前のブログの続編で、久しぶりに授業の話
毎年3年生の2学期の終わりにピカソの「ゲルニカ」を鑑賞する。
一クラスを多目的室に入れて椅子だけアトランダムに並べて
教科書持参。
前のスクリーンに大写しの「ゲルニカ」
本当は幅8m足らずのこの作品の大きさが伝わればもっといいんだけれど、、、。
3年前からずっと続けているゲルニカの鑑賞には中3とは言え
はっと胸を突く感想が書かれている。
定石、最初は何の前知識もなく、ただ観るだけ。
描かれている物を列記する。
描かれている場所の温度、湿度、風、においを想像させる。
全員意見を交換し、ある程度そこで色々な感想が出てくる。
最後にピカソが伝えたかったことは?
見事に毎年、目の付け所が違う。
授業の途中でピカソが生まれたスペインのゲルニカ空爆の話などをパワーポイントを交えて
説明する。そこで白黒の激しく破壊されたゲルニカの街の写真も見せる。
スペイン内乱、第二次世界大戦の話やナチスドイツの話もする。
2年前は
「とても悲惨な場面だけど、画面の上部に何らかの希望があるということが表現されていると感じる」
この時、とても凄いなと思った。そうなんだ。ただ悲惨なだけでなく、破壊つくされた後に前に向かって
進もうという希望を感じるといところが子供に生命力があるゆえんだ。これには大人は脱帽。
昨年は
「画面真ん中の折れた剣を握り切り取られた腕のそばに描かれた一輪の花はかすかな希望の表現である。」という指摘した生徒がいた。
決して勉強ができる優等生ではなかった彼が指摘した腕に全員の視線が集中した。
そうか、あの花は悲惨な戦争の中でも少しの希望があるという表現なんだ。とまた私は驚かされる。
そして今年、
「画面に描かれている人物や動物がほとんど左を向いている。そこに火山の噴火のように見える煙(実は牛の尾なのだけれど)
に向かってがんばってみんなで行こうとしている。」「上部の灯りは全体に閃光のように光を与え、太陽のような希望の存在だ。」
これまた、いつもならなかなか真面目に授業に取り組めない生徒がすごい一言を発する。
よくもこれだけ毎年違うところに注目し、意見が出るものだと感心する。
そして私が一番感動するには前知識がなくても悲惨な戦争の場面であることは鑑賞した全員が感じるのだが、
あの白黒のかすかなグラデーションの画面のそこから前向きに希望に向かって頑張ろうという子供たちが
人間社会の肯定感を感じるということが凄いなとしか思えない。
この絵を観た大人が果たしてどれくらいそういうことを感じるだろうか?
今年の鑑賞した最後にある生徒は「ピカソってやっぱり全ての戦争はしたあかんて言いたかったんやなー。」
と言うではないか。
その時は、彼らはみな、1年生の時にシャガールの「旅する人々」か「La Vie」を鑑賞しているので
そういう意見が出るんだろうなぐらいに考えていたが、
「暗幕のゲルニカ」を読んでそういう一説が出てくる。
その時、もう涙が止まらなかった。
絵の観方はそれぞれでいい。でもたった1時間の間に教科書の写真と前に映し出された映像だけで
時間と空間を超えてそれだけのことを感じさせる絵画、美術は凄いなとしか思えない。
たくさんの言葉やビデオ映像より一瞬で戦争いや普遍的な暴力の悲惨さやそのことから立ち上がる人間の強さを
同時に伝えることができたピカソは本当に凄い。