ジツチャン、
「題目の力は、たとえばこうも言えるのだよ。
一粒のドングリの実が見上げるような樫の大木になったり、
地球が秒速二十キロの猛スピードで、太陽を廻る軌道を廻ったりするが、
軌道が太陽に近すぎると地球は灼熱の焦土となり、
遠すぎると零下何百度という凍土になってしまうのだ。ちょうどよい位置を
キープして廻っているのだね。
樫にしても地球にしても、ナゼそうなるのか。説明できる人はいないが、
理由は分からなくても何十億年も、それを続けているんだ。そのおかげで
私たちもこうして生きていけるのだよ。
題目にナゼ、それに匹敵するほどの力があるのか。
説明することは出来ないが、自分でやってみると生命力と智慧が満ちあふ
れてくるので、不思議に思うんだよ。
これはねぇ、ケイタくん。
説明は困難だが、仏界のいのちが自分にあることを信じて、
題目を唱え。 その結果事実であるということを自分でつかむ以外に分か
る方法はないんだよ。
日蓮大聖人は、
「百千万年くらき所にも、ともしびを入れぬれば明かるくなる。
我等衆生、悪業、煩悩、生死果縛の身が仏性の因によりて即身成仏する
こと疑いなかるべし」 (趣意)と仰せだ。
注
悪業、煩悩。 生命にしみついた悪い習慣と、貪る、怒る、愚かの三毒が
盛んなこと。
生死果縛の身。 仏性を覆い隠す無明のため迷いの生死を繰り返してい
る衆生のこと。
仏性の因。 仏界を現す原因のこと。
即身成仏。 その身そのままで仏界のいのちを現すこと。
題目を唱えると、無明の闇に閉ざされていた我等の仏性が現れて、
仏界の境涯(二度と不幸にならない幸福境涯のこと)になることは疑いない
ことなのだ。と仰せられているのだ。
だからケイタくん、
ジッチャンが言うことのゼンブは理解できないと思うが、とにかく理屈抜きで
題目を唱える修行をすることだ。そうすれば自然に分かってくるようになる
から・・・」
ケイタくん、
「ジッチャン、分かりました。ボクはゼツタイその通りにやってみます。
また分からないことがあったら教えてくださいね。」
つづく