田中教授の話・追加分
対話中、第七識について、自分自身に執着する心、
自己保存の本能で、具体的には、
貪欲、怒り、愚か、恐怖の四つをあげた。焦点ボケを避けるため次のところを
削除したが補足しておきたい。
五 慢心 髪の毛一本も人間は自分でつくれないのに、全てが分かったよ
うに錯覚し傲慢になる傾向があるね。慢心するとそこで進化は止まる、
故に常に謙虚な心でいることが大事だ。
諺にも「勝利の女神は謙虚を好む」とあるぐらいだからね。
六 疑い 自分が学んで知っていること、経験したこと以外のものを信じようと
しない狭い心のことだね。
七 邪見 誤ったことを正しいと思い、正しいことを誤りと思う、かたよった心の
ことだ。自分の思い込みや妄想に執着し、そこから出られない偏狭
な精神の人だよ。このテの人はケッコーいるね。
八 無明 生命に本来ある迷いの心のことだ。生命はこの世かぎりで、
死んでなくなるとか、肉体はなくなっても霊魂は残るなど、間違った
生命観に固執し、永遠不滅の大慈悲心である仏界の生命(大我)が
あることを信じない心だ。仏性がありながら教えられても信じようと
しない気の毒な人のことだよ。
以上マイナス面だけあげたが、なかには己を捨てて他のために尽くす利他の心を
先天的に持った人もいるがね。
数が少ないのが欠点だが、この種の人を増やすのが人類の課題だ。
以上で「運命と宿業と」の対話はいちおう終わります。
次回から、「人間は何者だ」について述べていきたいと思っていますのて引き続き
よろしくお願いいたします。
私が尊敬する人の説ですが、
「人間は髪の毛一本造ることはできないが、価値を造ることはできる。価値とは美・利・善(反対は醜・損・悪)で、価値を創造するのが人生の目的である。
それには常に前向きで、何があってもヘコタレず、情熱的である必要があり、それは強い心を持つことで可能である。」と言うのです。
そして強い心は法華経の教えを実践して、生命に本来ある仏性を現すのが一番だ。という主張なのです。
私もそれに共感し、三十年間法華経を実践してきました。
その経験と、得た知識をブログでだれかに伝えているのです。分かりやすくをモットーにこれからも続けたいと思っています。
理解しにくい点がありましたら、コメントで質問してください。回答しますから・・
タイトルは聖徳太子の言葉です。
ありがとうございます。
法華経も他のお経も、もともとは一つの教えだったのでしょうか?
すみません・・基本的なことも実は知らなくて。。。
自分でもちょっと時間を作って勉強してみます。
ちょっと師走は忙しすぎて、無理かもしれませんが・・
また質問しちゃうかと思いますが、宜しくお願いします。 おやすみなさい。。。
法華経以外の経は、人々を法華経に導くための仮の教えであると、釈迦自身が言っています。
法華経を説く直前の無量義経で、四十年.未顕真実の
文があります。
いままで四十二年間説いた教えは真実を明らかにしていないが、いまこそ本当の教えを説こう。
と言って法華経の説法がはじまります。太陽がでると
星が光を失って隠れてしまうように、
法華経の太陽が昇るといままでの経は効力が薄れるのです。
希望の経典、法華経は世界中の人に愛されつつあります。どうか学んでください。
いつも夜の訪問なもので
なるほど・・法華経は深いのですね。
内容も難しそう・・・ですね。。機会を見つけて図書館で探して読んでみたいと思います。
色々とありがとうございます。
またお邪魔しま~す。
今日はちょっと時間余裕です。。明日が過ぎたら3連休!でも年賀状書きと大掃除が待ってますう。。
おやすみなさ~い。