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叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌「新・仏教教室」百十四

2010年01月22日 | 新・仏教教室
 法華初心成仏抄 解説 *
 
 (初心者でも幸せになれる法華経の教え)
 日蓮大聖人が御在世の当時(鎌倉時代の初期)、仏教には八宗、十宗と
もいわれる宗派がありまして、
各々の宗が、我が宗が釈迦の教えを正しく伝える正統な宗である。と言い
合っていました。。

主だった宗派を挙げてみますと、
天台宗、真言宗、念仏宗、禅宗、華厳宗、律宗などで、天台宗を除いては、
釈迦が法華経に導くために人々を誘引する目的で説いた仮の教えであり
ます。

これを権経(ゴンキョウ・仮の教え)とも爾前経(ニゼンキョウ・法華経を説く
前の教え)ともいいますが、仮の教えをいくら修行しても成仏という最高の
境涯になることは出来ません。。。
 みなさんの中にもいらっしゃると思いますが・・・

 ナムアミダブツとか、ナムダイシヘンジョウコンゴウとか、
 ナムシャカムニブツと。。
いくら唱えても、みんな権経の題目ですから成仏することは出来ないので
す。

 成仏といいますのは、これからも度々出て来る言葉で。。。
自分の命(心)に具わっている仏界を現すことを言います。
前にも言いましたが、成仏とは仏になるという意味ではなく、仏界を開くと
いう意味で、元々自分に具わっているものを取り出すという意味でありま
す。
自分の心の中にあるものですから、他人はもちろん親兄弟や恋人であって
も自分に代わって開くことはできません。自分が仏に変わる以外にないの
です。

 経文に、自我得仏来(ジガトクブツライ)というのがあります。。
これを普通に読みますと我(釈迦)仏を得て以来と読みますが、日蓮大聖人
は、我仏来(ガブツライ・仏の性分のこと)は自得なり。。。と読まれて。。
仏の性分は自分で得るのだ。と読むのであると教えておられます。

 仏界とか仏の命と言いますのは、「偉大なるもの・・」というしか形容でき
ないほど偉大なものです。。
その偉大さを教えているのが法華経二十八品で、仏の命を褒め称える言
葉で満ちているのです。。

その偉大なるものを得るための修行法は、権経や涅槃経ではなく法華経
を修行するしかない。と教えているのが本文の意であります。

 つづく  


  

人間賛歌「新・仏教教室」百十三

2010年01月19日 | 新・仏教教室
 初めて法華経を聞く人に *

ジッチャン、
「去年は聖愚問答抄の一節を研鑽しましたが、ちょつと難しいので、初めて
の人には向かないと感じました。

そこで今年は創価学会創立八十周年の記念すべき年でもありますし、当ブ
ログがスタートして五年目の節を迎えます。
初心に帰る意味と、初めて法華経を聞く人のために、ナゼ法華経が仏界を
開く直道であるのか、日蓮大聖人の教えから学んでいきたいと思います。

 今回勉強する「法華初心成仏抄」は日蓮大聖人が五十六歳のとき、身延
で著された御抄で、
駿河国岡宮(静岡県沼津市)に住んでいた妙心尼に与えられた書とされて
います。

題名のように、初めて法華経の教えを実践する人が成仏(ジョウブツと読
む。成は開く意味で己心に具わっている仏界を現すこと)するには、法華経
によらなければならないので、この名前がつけられたと考えられます。

 それでは本文に入ります。。
ケイタくん、本文を読んでくれないかね。。。

ケイタくん、
「はい、読ませていただきます。。」

 法華初心成仏抄

「問うていわく八宗、九宗、十宗の中にいずれか釈迦仏の立て給える宗な
るや。
答えていわく法華経は釈迦所立の宗なり。
 その故は己説(イセツ)・今説(コンセツ)・当説(トウセツ)の中には法華経第
一なりと説き給う。これは釈迦仏の立て給う処のおことばなり。
故に法華経をば仏立宗といい又は法華宗という又天台宗ともいうなり。」

 現代語にしますと、

 質問します。
八宗、九宗、十宗のなかで、どの宗が釈尊の立てられた宗ですか。
 答えます。
法華宗が釈尊の立てられた宗です。そのワケは法華経法師品第十に、己
説・今説・当説の中では法華経が第一であると説かれていますが、これは
釈尊自身の言葉であります。
故に法華経を根本とする宗を仏立宗といい、又法華宗とも天台宗ともいう
のです。

 注
 己説 今までに説いた教え、法華経を説く前の教え。
 今説 今説いている教え、法華経の開経である無量義経のこと。
 当説 これから説く教え、法華経を説いた後の教えで涅槃経を指す。

解説は次回です。   

 

人間賛歌「新・仏教教室」百十二

2010年01月07日 | 新・仏教教室
 新年の抱負、続き *

ジッチャン、
「山本さんあなたは偉いですねえ。
その国の文化を知るには、その国の言葉を知ることが一番だとは、さすが
ですね。あなたは将来、今の会社のトップまでいける人だと思いますよ。。
 おめでとうございます。。」

山本さん、
「先生、正月早々社長の辞令を頂いてありがとうございます。そのつもりで
がんばります。」

ジッチャン、
「ケイタくんは証券会社に就職が決まったそうだが、よかったねぇ。。。
 おめでとう。就職難でたいへんな中をよくがんばったよ。みんなも喜んで
いるだろうね。」

ケイタくん、
「ボクの第一志望はほかの会社だったのですが、そこはダメで、証券会社
に就職することが決まりました。
決まった以上は早く仕事を覚えて、会社で役に立つ社員になろうと決意し
ています。」

ジッチャン、
「みんなそれぞれ抱負があって良かったねぇ。それでは私の抱負を言わし
てもらいますよ。

今年は、歴史小説「目覚める人・日蓮の弟子たち」を連載して、
日蓮大聖人を支えた当時の弟子たちの生き方や、大聖人の素晴らしさを
多くの人に知ってもらいたいと考えています。。

それにはワケがありましてね。
今から四年ほど前、親日家で知られていたロシアの駐日大使W氏が、日本
での任務を終えてロシアに帰国するとき、日本人に親愛の情をこめて次の
ように助言されました。

 「私は日本人と日本の国が大好きで、友人もたくさんいます。。
今度この国を離れることになりましたが、日本の人たちに助言しておきたい
ことがあります。
それは日本人は、いつまでも戦国時代の英雄である織田信長や武田信玄
などの物語ではなく、道元とか日蓮など鎌倉時代に活躍した思想界の巨
人たちの伝記を読むことをおすすめたい。

 日本には世界に誇れる思想界の先駆者がいるのに、どうしてその人たち
に学ぼうとしないのか不思議な気がします。」

というものでした。
私はW氏の言葉に感動して、いつか日蓮大聖人のことを書こうと決めてい
たのです。そんなワケで今年から連載をスタートしました。
どうかみなさんも読んでくださるようお願いします。」

追記

雑誌記事でW大使の助言を知った私は、ロシア大使館に表敬電話をしまし
た。だが大使は外務次官に栄転されて、モスクァに経った後でした。
ロシア外務省に電話を廻しましょうかと係りの人が言ってくれましたが、私
はロシア語が話せないので礼を言って断わりました。
 語学って大事だなぁ、と思ったものです。。

つづく   
 

人間賛歌 「新・仏教教室」 百十一

2010年01月05日 | 新・仏教教室

 新年の抱負 *

ジッチャン、
「みなさん、新年おめでとうございます。
山本さんも、ケイタくんも、今年も宜しくおねがいしますね。

昨年は政権交代もあり、不況も深刻化して激動の年でしたが、今年はどん
な年にしたいか。みんなの抱負を語り合うのも正月らしくていいと思います
が、山本さんどうでしょうか。。」

山本さん、
「先生、賛成です。。新年の抱負を大いに語って今年を良い年にしたいと思
います。去年がたいへんでしたので、今年も心配ですが・・・
 先生、今年はどうなるのでしょうかねぇ。」

ジッチャン、
「政治も不安定だし、経済も切り札がないので、どこに手をつけてよいかわ
からないのが現状でしょう。
でも手をこまねいているワケにいかないから、いろんな政策が実行される
ようです。どういう影響がでるかはこれからの課題ですがね。。

 新政権の、「コンクリートから人へ」のキャツチフレーズはいいですね。
アメリカの約二倍のカネをかけて、
こんな小さな島国を、コンクリートで固めてきた土建王国日本の生まれ変わ
り元年であれば国民にとってよいでしょう。

人(命)を大事にする政策が本当に行われるようになったら、日本は素晴ら
しい国になると思います。

まあ、国とか会社とか、マクロのことは私たちの一存で思うとおりに出来ま
せんが、ミクロに考えて、自分は今年はナニをするのか・・
これは自分で決めて実行できますから、ミクロの抱負を話し合ったらいいと
思いますよ。。
 私の師は、
「未来がどうなるかではなく、未来をどうするかが大事なのだ」と常々教え
ています。
自分の未来を決めるのは自分の意思ですから、年頭に、今年はこうする。
と決意する意味は大きいと思います。」

山本さん、
「私は今年は中国語をマスターしようと決意しています。
会社の海外工事を担当して、今までは中近東の仕事が多かったものです
から、アラビア語を勉強して身につけました。
しかしこれからは中国中心に東アジアに伸びていかなければ、世界の流れ
について行けません。。

 それで中国語をますたーしようと考えたのです。
私の考えでは、外国でビジネスをやるには、その国の文化を知らなければ
商売になりません。その国の文化を知るには、その国の言葉を覚えること
が一番であると思います。いままでの経験からですが・・・」

つづく      


   


人間賛歌 「新・仏教教室」 百十

2009年12月17日 | 新・仏教教室

 法華経の大ロマン 地球の未来は ? 

山本さん、
「先生、私は法華経を読んだことがないのですが、ずいぶんスケールが大
きいのですねえ。
前に宇宙科学者ホーキンズ博士の「宇宙を語る」を読みましたが、
それにも私たちの想像を超えた世界が描かれていて、地球のような人間
の住める天体(星)が無数にあると書いてありました。そこを読んでたいへん
感動したのを覚えています。

 今から三千年も前に釈迦が法華経で説いた宇宙観と、
近代宇宙学の権威ホーキンズ博士の宇宙観がよく似ているのが驚きです。
望遠鏡も人工衛星もない時代なのに、釈迦はどうして宇宙の姿を知ってい
たのでしょうか。。
それから先生にお聞きしたいのですが、仏の目から見て地球の未来はどう
映るのでしょうか。ゼヒ知りたいですねえ。。」

ジッチャン、
「仏の目で見た地球の姿は、いろんな星がある中で、仏が大衆に法を説い
ている星というのがありましたね。地球もその一つだと思います。

約三千年前に釈迦という仏がインドに生まれて法華経を説きました。
このことは地球が、仏が大衆に法を説いている星の一つであることを示し
ます。

釈迦は地球に法華経が広宣流布(広く行き渡ること)することを宣告して亡く
なりましたが、そのとき、地球に広める五文字の法華経・南無妙法蓮華経
と、それを広める人を地涌の菩薩であると定めて、その人に地球の広宣流
布を託したのです。

 その後釈迦の予告どおり、日本に日蓮大聖人が地涌の菩薩の上首とし
てお生まれになり、末法に広める五文字の法華経を書き顕した御本尊を
建立されました。
その後、創価学会が出現して、五文字の法華経を世界中に広めています
から、地球は広宣流布途上の星であると言えるでしょう。。

釈迦は自分の死後二千五百年後に、この法を世界に広めて断絶させては
ならないと宣告し、
日蓮大聖人は、五文字の法華経が世界に広宣流布することは、大地を的
に矢を射るようなもので、絶対にはずれことがない。と確約されています。

そうなりますと、無数の仏と大衆が共に仏道修行している星と同じで、
地球が仏国土になることは決まっていると、経典には記されているのです。
これが仏の目で見た地球の未来ですが、山本さん。お分かりいただけたで
しょうか。」

つづく   

 

   


人間賛歌 「新・仏教教室」 百九

2009年12月15日 | 新・仏教教室

 「聖愚問答抄研鑽」続き 法華経の大ロマン

ジッチャン、
「前回学んだ本文の続きを拝読します。
 
 「あるときは餓鬼・飢渇(ケカチ)の悲しみにあいて、
 五百生のあいだ飲食(オンジキ)の名をも聞かず」

前回は戦争の災禍で焦熱、紅蓮の地獄界を勉強しましたが、今回は四悪
道(地獄界から修羅界まで)の中の餓鬼界の苦しみについて述べています。

今は食料不足は昔の話しで飽食の時代になっていますが、世界には今で
も飢えに苦しむ人たちがたくさんいます。

五百生(五百回生まれ替わること)のあいだ、満足な食べ物にありつけない
というのは、慢性的な食料不足が長期間続くことですが、過去にそういう
時代があったことは事実であります。
そのために人間のからだは飢えに耐えられるように・・
また、少しの食物で生きていけるように改良されてきました。

二本足で飽食し大きなおなかを抱えていたら、人類は生き残っていなかっ
たかもしれません。
一部の先進国では過食が問題になって、
コカコーラの大ビンをなくし、マクドナルドのハンバーガーを小さくしろ。。
という声まであるようです。


ところで五百生とはどのくらいの時間なのか。。仏教の視点で考えてみまし
ょう。
仏教では生死を繰り返しながら、九界を輪廻すと説いていますが、五百生
とは生死の繰り返しを五百回するという意味になります。
一回の生を五十年としても何万年もかかりますから、想像を超えた時間だ
と思うでしょう。

 これに限らず法華経で説く世界は大風呂敷か、オトギ話ではないかと思
うほど大きなスケールで話が展開していきます。
釈迦が智慧の光を出して三千大千世界を照らしますと、無数の星が映し出
されますが、

ある星は仏が誕生したばかりで、まだ法華経の説法をしていない星であり、
別の星では、仏が出現して人々に法を説いているのもあり、
またある星では、無数の仏が現れて大衆と一緒に法華経を修行している。
というように、星によってさまざまな形があるのを照らし出した様子が記さ
れています。

仏が誕生したばかりの星は、まだ法華経の流布していない星で。。
無数の仏と大衆が共に仏道修行しているのは、法華経が広宣流布した星
(仏国土)であることを示しています。

 注 
 三千大千世界、 銀河系の宇宙が無数にある世界で超大宇宙のこと。

次回に続く  



 






    


人間賛歌 「新・仏教教室」 百八

2009年12月02日 | 新・仏教教室
 聖愚問答抄研鑽 戦争は諸悪の元 *

ジッチャン、
「敗戦後に知ったのですが、中国に出征していた兵士がソ連軍の捕虜にな
り、シベリアに連れて行かれました。
何十万の人がマイナス二十度にもなる極寒の地で、苛酷な労働を強いられ
たのです。
飢えと寒さで数万人が亡くなりました。
大紅蓮の氷に閉じ込められた苦しさは、私たちには想像できませんがソ連
に抑留された数十万の人たちは、それを生きながら経験したのです。

 仏教は三千世界のすべての財を集めても、一日の命にはかなわないと、
命の大事さ、というより尊厳を教えることから始まりました。」

山本さん、
「先生、原始時代と違って食料はうんと有るのに戦争がなくならないのは、
ナゼでしょうか。」

ジッチャン、

「昔の戦争が飢え(食料不足)が原因で起こったことは、生命論で言えば餓
鬼界の生命の現れですが、今の戦争は相手えの憎しみ(地獄界)や、
相手より強い立場を維持したい勝他の念で起きると考えられます。これは
修羅界の境涯です。

人間の生命には、だれにも十界の生命がありますから、
地獄界や修羅界を通り越した仏界(慈悲心)の生命を現さないと戦争は無く
ならないと思います。

人界や天界にも、地獄界、修羅界の命がありまから、
人間の境涯を九界から仏界に変える。。境涯革命しか戦争を永久になくす
る方法はありません。
仏界を現す唯一の方法は、日蓮大聖人が書き顕された御本尊を受持して、
南無妙法蓮華経と唱えることです。

 この世から戦争が無くなれば、一切の不幸を消すことができます。
大焦熱地獄や大紅蓮地獄の苦を受けることもありません。

日蓮大聖人がお生まれになって、御本尊を顕されたのはそのためで、人々
が平和に楽しく暮らせる仏国土の建設が大聖人の願いです。。

つづく    




   

人間賛歌 「新・仏教教室」 百七

2009年11月30日 | 新・仏教教室

 炎の中、凍てつく氷の中(聖愚問答抄続き) *

山本さん、
「生命の真理を悟った聖人と、それを知らない凡人のあいだには大きな開
きがありますね。
聖人の智慧は無量で、過去、現在、未来の三世を見とおして誤りがないと
うかがいましたが、もう少し具体的に教えて頂けませんか。」

ジッチャン、
「聖人はすべての現象を起こす因果の法則を知っていますから、因を知れ
ば果が分かり、果が現れればそれを起こした因も分かります。
これは過去、現在、未来にわたって変わらない不変の法則ですから、三世
を見通せるのです。

経典には「三世を知るを聖人というなり」と記してあります。
その聖人の目で世間を見るとどう写るか、本文に戻って学んでいきましょう。

六道四生に輪廻してある時は焦熱、大焦熱の炎にむせび、
ある時は紅蓮(グレン)・大紅蓮の氷にとぢられ」
 

とあります。どちらも苦しみが極限の状態です。燃え盛る火の中とか、凍て
つく氷に閉じ込められる苦しみは想像することさえできません。
フツウの状態では起きませんが、戦争になるとそうしたことが起こります。

 注 焦熱・肌を焼きこがす熱さ。
    紅蓮・凍てつく寒さで皮膚がとれ、血肉があらわになった状態
    (真っ赤な色)


釈迦の時代も、日蓮大聖人の時代も戦乱はありました。

話が飛躍するようですが、人間が最初に起こした戦争は、食料の奪い合い
から起きた。と学者は指摘します。
相手の部族を殺して、貯蔵している食料を奪えば飢えをしのぐことが出来
るからです。戦争は人間を狂気にすると言いますが、フダンはなんでもない
人が戦争となると狂ってしまい、凶暴になることは歴史が限りなく証明して
います。

私が十二歳のころ、太平洋戦争の末期でした。
米軍機の空襲で焼夷弾が雨あられのように降り注ぎ、空が真っ赤に燃え
上がったのをこの目で見ました。炎の中にいた人たちは焦熱、大焦熱の
苦しみを受けて亡くなったのです。

 私は山一つへだてた防空壕の中にいましたので、焼かれなかったので
すが、ナゼ大人は戦争をするのだろう。。とその時疑問に思いました。
この日、私の住んでいた岡山市は壊滅し、焼死者の数は数千人に達しま
した。

以下次回     
  


人間賛歌 「新・仏教教室」 百六

2009年11月17日 | 新・仏教教室

 生命の秘密を明かす 続き

 質問、
生命の三諦(サンタイ)についてくわしく教えてください。

 答え、
三諦とは生命を三つの観点で明らかにすることです。空・仮(ケ)・中(中道
実相)の三諦といい、内容は次のとおりです。

 一 空、
心のことです。心は有るとも無いとも言葉で断定できないので、有無にかた
よらないように空といいます。

 二 仮、
身(からだ)のことです。からだは環境を造っている物質と同じもので出来て
いますが、これは仮に和合しているので、永遠にあるものではありません。
和合が崩れると無くなりますので仮和合といいます。

 三 中、
空・仮を伴って現れる生命本体を中道実相といいます。空にも仮にも偏ら
ない中道という意味です。空・仮・中の三つがバラバラでなく一体であるの
が生命の実相(真実)であります。

 私たちが日常生活で意識しているのは仮(からだ)と空(こころ)の一部で、
中(生命本体)を意識することはほとんどありません。

せいぜい、五官を通して得た情報で判断したり行動する第六識(意識)まで
で、潜在意識である七識や、
善悪の行為が積み重なって出来た業(カルマ)・これを八識と言いますが、
八識を通り越した生命本然の状態である九識(仏界)を、意識することはな
いのです。

南無妙法蓮華経(九識である仏界の名号)を唱えれば、
自分で意識しなくても仏界があらわれますので、これを妙とも不可思議とも
言います。頭で考えても分かりませんが実践すると自分で体得できるので
妙なのです。

生命には仏界を頂点にして十の境涯があります。境涯は生命活動の状態
の差異で、境遇もその一部です。
境涯には、六道の境涯(地獄界から天界まで)と四聖の境涯(声聞界から仏
界まで)の十種があり、境涯によって心の働き方が違いますから、世の中は
善悪ともども千差万別の姿を現します。

世の中の全ての現象は心が造り現したものですから、善い心になれば必
ず幸福になれます。善い心の最高が仏界の心です。

続く   

 

  


人間賛歌 「新・仏教教室」 百五

2009年11月14日 | 新・仏教教室

 聖愚問答抄続き 生命の秘密を明かす。  *

 生命の真理を悟った聖人は、生命が、心・身(からだ)・体(生命そのもの)
の三つで成り立っていることを知っています。

 一  
心は自分を認識したり、苦とか楽の感情を起こしますが、目で見ることも、
触ることも出来ないので、有るとも言えず、無いと言っても縁にふれて刻々
と現れては消えていくので無でもありません。これを仏教では空(クウ)と言
います。

 二
身(からだ)は目で見たり触って確認できるので、自分と他人の差異を認識
します。私たちの身は環境(地球等)を構成している物質と同じもので出来
ていますから、環境と身は別々にあるようですが、実際は一つです。

これを、依(環境) 正(生命体) 不二と言い、一体であると観察します。

 三
体(生命そのもの)は無死無終で永遠に続いています。
個個を見れば生まれたり死んだりしていますが、生命自体は滅不滅でそ
の実体は、すべてのものを慈しみ育てようとする慈悲の心です。
生命を不幸に陥しいれる苦の刃を抜き、楽という希望の力を与える大慈
悲心が実相(真実の姿)であります。

この心を仏界の命とも仏の心とも言いますが、これは仏だけでなく私たち
の生命にも具わっています。
ただこれを悟って価値創造する人を仏と言い、この心を知らない人を迷っ
ている凡人と言います。

生命が、心(空)・身(仮「カリ」と言い、環境を構成する物質が和合して出来
ている仮のもので、仮というのは和合がなくなると無になるからです)・
体(中とも中道実相とも言います。生命本体のことで必ず心・身をともない
本体のみで単独に存在することはありません)。

以上を三観といい、これを明らかにすることを三諦(サンタイ)と言います。

 質問
「生命の三観を明らかに知っている人を聖人と言い、知らない人を凡人と
いうのですか。」

 答え
「そのとおりです。万物は心が造り現したものですが、それを好ましいとか
好ましくないとか感じるのも心ですから、造るのも心であり、感じるのも心
ですから、心が一番大事なのです。
その心の肝要を究め尽くしたのが仏教で、万人にそれを分かりやすく教え
られたのが日蓮大聖人です。

 聖人の上に大をつけるのは、慈悲が広大なことと、仏教史上未曾有の
御本尊を顕されたので大聖人と尊称するのです。」

次回に続く   

 注釈
生命の三観を明らかに知り、過去、現在、未来を見通す智慧を持った人を
聖人と言います。