前回からの続き、
ところが国家神道に真っ向から反対した人がいるんだ。
「これは国をあげてのホウ法行為( 法華経の正義に背くこと )であり、
国が亡びるのは明らかだ。」
と叫んで神札を受け取るのを拒否したんだよ。
田中さん、
「先生、戦時中の軍部に刃向かうなんて、日本人にも勇気のある人が
いたんですね。どなたですかその人は・・」
ジッチャン、
「牧口常三郎というお方でね、
小学校校長などを勤めた教育家ですが、創価教育学体系という本を
書いたのです。
本の趣旨は、教育の目的は子供が幸せに生きる方法を教えることに
ある。というもので、
天皇の赤子( 大事な子供のこと )として、国家に忠誠心を持つ子弟に
育てるのが、学校教育の目的であるという当時の政府の方針と大きく
離れていたんだよ。」
田中さん、
「国は黙って放っておかないでしょう。」
ジッチャン、
「そう、治安維持法違反と、天皇に不敬をしたという不敬罪で逮捕し、
刑務所に入れたんだよ。
牧口常三郎は七十歳を越えた老齢でありながら、
検事の取調べに対し堂々と反論し、逆に国家の間違いを指摘したと
取調べ記録に残っているそうだ。」
田中さん、
「へぇ、凄い人ですね。それでどうなったのて゜すか。」
ジッチャン、
「高齢でもあり冷房も暖房もない刑務所の独房で亡くなったのです。
病気になり、病院のある刑務所に移る直前のことだったそうだ。
昭和十九年の秋のことだったがね。
そのとき一緒に刑務所に入っていた戸田城聖というお方が、終戦で
釈放され、空襲で焼け野が原になった東京にひとり出てこられたのだ。
このお方も牧口先生の弟子で日蓮大聖人の仏法を信仰していたの
だよ。」
注、
牧口常三郎は創価教育学会(後に創価学会と改称)の初代会長で、
戸田城聖は同二代会長である。
つづく