地主を豊臣方が滅びた後も認めなかったとか。
それを何とかしてくださいと徳川秀忠に願い出たそうだ。
大坂夏の陣が終わった後は速やかに自分の土地に戻って農業に従事するようにお触れ(禁制)を出したりしている。
そんな文書が沢山残されている。

その頃の吹田村の庄屋の橋本家は徳川方に早くからついて活躍した。橋本家は現在は関東の方にお家を移されているようだが、蔵に所蔵品の中にはその頃の貴重な文書が沢山残されている。今回はその文書の展示が主だった。

そして、大坂の陣を描いた屏風絵の複製。
戦乱に巻き込まれた庶民が着物を脱ぎ、川を渡っている。どさくさに紛れて追いはぎもいる。

荒木村重の関する文書もあったが、今だに彼のことは謎である。
有岡城、尼崎城からどのように名品を携えて逃げたのか。
講演会もあるようだけれど、全て5月は週末予定が入っているので参加できない。無念。
そして彼の末子は岩佐又兵衛、画家となる。

橋下家は旗本竹中氏に江戸時代末期に江戸屋敷の竹中氏の借金をなんとかせーという命令に何とかしに行って苗字帯刀を許され武士になったにも関わらずその数年後には突然、その権威を取り上げられ、ついにたまりかねて駕籠祖(直訴、駕籠に乗っている偉い人に直接訴状を差し出す)に出たとか。
その頃の橋本家当主のおじさんが大塩平八郎と仲が良かったのでアドバイスされて直訴に出たそうだ。

文書は読みづらいがその内容でその頃の情勢がある程度伝わってくるのが面白かった。

昨日の昼ごはん。珍しく私一人が家ご飯だったので夏野菜チキンカレーを一人分作った。

ルーが今一だったがご飯をバターライスにしたので野菜が美味しかった。













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