朝日新聞を止められない理由は土曜日に配布される「be」
そこで出会った一人の人、一冊の本
岡 檀さん「行き心地の良い町」(この自殺率の低さには理由がある)
ご本人が海部町(今は海陽町)が訪れた写真
ふとした気づきに「これはひょっとしてなんだろう?」みたいな疑問から
壮大な精力と知力と努力で一つの真実の原則に迫る。
それもその結果根本的な人助けになっている。
この本は四国の徳島県海部町という町(今では統合されて海陽町となっている)
では自殺率がすごく低いということに気が付いた研究者の岡さんが現地の海部町に
何度も足を運び、話を聞き、データを集め、対象地区も研究し導き出した
自殺予防の一つの原則が示されている。
日本の島には自殺率が低い所もあるんだけど地続きの土地でこれだけはっきりした地域は
ないようだ。
この海部町実は我が家は10年以上前に訪れている。
下の息子がたぶん小学校1年生か保育園児の頃、もう少し北部の大砂海岸に海水浴に
民宿に1週間連泊した。
その民宿、訳ありだったが、駅からも近く、国道からも近いのでバスと電車の便が
便利だった。
牟岐線に乗って南下。ほぼ高知県との境にその海部町はあった。
今でもこの町と逆に北上して訪れた牟岐町はよく覚えている。
牟岐の海岸沿いに少年自然の家があり、何ともきれいな海岸があり、ムラスコ牟岐の
貝殻博物館があった。
そして海部町では網を買い川下といっても海岸との境、魚を採ろうとした気がする。
そこを目指したわけではないけれど、大うなぎ水族館があった名前も「イーランド」という。
とてつもなく大きなウナギがいた。水族館じたいは小さかったが、、、。
ネットで調べたら2005年に閉館したとある。
あの大きなウナギは何人分のうな丼になったんだろうか?
その町がぢ続きの町の中での自殺率最低の町なんだそうだ。
大きな河口が海に注いでいたような風景もぼんやり覚えていて開放感があったような気がする。
私がこの本で感動したのは海陽町の歴史の中に
・他人とゆるく繋がる。他人に関心はあるが干渉はしない。
・お互いの違いを認める。違った人がいた方がいい。という価値観の多様性の価値を知っている。
・一度は許す。
・悩みは近隣にすぐに言う。(これは病市に出せという言い伝えになっている)
・いい意味で年功序列がない。学歴や家柄ではなく人物本位。青年団にいじめが全くない。
と言う不文律が昔から備わっていたということ。
江戸時代に山で採れた材木を川で運びすぐに船に乗せることができるという好立地条件で
短期間に様々な人が流入してきたということがあるからだというのが一因。
これって人が生きやすい集団の条件としてあらゆる団体に当てはまるんじゃないだろうか?
海陽町出身の人が他の町に移住すると最初は必ず人間関係で戸惑うそうだ。
でもそのうち、郷に入れば郷に従えという柔軟に対応できるという特性があるそうだ。
そこ、そこよね。人間の柔軟性。それこそが生きやすさの一つのキーワードかな?
ぜひ、おすすめの本です。読みやすい。
10年以上前にたまたま訪れた町がそこだったんだ。なんて偶然!
そこで出会った一人の人、一冊の本
岡 檀さん「行き心地の良い町」(この自殺率の低さには理由がある)
ご本人が海部町(今は海陽町)が訪れた写真
ふとした気づきに「これはひょっとしてなんだろう?」みたいな疑問から
壮大な精力と知力と努力で一つの真実の原則に迫る。
それもその結果根本的な人助けになっている。
この本は四国の徳島県海部町という町(今では統合されて海陽町となっている)
では自殺率がすごく低いということに気が付いた研究者の岡さんが現地の海部町に
何度も足を運び、話を聞き、データを集め、対象地区も研究し導き出した
自殺予防の一つの原則が示されている。
日本の島には自殺率が低い所もあるんだけど地続きの土地でこれだけはっきりした地域は
ないようだ。
この海部町実は我が家は10年以上前に訪れている。
下の息子がたぶん小学校1年生か保育園児の頃、もう少し北部の大砂海岸に海水浴に
民宿に1週間連泊した。
その民宿、訳ありだったが、駅からも近く、国道からも近いのでバスと電車の便が
便利だった。
牟岐線に乗って南下。ほぼ高知県との境にその海部町はあった。
今でもこの町と逆に北上して訪れた牟岐町はよく覚えている。
牟岐の海岸沿いに少年自然の家があり、何ともきれいな海岸があり、ムラスコ牟岐の
貝殻博物館があった。
そして海部町では網を買い川下といっても海岸との境、魚を採ろうとした気がする。
そこを目指したわけではないけれど、大うなぎ水族館があった名前も「イーランド」という。
とてつもなく大きなウナギがいた。水族館じたいは小さかったが、、、。
ネットで調べたら2005年に閉館したとある。
あの大きなウナギは何人分のうな丼になったんだろうか?
その町がぢ続きの町の中での自殺率最低の町なんだそうだ。
大きな河口が海に注いでいたような風景もぼんやり覚えていて開放感があったような気がする。
私がこの本で感動したのは海陽町の歴史の中に
・他人とゆるく繋がる。他人に関心はあるが干渉はしない。
・お互いの違いを認める。違った人がいた方がいい。という価値観の多様性の価値を知っている。
・一度は許す。
・悩みは近隣にすぐに言う。(これは病市に出せという言い伝えになっている)
・いい意味で年功序列がない。学歴や家柄ではなく人物本位。青年団にいじめが全くない。
と言う不文律が昔から備わっていたということ。
江戸時代に山で採れた材木を川で運びすぐに船に乗せることができるという好立地条件で
短期間に様々な人が流入してきたということがあるからだというのが一因。
これって人が生きやすい集団の条件としてあらゆる団体に当てはまるんじゃないだろうか?
海陽町出身の人が他の町に移住すると最初は必ず人間関係で戸惑うそうだ。
でもそのうち、郷に入れば郷に従えという柔軟に対応できるという特性があるそうだ。
そこ、そこよね。人間の柔軟性。それこそが生きやすさの一つのキーワードかな?
ぜひ、おすすめの本です。読みやすい。
10年以上前にたまたま訪れた町がそこだったんだ。なんて偶然!