叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 人間は何者だ、どこから来たのか 三

2008年01月08日 | 人間は何者だ、どこから来たのか

 解説

前回は、私たちの体は宇宙を縮めた存在で、天地と一体なのだ。
と経典の文を紹介しましたが、これは簡単には理解できないと思います。
生命の真実を悟った釈迦仏の言葉ですから、私たちは信じるか、信じない
かのどちらかです。
今回も、無限の力を持ち永遠に続く生命を悟った仏の言葉の続きを書いて
いきます。


 本文

この金剛不壊の身を 生滅無常の身と思うのが
迷いの境涯(
自分の生命のことを明らかに知らない無明のこと)である
というのだ

凡人が思いもしない 尊極の仏界のいのちが
だれのいのちにも具わる これが因になり
仏界の心という 果となるのだ

因が先にあって 果が後に現れるのではない
因と果は同時に現れるのだ これを因果具時という
因果具時・不思議な一法(言葉で説明することも、
心で想像することも出来ない生命の法則)を

妙法蓮華経と名付けたのだ 名付けたひとは
この不思議な法を悟った人で その聖人のいのちを
「南無妙法蓮華経」と 申しあげるのだ

植物の蓮華は 花(因)と実(果)が同時に現れる
通常 植物は花が先で 実が後になるか
実が先で 花が後になるのが普通だ

蓮華草は 花と実が同時なので
仏界の因と 仏界の果が同時にある不思議な法を
蓮華にたとえたのだ

だれのいのちにも 仏因.仏果を具えているが
縁がなければ 実際に現すことはできない
蓮華草も雨や 太陽の光の縁にふれねば
タネが発芽し成長し 果実を実らすことはできない
これと同じだ

仏因仏果を現すには 仏果を体得した師に縁し
教えを乞わねばならない 仏因.仏果を具足していても
正しい師に会うことが難しいのだ

諺に聖人は千年に一度世に現れる とあるほどだ

続く