叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 「新・仏教教室」百三十二

2010年09月25日 | 新・仏教教室

 真言は亡国の悪法 続き *

 釈迦は、

すでに説き(法華経を説く以前の経)いま説き(法華経のこと)まさに説
かん(入滅前に説いた涅槃経で法華経の義を再確認した経)、その中で
法華経が第一であると言い、、
法華経の名を聞いたものは正直に方便権経(大日経もこの中にはいる)
を捨てて実乗の一善(法華経)に帰すべきである。
 と述べています。

これに反するものは我が弟子ではなく、堕地獄(苦しみの境涯)間違い
ないものであると厳命しているのに、ナゼ弘法は邪義をひろめたの
か。
注 実乗の一善 仏界を開く唯一真実の教えである法華経のこと、
末法では南無妙法蓮華経のことであります。

日蓮大聖人は理論ではなく、真言宗を信じた結果国を亡ぼした現証を
あげて真言が悪法であることを証明されています。
真言宗が広まったのは後鳥羽上皇(隠岐の法皇)の時代でした。すでに
平家は破れ源頼朝が鎌倉に幕府を開いていました。

 頼朝の死後のどさくさに乗じて、後鳥羽上皇は鎌倉幕府を討伐しよ
うとして兵を興しました。
しかし急遽攻め上ってきた北条義時率いる幕府軍に打ち負かされ、上
皇は隠岐の島にながされ、二人の王子は佐渡、安房に流されました。
上皇に加担た七人の公卿は直ちに首を切られました。
幕府懲罰の大祈祷に加わった天台座主滋恩僧正、真言の長者仁和寺の
御室、円城寺の長吏もみな惨めな敗北をしたのです。

 日蓮大聖人は、

「国主として民を討たんこと鷹の鳥をとらんがごとし、
たとい負け給うとも一年、二年、十年、二十年も
ささうべきぞかし、
五月十五日におこりて六月十四日に負け給いぬ、わづか三十余日な
り」 
 後略 本尊問答抄 372頁
と、事の顛末を詳しく述べられています。真言宗は国を亡ぼし関係し
た家や人を亡ばす、天下の悪法である証拠としてあげています。

史上始めての栄華を誇っていた唐の玄宗皇帝(楊貴妃を寵愛したこと
で有名)が破滅したのも、真言宗の祖師善無畏を用いたためであると
伝えられています。
仏教の祖師である釈尊に敵対し、法華経をないがしろにする罪がいか
に大きいか、真言宗の家に生まれた私自身が血の凍るような経験を重
ねてきました。
一日もはやく正法に帰して罪障消滅をするよう声を大にして訴えたい
思いです。

続く