叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 幸せに生きる 十六

2010年09月09日 | 幸せに生きる

 これは奇蹟 ?

 東京・銀座七丁目にN放送ビルがあります。
向かい側には資生堂パーラーがあり、しゃれた雰囲気のところです。

本道りに面しており事務所にはもったいないところですが、N放送の
東京支社が四回まで使い、五階以上は貸事務所にしていました。

もと御木本真珠の宝石店がありましたが、御木本が経営不振におちい
り極秘で買手を探していたのです。
この情報を入手したN放送のF社長は、早速銀行をくどいて金を借りこ
のビルを買い取ったのです。

 私は景気のよいときこのビルの五階を借りて広告会社の事務所にし
ていました。兜町にある証券関係の会社と広告会社を経営して得意の
絶頂期でした。
そんな関係でF社長とも懇意になり、時には会食して広告業界のこと
について、いろいろ教えてもらっていました。

 当時はレコード不況でレコードが売れず人材が余っていました。
F社長は新しい事業を進めるためにレコード業界に詳しい人材を求め
ていましたが、多くの応募者の中からAレコード会社で営業部長をし
ているB氏に白羽の矢を当てました。
B氏は業界でも名の通ったやり手だったのと、人柄のよさにF社長が一
目惚れしたのです。

 双方が話し合っているうちに条件が決まり、、
長崎本社に勤務するこが決まって、一家が移転する社宅も決まりまし
た。社宅は百万ドルの夜景で有名な長崎湾を見下ろす高台にありまし
た。
広い庭つきの一戸建ての社宅の庭に立って湾を見下ろすと、夢を見て
いるような気持ちになりました。

 渋谷の狭い家でくらしている家族に、これを見せたらどんなに喜ぶ
だろう。
B氏は意気揚々と東京に戻って、家族にこの話をしました。みんなも
喜んで新しい地でスタートをしようと賛成したのです。

 そのときフトB氏は考えました。
Bは学会員で地区の責任者をし、家を拠点にしていました。

...自分たちはいいがみんなは寂しがるだろうな、長年のつきあいだ
し自分を慕ってくれる人もなん人もいる。
その人たちを見捨てて自分らだけ引っ越していいのだろうか...

長崎も魅力があるし、、散々迷った末BはN放送えの転職を断わったの
です。

それか四-五ヶ月経ったその年の夏、長崎は記録的な大豪雨にみまわ
れ、大惨事をおこしたのです。ガケ崩れで土砂に埋まった家屋数百
戸、二百人以上の人が犠牲になる大事故になりました。N放送がBに提
供しようとした社宅もその中にありました。

 テレビに写し出される現場の状況を見ながら、 Bは..
「ご本尊様ありがとうございました。おかげで家族五人のいのちが助
かりました」

涙を流しながら感謝の題目をあげたのです。

続く