叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 若い人の仏教教室 八十一

2007年11月25日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン、
「ケイタくん、日本に仏教が入って来たいきさつが分かったと思うが、
どうかね。」

ケイタくん、
「ジッチャン、聖徳太子が仏教を導入したことは歴史で習いましたが、
太子が法華経を根本にしていたことは知りませんでした。」

山本さん、
「私も聖徳太子が仏教に反対する物部一族を破って、仏教を日本に取り入
れたことは学びましたが、十七条の憲法で仏教を奨めていたことは知りませ
んでした。
当時の日本は宗教オンチどころか、立派な宗教国家であったと言えるので
すね。」

ジッチャン、
「聖徳太子と法華経の話をしていたら、時間がいくらあっても足りないので、
その後の日本がどうなったか、日本史を勉強しなおすつもりで学んでいこ
う。
太子の思想はその後も大きな影響を与え、
奈良、平安時代えと何百年も続く仏教隆盛時代となっていくのだ。

宮中の貴族から一般庶民のあいだまで、男女を問わず法華経の教えが
広まり。ケンランたる仏教文化の華が開いたのだね。
人心も安定し、一説によると死刑の法律はあったが百何十年も死刑の執行
がなかった。とも言われるぐらい、世界に誇れる文明を築いたのだ。


当時、京の都では盛んに法華経を学ぶ講習会が開かれていたようだ。

源氏物語で有名な紫式部が、
藤原道長邸で行われた法華経講義の席を中座しょうとしたとき、

道長が、

「さてはあなたも慢心した五千人の弟子の内なのか、」

と詰問したのに対し、紫式部が、

「人の都合も知らず、慢心した一味と決め付けるあなたこそ、
 五千の内ではないのですか。」

とやり返したと言われている。

注、 五千人の慢心の弟子
釈迦が最重要の法華経の説法に入るとき、五千人の弟子たちが、釈迦を
師にして長年学んできたので、これ以上師に教わることはないと思いあが
り席を立ち去ったことが、経典に記されている。
このことから慢心したものを五千の内と言うようになった。

つづく

 



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