遊びをせんとや

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おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

キーワードは東北 その② ~京セラ美術館 平成美術:うたかたと瓦礫 1989-2019~      ~

2021-02-25 06:30:53 | 美術館、博物館
仕事が詰まって「いやーどっかいかんとおかしくなる!」と
またまた京都に出かける。

先々週も訪れたが、今回は京セラのこの展覧会を目指して。


いやー久しぶりの近代美術
「平成美術」と銘打ってる近代美術。一番新しい。

平成の時代を振り返っての巨大年表


こうやって見ると本当に大事件と災害ばかりだったような平成だ。
サリン事件、阪神淡路大震災、普賢岳噴火、各豪雨、東日本大震災上げればきりがない。

物質を作っては潰す行為を批判した。
ビルバーガー



 

本物の鼠をはく製にしても飾る。


圧倒された。

それ以上に印象に残ったのは東北芸術工科大学の共同作品。

奈良出身の日本画の三瀬夏之介先生と山形出身の油の鴻崎正武先生が生徒たちに共同制作を持ちかけた。
箱舟という名のギャラリーからの依頼。
下描きができた時に起こった東日本大震災。
「東北がは可能か?」
ここでも、キーワードは東北

中央から忘れ去られた地方という立ち位置で何を表現できるか。





東北の手仕事のパッチワーク


  

その前に展示されている三瀬夏之介の作品


共同制作というある意味素朴な芸術活動。

何だか迫ってくるものがあった。

キーワードは東北

キーワードは東北 その① ~ぼくがアメリカ人をやめたワケ~

2021-02-24 20:11:19 | ブックリスト
新聞の書評欄を毎週楽しみにしている。
我が家は2紙とっているので、「今週はAの勝ちだな。」とか
「今週は五分五分」「今週は圧倒的にMの方が面白そうだ。」とか
書評欄だけで色々楽しめる。

それまで日曜日に掲載されていた書評欄があいついで二紙とも土曜日に移行した。
これは、先行されてたまるかというライバル意識の表れ?

同時に同じ本が掲載されることは私の記憶ではめったになく、
1週ずれくらいに載ることはある。

これはどちらの書評欄に載ったかは今では覚えてないが、
「読んでみたい。」を思わされた本

ロジャー・パルバース著
「ぼくがアメリカ人をやめたワケ」



著者は1944年(終戦直前だ)にニューヨークで生まれ、ハーバード大学院まで出たイケメン秀才。
アメリカ人をやめて日本人になったわけではないが、すごく日本に思い入れがある。

結局、オーストラリアの政治にほれ込んでオーストラリア国籍を取得するロジャーさん。

その彼が特に宮沢賢治の童話と石川啄木の短歌に造詣が深い。
私、この2人とも実は苦手なのよね。
なんでか、知らんが、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」は小学校4年生くらいにすごーく感銘を受けて読んだ覚えがあるんだけど、
どうしてもあとはあの空恐ろしいような深く暗い世界になじめずにいる。
銀河鉄道の夜も全部よんだことないと思う。
注文の多い料理店もなんだか怖い。よだかも怖い。

グリム童話にように底に秘められた人間の怖さが滲み出るようで踏み込めない。

石川啄木も「じっと手を見る。」
これがだめ。

でもこのロジャーさんは東北が日本の犠牲になっていることを憤り、この2人をとてもリスペクトしているのです。

なんだか東北は戦中戦後の沖縄のような立ち位置です。

沖縄は南でイメージとしては明るい。
でも東北は何となく暗い(ごめんなさい。東北の方)

でも私たちが「かわいそう」と思うこと自体がおこがましい、偉そうやんかとすごく思う。

なんだかもぞもぞした思いがいつも残る。

旅してもそうだった。

退職したらやっぱりそのもぞもぞの正体をもう一度確認しに行こう。








ミモザの花

2021-02-21 15:05:52 | 日々のあれこれ
先週末、近くのスーパーにミモザが売られていた。
「わー」と思って欲しかったけど、家の花がまだ持ちそうだった。

来週と思っていると今週はもう売ってなかった。(当たり前か)

日曜日、買い物に出かけて開いてまもないデパートで見つけた!

ミモザ。

どこにも行けないので大人買い。



春が一度に来たような
なんだか、日本的ではないような
どこかに行ったみたいな感覚になった。



本日は義母の月命日。

お経をあげに来たいただいたお坊さんが
少し遅れた理由に
「おばあちゃんの祥月命日に伺ったら、お母さんが40代で亡くなって、、、、。」
と話を聞いてたらということだった。

子供さんはまだ中学生と大学生。

お若い方が亡くなる話を聞くのは本当になんとも言えない。

どうして家が、、、。と思われるだろう。

今日、一日いい日だったらと思わざる得ない。

あー、仕事もあと一息。

週末の晩御飯とお花

2021-02-15 06:30:19 | 日々のあれこれ
今週末は息子がバイトなので、
土曜日の夕食



金曜日は魚介ということだったので
あじのお刺身や
殻付き甘エビの素揚げやら

土曜日は
暖かかったので久しぶりのカクテル


イチゴを使って。

少しお肉も添えて
付け合わせの野菜はバーミキュラを使って、ポトフ風。
ピザやらステーキやら好きな物を並べて

週末の食事が一番の楽しみ。
ほっとする。
日曜日に近くのホテルの中華料理を食べに行こうと電話したら休業中。
先週も京都のハイアット・リージェンシーの東山も休業してた。
緊急事態宣言が出ているから仕方ないですね。

でも一週間やっとたったという感じの週末
一つの山を越して
何とかうまく収まった。

コロナのために、初めての試みもあった。
暖かかったのも幸い。

何とか春までこのまま上手くいってほしい。

今週の日曜日の花


白梅紅梅+目白ファミリー

2021-02-14 14:52:43 | 日々のあれこれ
まず、白梅が満開に。



そしてここ2~3日の陽気で一息に紅梅が咲きだした。



3年前の台風で折れてしまった紅梅の木
外の道に梅の実が落ちて汚くて迷惑になるので
生垣の外にはみ出した枝は思い切ってバッサリやる。
結構いい枝ぶりになってきた。

白梅が咲くころにいつも目白がつがいでやってくる。
今年は最高、3つがい、計6匹やってきた日もあった。

目白ってなんでいつもつがいなんだろ?

思えば、昨年の今頃はマスクはない。
トイレットペーパーはない。液体ハンドソープはない。
除菌アルコールはない。の不安な日々だった。

2月末の突然の休業

また、万博の自然文化園に梅でも観に行こう。





奇跡の楽家 ~日本民藝と粋の融合~

2021-02-07 13:51:38 | 旅行
緊急事態宣言が出ている中
緊急ということもないが、京都に出かける用事ができた。

ついでに家族だけで個室で食事をすることに。

まずは、以前から訪れたいと思っていた
楽美術館へ



油小路にある楽家の窯元


その隣の干場だったところに美術館がある。


  
  

回りはみんな民家か友禅関係のお家。

茶室風の展示室は広くはないが、とても気持ちがいい。



久しぶりの再会 梨花

三代道入の黒楽 「撫牛」

本阿弥光悦をうならせたらしい。

十五代直入の非凡な才能を感じさせる。玄亀


まさに守破離
基本を知り尽くし
自分の技を磨き、知り
そこから飛躍する。

まさにアバンギャルドだ。

所々にさりげなく


お茶碗は用の美

そこかしこに千利休の息遣いを感じる。
質素に用途を踏まえて

端的に美しく
日本の民藝と粋とを融合させたと感じるのは私だけ?

楽家は十六代までずっと一子相伝。
途中で本阿弥家や尾形光琳、乾山の血も取り込み(これってすごい)
なんとか血筋を絶やさず現代まで続いてきた。
すごいことだ。

特別展示として、玉三郎が作って十五代が焼いた茶碗と
十六代が焼いた茶碗が、能面と一緒に展示してあった。

そこだけは写真撮影NGだった。

観終わって、外に出るとなんだか無性にお抹茶が飲みたくなった。
お薄でいいから。

近くの「とらや」で私には珍しく羊羹夜の梅とお薄を注文した。
生菓子が売り切れというのもあったが、、、。



三分の一は旦那に食べてもらった。

寺町で用事を済まし、夕食は高島屋の上階の「たん熊」
懐石料理


食前酒も食中も日本酒


壁の絵はまるで大学時代の日本画のよう


落ち着いた個室だった。

換気も十分。
当然、8時には完全閉店。

日本酒を飲みながらでも十分な時間だった。

貝柱のしんじょうや、蕪蒸しがあつあつですごく美味しかった。










カレンダーが欲しいと思ったら、、、。

2021-02-01 06:20:39 | インテリア
仏間&アトリエ(今は仕事部屋)にカレンダーが欲しいと思った。
壁掛け時計もない。時間や日付がわからない。

カレンダーはよほど気を付けてないとゴテゴテしたものがすぐに入りこんでくる。
今年は小さなカレンダーが一つだけ。それは隣の書斎&納戸にまずおさまる。

カレンダー小さいのを購入しようかなと思ってた矢先、
アルフレックスから郵便で送られてきた。



これがぴったり。ちょうど右の壁に細長く。

この隣にいずれ、時計をと思っている。
あまり大きくない物。
すぐ、目の前はいやだなと思った。
気が付いた時に右を見ると時間や月日がわかる。

時計は色々考えて、ジョージ・ジェンセンのコぺル直径10㎝の物を楽天でポイントで購入。
本当は黒のスチール枠のが欲しかったのだが、どうも作ってないみたなので、ステンレス枠で我慢した。

届くのが楽しみ。すこしずつ、自分の気に入ったように仕上がっていく。