叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 十三

2008年06月27日 | 新・仏教教室
ケイタくん、

「ジッチャン、十界のどれもが、縁がないと現れないのですか。」

ジッチャン、

「そうだよ、たとえばステキな彼女ができて喜んでいても、彼女にフラれたら
ガッカリするだろう。
 天界の喜びから、地獄の苦しみに急転直下だね。彼女が縁になって、
天界や地獄界が現れたワケだ。

仏界も縁がなければ現れないから、よい友人をもつことが大事なんだ。
悪友と交わると、自分も悪くなるから不思議なんだね。」

山本さん、

「先生、仏教は縁を大事にする教えだと聞いていましたが、そういう意味が
あったのですか。」

ジッチャン、

「そうです。十界の因は生命に内在していても、縁がなければ結果となって
現れないのです。
 余談ですが、生命に十界があること自体がなかなか信じ難いのです。
以前に、世親の唯識論や、ユングの深層心理学などを例にして話しました
が、難しくなるので今日はやめておきましょう。

 注釈  この件について詳しく知りたい人は、唯識論・ユング・深層心理学
 十界の境涯などで、ブログ内検索をしてください。

 仏教では縁起(エンギ)の思想といって、
もともと有るものでも、縁がないと出現しないので、すべての事象は縁によ
って起きると定義し、とても大事な考えかたの一つとしているんですよ。」

ケイタくん、

「ジッチャン、ボクたちはよく「あのひとは慈悲深い人だ」と言ったりしますが、
この場合の慈悲と仏教でいう慈悲とは同じなんですか。」

ジツチャン、

「ケイタくん、慈悲深い人というのは、人の気持ちがわかり、
他人にやさしくする人のことをいうが、仏教でいう慈悲と通じると言えるね。

 ただ慈悲の心というのは本来だれにでもあるので、前に、どうしょうもない
悪人でも自分の妻子は愛するので、
だれにでも慈悲心があることのあかしだということを話したね。
 
 仏教でいう慈悲は、ただ相手を思いやるやさしい心だけではないんだ。」

つづく    




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