叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 信仰に生きる 二十七

2009年06月20日 | 信仰に生きる

 破局 二 ( 私が信仰にはいったワケ )
 私は我が社の会長であり、郷里の大先輩でもあるk先生を心から尊敬
していました。
先生は戦後内務省から出向して、東京都食料局長の要職にあり、飢えに
苦しむ都民の食料供給を一身に引き受けていました。   

ある時、
戦勝国になった某国の暴漢が武器を持って押しかけ、食料庫のカギをあけ
て備蓄している米を渡すよう、先生を脅したのです。
武器を突きつけられて食料庫のカギを渡すよう要求されても、先生は驚か
ず、

「この米は全都民の命の綱だ、自分の命にかえてもこのカギを君たちに
渡すことは出来ない。」

と断固拒否したのです。

自分の命を賭けて都民を護ろうとする先生の迫力に押されて、暴漢たち
は引き揚げていきました。やがてF県の知事になった先生は県民から親の
ように慕われ、推されて国会議員になりました。


証券会社を止めて脱サラした私は兜町で証券金融の会社を始めたので
すが、これが当たって毎日使い切れないほど儲かっていました。

父親が早く亡くなり、貧乏のなか苦労して育ててくれた田舎の母親にも家
を新築してあげ、新たに友人と始めた広告の会社も隆盛でした。
社員も六十人になり、銀座七丁目のN放送ビルに立派な事務所を構える
までになっていたのです。

友人たちは、
「お前はたいしたヤツだ、このままいけばキット大物になるぞ。」
と言っていました。私も、念願の実業家になれるかもしれないと、有頂天
になっていました。

 私の妻は創価学会に入って法華経の信仰をしていました。
私は妻が自分以外のものに心を奪われることに嫉妬し、妻に信仰をやめ
るよう強く迫ったのです。

自分の家は代々真言宗で、私はいずれ家のあとを継がねばならない。
そのとき妻が違う宗教をするのは困る。という理由でした。
真言宗がどんなもので、法華経の教えが何なのか分からないのに、自分
を信じておれば幸せになれるのだと、思いあがっていたのです。

ついに私は妻の信仰をやめさせてしまいました。

つづく   

 



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