遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

「生き心地の良い町」 ~懐かしの海部町~

2014-09-27 09:30:55 | ブックリスト
朝日新聞を止められない理由は土曜日に配布される「be」

そこで出会った一人の人、一冊の本

岡 檀さん「行き心地の良い町」(この自殺率の低さには理由がある)

  

ご本人が海部町(今は海陽町)が訪れた写真

 

ふとした気づきに「これはひょっとしてなんだろう?」みたいな疑問から
壮大な精力と知力と努力で一つの真実の原則に迫る。

それもその結果根本的な人助けになっている。

この本は四国の徳島県海部町という町(今では統合されて海陽町となっている)
では自殺率がすごく低いということに気が付いた研究者の岡さんが現地の海部町に
何度も足を運び、話を聞き、データを集め、対象地区も研究し導き出した
自殺予防の一つの原則が示されている。

日本の島には自殺率が低い所もあるんだけど地続きの土地でこれだけはっきりした地域は
ないようだ。

この海部町実は我が家は10年以上前に訪れている。
下の息子がたぶん小学校1年生か保育園児の頃、もう少し北部の大砂海岸に海水浴に
民宿に1週間連泊した。

その民宿、訳ありだったが、駅からも近く、国道からも近いのでバスと電車の便が
便利だった。

牟岐線に乗って南下。ほぼ高知県との境にその海部町はあった。

今でもこの町と逆に北上して訪れた牟岐町はよく覚えている。
牟岐の海岸沿いに少年自然の家があり、何ともきれいな海岸があり、ムラスコ牟岐の
貝殻博物館があった。

そして海部町では網を買い川下といっても海岸との境、魚を採ろうとした気がする。
そこを目指したわけではないけれど、大うなぎ水族館があった名前も「イーランド」という。
とてつもなく大きなウナギがいた。水族館じたいは小さかったが、、、。
ネットで調べたら2005年に閉館したとある。
あの大きなウナギは何人分のうな丼になったんだろうか?

その町がぢ続きの町の中での自殺率最低の町なんだそうだ。

大きな河口が海に注いでいたような風景もぼんやり覚えていて開放感があったような気がする。

私がこの本で感動したのは海陽町の歴史の中に

・他人とゆるく繋がる。他人に関心はあるが干渉はしない。

・お互いの違いを認める。違った人がいた方がいい。という価値観の多様性の価値を知っている。

・一度は許す。

・悩みは近隣にすぐに言う。(これは病市に出せという言い伝えになっている)

・いい意味で年功序列がない。学歴や家柄ではなく人物本位。青年団にいじめが全くない。

 と言う不文律が昔から備わっていたということ。
 江戸時代に山で採れた材木を川で運びすぐに船に乗せることができるという好立地条件で
 短期間に様々な人が流入してきたということがあるからだというのが一因。

これって人が生きやすい集団の条件としてあらゆる団体に当てはまるんじゃないだろうか?

海陽町出身の人が他の町に移住すると最初は必ず人間関係で戸惑うそうだ。
でもそのうち、郷に入れば郷に従えという柔軟に対応できるという特性があるそうだ。

そこ、そこよね。人間の柔軟性。それこそが生きやすさの一つのキーワードかな?
ぜひ、おすすめの本です。読みやすい。
 
10年以上前にたまたま訪れた町がそこだったんだ。なんて偶然!








Tokyo One Day Trip 2014年夏 その②東博

2014-09-23 16:41:50 | 美術館、博物館
次に訪れたのは東博

東博は二度目。最初は「風神・雷神」3部作の時。

ここも子供向けに「親と子のギャラリー 仏像のみかた 鎌倉時代編」
なんて企画展に私のアンテナはひっかかった。


ここではワークシートもらいました。ネットでもダウンロードできる。いいなー。

こんな質問が随所にある。



ゆったり展示品もおいてあって見やすくなっている。

   

その他の展示も今回はじっくり、日本の美術文化の歴史をじっくり眺める。


              

 

うーむ、こうして並べられるとその流れがわかって面白いなーと思う。

何点かは、まさにノーフラッシュなら写真も撮り放題。


国宝特別展はこれ

   

久隅守景 納涼図屏風 
 
 中央画壇より田舎に追いやられた守景と一節によると娘と小さな息子といわれている。

人もいなくて椅子に座ってゆっくり眺めていると画中の月を一緒に眺めているような気になっていい時間でした。

Tokyo One Day Trip 2014年夏 その①工芸館

2014-09-23 16:01:13 | 美術館、博物館
今年の夏の東京行き

今頃?と思われると思うが、やっぱり直観サバンナ人間としてはこの東京行きは今(9月23日現在)
の関心ポイントと大きく関係するというか気になることが継続発展しているというか、、、。


まずは、観たい展覧会を探す。アンテナに引っかかったのは近代美術館の工芸館。

所蔵作品展 
こども+おとな工芸館 もようわくわく

近代美術館では見たい展覧会もやっていたのだが、大阪に来るようなので東京でないと観られない物をということで
工芸館に行く。

道路沿いを歩くと歌舞伎で心中物や幽霊の場面でよく出てくる千鳥ヶ淵てここだったの?に行きつく。
アッ違った「真景重ねが淵」だっけ?

 

その本、先に工芸館はあった。

              

なんだかレトロな建物
と思ったらかつての近衛師団司令部が置かれたところだったそうだ。

その前庭にさり気なく設置された石像、モニュメント
           
            





工芸品に施されたというか偶然生まれたというかもようをこどもが楽しめるように専用ワークシートが用意されている。
大人用もあるのだが、ぜひこども用が欲しいと名刺まで出して申し出たのだが、断られた。(こどもは無料なので仕方がないのだが)

大人しくそのワークシートにペタペタスタンプを押しながら展示された工芸品を観ていく。
織物の着物あり、陶磁器あり、漆あり。

私が最近惹かれるのは「文様」 

例えばアイヌの文様、沖縄の紅型。その土地土地の風土から生まれるじゃないだろうか?

工芸って日常で使える道具を作る方法だと思っていた。

でもその道具に古くは縄文時代から人は用途だけでなく文様を付けるのね。

火焔土器なんてきっとあの模様(もようとしたらこの文字ができてくる)持ちにくかったし邪魔だったと思うのです。

  
  画像はお借りしました。

でも人は文様を付けるのね。作るのにも使うのにも不便だよね。
私はきっとこれはなんだか人が何人か集まって社会ができるとそこに文化が必ず生まれる。ってことと
大きく関わりがあるのだと思うのです。

その土地の風や温度、湿度、風景がしみ込んで文様になる。それが文化になると思うのです。


ということをぼんやり考えながら模様って面白いなって思いながら外に出ると暑い日差しの中で軍司令部の建物は
威圧的に建ってました。

終戦記念日の朝日新聞のbeに「日本の一番長い日」の舞台になったのはこの建物だったということを知って「へー」て
思いました。この建物の地下から皇居の地下とつながっていて地下に会議室があったそうです。
そこで終戦前夜すごい話し合いがされたという。

なんだかすごい夏の思い出になりました。



人はいつかは、、、、。

2014-09-01 07:17:41 | 日々のあれこれ
今年の夏は前半暑かった。

後半冷夏といわれてもいいくらいの気候に急になった。

極寒の時、暑い時、人は亡くなる。

今年はお盆に一人。私より年下の方が亡くなった。

一昨日は叔母が亡くなった。叔母は97歳の大往生だった。

しかも自宅で急に調子が悪くなり、死因は老衰。

何年か前に脳梗塞を何回か患っていたらしい。


キリスト教者だったので教会でのお通夜というのか、お別れの会というのか、、。

煉瓦作りでお花のステンドグラスの教会でのお通夜は初めて。いや2回目かな?

ネットで見ると「讃美歌を歌うのが弔いの心を表す」ということだった。
仏式だとお経、念仏。キリスト教だと讃美歌。なるほど。

式次第は冊子になっていたのと楽譜が掲載されていたのと、簡単な音階だったので
私でも何とか初見で歌えた。

あとは牧師様の講話。

何だか明るくて開放的な叔母らしいお別れの会だった。

筆まめで達筆で膨大な数の手紙やはがきをしたためていたらしい。

社交的で人付き合いも活発だった。そして筆まめ。


会ってしゃべる。表情や顔色。しぐさ。

書いて送る。字体や文字。

自分の体を使って人とのコミュニケーションを図る。

大切なことだ。