近所に住む双いとこが、「かよこ、私たちの先祖の人だよ」といって、コピーを持って来てくれました。
そこには、「佐藤八右衛門(文政5年7月2日~明治42年8月19日)幕末の農村指導者。脇本大倉うまれ。資性篤実で嘉永2年から明治5年まで大倉、飯ノ森、浦田三カ村の肝煎りを務めた。文久3年以来、栽竹の方法を研究し、寒風山ろく十余ヘクタールに及ぶ竹林を植え付け、大いに公益をあげ「男鹿竹」の名を広めた。・・・・・没後、石川理紀助が感謝状を送った・・・」などと書かれていました。
へえ、おどろいた!。小さいときに遊んでいたあの大きな石の歌碑は、石川理紀助がご先祖さまに贈った歌を書いていたのだそうな。
5歳で別れた父はどんな人間だったのか、どんな親戚がいたのかを知ることもなく、自分のルーツが見えなくて悩んだときもあったけれど、それは、父系社会を自分が内包していたにすぎず、母方でみれば、そうだったのか・・ということですね。
人間は、多くのご先祖さまのおかげで、きょうがあるわけで、改めて、感謝をすることにいたしましょう。
今度、男鹿に行ったら、ちゃんとあの歌碑を見てくることにいたします。