叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 若い人の仏教教室 八十

2007年11月22日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン、
「前回言い残しましたが十七条憲法の第二条は、
「仏教によらなければ、人の心の曲がったのを直すことはできない。」
の結びで終わっています。

誤解されると困るので言いますが、宗教は個人が自分の意思で、
宗教を持つか、持つとしたら何を選ぶか、を決めることなので憲法で定める
性質のものではないと思います。

ただ太子の時代は、
今から千四百年も前のことで、近世えの夜明けであり、国民の教育にそれが
一番よい方法だったのかもしれません。
このようなワケで太子が自分も信じ、他にも奨めた法華経が仏教信仰の
中心になったのです。

奈良の法隆寺に、太子が法華経を講義している図絵が寺宝として保管さ
れています。私も図鑑で見ましたが衣冠、束帯にシャク(正装のとき右手に
持つ長さ一尺ぐらいの細長い板)を持ち、
威儀を正して講
義されている姿に、聴く者は心を打たれたと思います。


日本書紀には、
太子が推古天皇をはじめ宮中の女官たちに、一年にわたって法華経を
講義したことが記されています。
講義を聴いた者で喜ばなかった者は一人もいなかったそうですから、
名講義だったのでしょう。

当時百済の国から多くの仏典と釈迦像が贈られましたが、
その中に法華経の経典がなかったので、太子は中国から直接取り寄せた
と伝えられています。
太子は数ある経典の中から、なぜ法華経を重要視されたのでしょう。

法華経は他の経典と異なり、すべての人が仏だと説いているからです。
他の経典は、仏の持つ智慧や力、慈悲などを賛嘆するばかりですが、
その仏が実は、みんなの心の中にあると明かしたのが法華経で、それ故
一人ひとりを大事にし尊敬する教えが、
太子の考えと共鳴したのだと思います。

憲法の第十条に、

「われ、かれ、必ずしも聖ならず、必ずしも愚かならず、ともにこれ凡夫のみ。」 (旧文)
とあるように、一人ひとりが平等で共に仏になる性質をもっているから、
互いに尊重しなさい。という太子の考えと一致するのです。

つづく