叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 若い人の仏教教室 四十八

2007年07月13日 | 若い人の仏教教室
ジツチャン、
「あれ、仏界がないなと思うだろうが、仏界はあとから出てくるから心配しないようにね。


ところで山本さん、カルマン(業)というのを聞いた事がありますか、
仏教を知らない人でもカルマンの法則とかは有名なので、たいていの人は
聞いたことがあると思いますが。

山本さん、
「はい、聞いたことはあります。
人間はカルマンの法則に縛られて、どんなに努力してもあるていどのことは
できるが、それ以上はカルマンによって左右される。という意味のことを聞い
たことがあります。」

ジッチャン、
「そう、カルマンというのは業(ゴウと読み行為のこと)のことで、
人間が生きているあいだに、からだ(身)や、コトバ(口)でした行為や、意すな
わち心で思ったりしたことを業というのだ。

仏教では身口意の三業と言っているがね。

もちろん業のなかには善い業もあるが、たいていは悪い業のほうが多いんだね。
たとえば人をあなどれば、逆に人に軽蔑される業になったり、
人のものを盗めば、貧乏で生活するのに苦労する業になったり、
数え切れないほど多くの業を積み重ねてきている、と言われるのだ。

その業を蓄積するところが第八識(アラヤ識)なんだ。
アラヤとは貯蔵する蔵のことで、業が積み重なって貯蔵されている。
という意味なんだね。

ユングが集合的無意識と言ったのはこの部分を指していると思うね。
ここには個人の業だけでなく、人類全体の業が..悪業も善業も、ここに集積されていると言うんだ。

これが種子になって、善い種子は善い果を生じ、
悪い種子は悪い果となって現れるのだ。

善業も悪業も混在しているアラヤ識の善業はよいとして、悪い果をもたらす
種子を善に転換しなければ、人間ひいては人類の苦悩は解決しないのだ。

これを仏教では宿業転換といって、
仏道修行の目的は宿業を転換し、自分も他の人もともに幸福になる、
ことにあるのだ。

つづく