叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 若い人の仏教教室 百十一

2008年04月08日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン。
「山本さんの質問に答えるまえに、大事なことがあるので指摘しておきたい。

大自然は慈悲の心であると言ったが、
正確に言うと慈悲を行おうとする意志・それも不退転の固い意志と言った
ほうが適していると思うね。

釈迦の慈悲の心にしても、釈迦が弟子たちに、

「生きとし生けるものの安穏と、 幸せのために。
すみやかに行って、 人々にこの経を教えなさい。」

と言ったのをみても、たんに慈悲の心ではなくて、慈悲を行おうとする意志
のことなんだ。
だれの心にも慈悲の心はあるが、大事なのはそれを行おうとする意志即ち
具体的な行動がないと意味がないからね。


そこで山本さんの質問に入りますが、
たしかに山本さんの言われるようなことが現実には起きています。
むしろ慈悲に反する行為のほうが多いといってもよいでしょう。仏教の教え
とは違うではないかと、思うのも当然かもしれません。

しかし人間の行為はとりあえず別として、
大自然は一日、一夜、一秒の休みもなく、過去から現在.未来に向かって
生命を慈しみ育てる慈悲の意志(慈悲心を行動で現すこと)をやめようとし
ないのも否定できない事実です。

ではナゼ戦争やテロ、飢餓で苦しむ人がいるのかというと、
生命には十の境涯があって、そのうちの苦しみ悩むジゴク界の境涯とか、
飢えに苦しむガキ界の境涯が人間に現れているのです。

争いは当事者どうしが話し合って解決に努めることは勿論てすが、
人間の境涯を高めることが根本的な解決策になります。

地球も十界の境涯が具わっています。
これは私たち一人ひとりのいのちに十界が具わっているのと同じです。
大自然も、地球も、喜びに満ちた天国のようなところもあれば、苦悩が
充満した地獄のようなところもあります。


仏教は、人間の生命を改革して、ジゴク界、ガキ界、チクショウ界の三悪
道の境涯から、人、天さらにはボサツ界にまで高めることを目的にしてお
ります。
それには人間生命の変革、すなわち人間革命をするしか方法がないの
です。

つづく    

 

 



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1 コメント

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釈迦の誓願。 (katu)
2008-04-08 14:49:30
「如我等無異」ニョガトウムイと読む。

我が如く等しくして異なることなからしめん。という意味である。
釈迦はすべての人を自分と同じ境涯にしょうと願い、それを自分の誓いとして実践した。

釈迦の願いは今も続いているのである。

   
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