叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 七十一

2009年04月03日 | 新・仏教教室

 末法悪世の時とは *
山本さん、
「先生、四聖は凄いですね、特に仏界は凄いのですね。
この境涯になった人はどのくらいいるのですか。」

ジッチャン、
「たくさんいます。
特に有名なのが釈迦、天台、伝教、日蓮の四人です。
出家ではありませんが、全インドを統一したアショーカ大王、中国随の文帝、
日本の聖徳太子なども仏と同じ境涯で法華経を広め、

人々が幸せにくらせる国づくりをしました。
世界史上の名君主として名高い人たちですが、共通しているのは慈悲の
心の体現者で、生きているものすべてに奉仕する精神で尽くしたことです。

釈迦は、
「自分が死んでも葬式はしなくていいから、その時間をムダにしないで、
他を廻って一人でも多くの人に法華経を語りなさい。」
 と命じたほどです。

 生きとし いけるものの、
 安穏と  幸せのために、
 すみやかに法を広める旅に出なさい。

というのが釈迦がすべての弟子に与えたメッセージだったのです。
注、 仏教は葬式をするために説いた教えでないことが分かるでしょう。

 *

問う。
宗教はたくさんあるのにナゼ今、法華経を広めるのですか。

答う。
釈迦は自分の死後二千年以降を末法法滅の時といい、
末法は五濁悪世
(ゴジョクアクセ) で人々が不幸にあえぐ悪い時代であると予見しました。

その人たちを救うには法華経を広めて、生命の実相に人々を目覚めさす
しか方法がないので、法華経が世界中に広まることを願ったのです。
五濁とは人々の命が汚れる五つの原因を明かしたもので、

一 劫濁(コウジョク)
時代の濁り、環境・社会に悪い現象が重なり起こる時代そのものの乱れ
のことです。
時代の濁りといっても時代に実体があるワケではなく、次の四濁が激しく
盛んで、その濁りが長く続いている時を劫濁といいます。

二 以降は次回に続きます。

つづく   

   


人間賛歌 「新・仏教教室」 七十

2009年04月01日 | 新・仏教教室

 四聖の境涯 *
問う。
六道の境涯の上は何ですか。

答う。
四聖の境涯といいます。
六道の境涯がモノ、カネ、地位などを得ることが幸福と考えるのに対し、
四聖は心の平和と喜びを幸福と思う境涯で、六道より精神的に一段高い
境涯です。

問う。
四聖の境涯について詳しく教えてください。

答う。
カネ、モノ、地位などで得られる幸福はいつまでも続くものではなく、いつ
なくなるかわかりません。
そんなものに頼らずゼツタイになくならない心の幸福を求めるのが四聖の
境涯です。

四聖には次の四があります。

一 声聞界(ショウモンカイ) 人生の真理を知ろうとして師を求める人。
二 縁覚界(エンカクカイ) 一芸に秀でた芸術家や専門を究めた学者など
   で、師をもたずに真理の一部を悟った人。
三 菩薩界(ボサツカイ) 仏の境涯になるために、仏と同じ利他の行為を
   する人。 釈迦は、私は昔、菩薩道を行じて今の釈迦仏になったと、
   経文に記されています。

四 仏界(ブツカイ・仏ともいう)
  
生命の実相を悟った人で、実相とは妙法蓮華経の異名なり、と御書に
   はあります。。

生と死は別々の物ではなく、一物が現す二つの面であり、
これを体と影の関係に例えると、体があって影がないとか、
影があるのに体がない、というようなことはあり得ません。

生命も生があって死がなく、死があって生がない、というようなことはあり
ません。生命は生と死が一体であることを「生死不二」といいます。

生死不二を悟った人を仏といい、六道の他の三聖が生死のワクの中いる
のに対し、その束縛から解放されています。

仏の境涯は慈悲の心が基本で、他を利するための智慧は無限で尽きるこ
とがなく、日々に前進してさらに多くのいきものを救おうとします。

世の中で最も尊い人の意で世尊とも、世の王者(世雄)とも呼ばれます。い
つも歓喜に包まれた命であり、無始無終に実在する命であります。

つづく