叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 八十六

2009年06月18日 | 新・仏教教室

 七如是の続き *

 五 如是果( ニョゼカ )
かくの如き慈悲の心で人々を救い、幸せにする仏の心はいつも歓喜に満
ち充ちていて、どんなひどい環境にいても、無尽蔵な智慧の力で環境を変
革し、楽土に変える神通力を発揮します。

 注
因と果は、因が先で果が後に現れるというような時間的な差はなく同時に
現れます。
自分の命に仏界があることを信じて( 仏因 )、題目を唱えると直ちに仏界の
慈悲の心( 仏果 )が現れます。これを因果倶時といいます。

 六 如是報 ( ニョゼホウ )
かくの如き仏の報いは、人々から敬われ、慕われ、自他共に最高の幸福
境涯になって、それにふさわしい清浄な環境に居住します。

 七 本末究境等 (ホンマツクキョウトウ )
本( 仏界の相 )から末( 仏界の報 )まで一貫して仏界の特質を現しているこ
とです。
金太郎アメはどこを切っても金太郎の顔が出ますが、
仏の十如是はどこをとっても、仏の十如是で一貫しており、地獄界や餓鬼
界はまじらないという意味です。

以上が仏の七如是で、地獄界の人は仏界の正反対の七如是であること
は言うまでもありません。

 *

山本さん、
「先生おかげで十如是についてだいぶん分かってきました。
だれの命にも仏界の因があって、それを現した人が仏で、それ以外の人
は九界の境涯の中のどれかであると聞きました。そこでお伺いしたいの
ですが、仏界の因果と九界の因果はどう違うのですか。」

ジッチャン、
「これはとても大事な質問です。
九界の因果は、善因は善果となり、悪因は悪果となる。 と説きますが、
これは仏教にかぎらずどの宗教でも、善い行いは幸福をよび、悪い行い
は不幸を招くと教えていますので、外の縁によって起きる通常の因果と
言えます。

 仏教の凄さは、通常の因果を超えたとこに、根本の因果である仏因と
仏果が生命に具わっていることを見抜いています。

生命に仏界があることを信じる( 仏因 )、そして、
仏界を現す修行をする( 南無妙法蓮華経 と唱えること )、
その結果仏因・仏果が同時に得られるというのが日蓮大聖人の教えです。

難しいことを言うようですが、釈迦の法華経に対して、日蓮仏法は法華本
門・文底秘沈の大法といわれ、末法の人々が仏界を現す唯一の教えなの
です。」

この稿終わり   


 

 


   



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