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叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」百二十四

2010年06月05日 | 新・仏教教室

 未来を開く聖典・御書に学ぶ *

 テーマ 日本は法華流布の国と示す 五回
 
 歴史的事実や文献にもあるのに、日本に法華経が流布して幸せな国
にならないのはナゼでしょうか。
前回の御書の続きを現代文で拝読します。

「日本は純然たる法華経の国である。
ところが法華経は元来、尊い御経であるからだれが信じない人がいよ
うか。(聖徳太子は法華経を国家鎮護の法と定められた)

 などと口では言いながら、昼夜朝暮に弥陀念仏を唱えている人は、
薬は珍重すべきものであと褒めながら、朝夕に毒を服している者と同
じである。
 あるいは念仏も法華経も同じであるという人は、、
石も、玉も、毒も、薬も、同じであるという者と同じである。。
そのうえ法華経を怨み、憎み、嫉み、謗り、卑しむ人たちだけが多い。

 法華経安楽行品第十四に、
「一切世間に怨多くして信じがたし」と説かれ、また、法華経法師品
第十二に、
「如来(釈迦)の現在すらな怨嫉多し、いわんや滅度の後おや」
と説かれている経文がすこしもたがわず符号している。

 これらの文献をもって知るべきである。
日本国には法華経以外の真言宗、禅宗、律宗、念仏宗等の経教が方々
の山々、寺寺、全国いたるところに広まっているが、これらはまさし
くこの国に相応して仏の御本意にかない、生死の苦を解決できる法で
はないのである。」

 日本は身分の上下を問わず、男も女も、法華経で幸せになる国であ
ると経文にも書かれ、末法の仏・日蓮大聖人が示されているのに現実
はそうではありません。(法華経も広まっていますが、)

 むしろ法華経に怨嫉して、幸せになるどころか不幸になるのが決ま
っている真言宗、禅宗、律宗、念仏宗などが国中に広まっています。
しかも人々は宗教の正邪によって幸、不幸が決まるということを知ら
ないのです。
そのうえに誤りを指摘し、正しい教えである法華経を説いて聞かす
と、怒り、憎み、嫉み、軽しめる人々が満ちています。

 これでは幸せを願いながら、自ら毒を飲んでいるようなもので、決
して幸せになることはできません。

続く  

 


 


  


人間賛歌 「新・仏教教室」百二十三

2010年05月30日 | 新・仏教教室
 未来を開く聖典・御書に学ぶ *

 テーマ 日本は法華流布の国と示す 四

 注,日蓮大聖人は、日本は法華流布の国であると示されています
が、これは各個人にも当てはまります。
個人の集まりが国であり、各個人が正しい宗教によって幸せにならな
ければ、国の平和も栄えもありません。

 これは国のことで自分には関係ないと決して思わないでください。
日本という名に、各人や一切のものが含まれているとの、大聖人の御
意志に反することになりますから・・・

 質問します。

「日本は法華経が流布する国であると示された大聖人の言葉はだいぶ
んわかってきました。
そこで伺いたいのですが、今の日本は法華経が流布している国なので
しょうか。もしそうでなかったらナゼなのか、理由を教えてください
ませんか。」

 答えます。

「平安時代に現れた伝教大師は、聖徳太子以来盛んになつた仏教が、
いろいろな宗派に分かれているのは誤りであると指摘し、法華経の教
えに統一しました。
 これが伝教大師が開いた天台法華宗で、嵯峨天皇のときに勅命が下
って法華経が仏教の根本教義であると定められたのです。

 だが伝教大師の死後、天台宗延暦寺の法主となつた慈覚や智証は師
の教えに背き、真言密教を取り入れたので、延暦寺は真言密教の寺に
なりました。
万人を仏の境涯に高めるという法華経の正義はすたれ、真言密教によ
る加持祈祷が仏教の主流になったのです。

 当時の権力者である後白河法皇が真言密教に肩入れしたのて、、
法華経を否定する真言宗が国中に広まりました。。

正しい思想がすたれ、誤った思想が国中に満ちると、社会は混乱し、
二百数十年続いた平和で繁栄した平安時代は終わり、やがて戦国時代
へと移っていくのです。
 法華経の信仰の厚かった源頼朝が鎌倉に幕府を開いたので、朝廷は
実権を失い名ばかりの存在になりました。

 日蓮大聖人は後白河法皇の例をあげて、真言宗を信じる者は国を失
い、家を失う亡人の宗であると糾弾しています。
この件につきましては次回御書を通して学んでいきたいと思います。

続く    

 

人間賛歌 「新・仏教教室」百二十二

2010年05月24日 | 新・仏教教室

   「未来を創る聖典・御書に学ぶ」   

 テーマ 「日本は法華流布の国と示す」 三  
 余談ですが原子力発電の高速増殖炉に、ミロク・フケン・モンジュなど、法
華経の説法の場にいた釈迦の高弟の名が使われているのも不思議ですね。
 日本が、、
ミロク菩薩や、クマラジュウの師スリヤソマが言うように、法華経に縁のある国
であることの証拠ともいえるでしょう。。

 質問者、
「日本に仏教を導入した聖徳太子は、百済の僧が持ってきた経典の中に法
華経がなかったので、中国から取り寄せたと言われましたが・・・
 聖徳太子はナゼ法華経を知っていたのでしょうか」

 回答者
「聖徳太子がナゼ法華経を知っていたのか、そのワケは分かりません。
太子は、釈迦又は天台大師の師・妙楽の生まれ変わりであるという説があり
ますが、真偽はともかく太子が法華経の経典を取り寄せたことは事実であり
ます。

 聖徳太子の法華経の理解は、師の慧聡が舌を巻くほどで、、、
太子は自から法華経の講義書(法華ギジョ)を著わし、宮中の人たちに講義
したといわれます。(日本書紀)

 百済から来た師の慧聡は帰国するとき、この法華ギジョを持ち帰って弟子
の教育に使ったといわれます。
それら書籍の一部が敦厚の遺跡から発掘されて話題になったこともありました。」

 質問者、
「聖徳太子という方は偉い人だったのですね。
釈迦の生まれ変わりであるというのも、なんだかうなずける気がします。」

 回答者、
「聖徳太子は、゛法華経は凡夫を仏にする神薬か、仏の種子を育てる美田
のようなものである"と称賛され、仏教をみんなに奨めました。
 太子がつくった有名な十七条の憲法の第二条には仏と仏法と僧を三宝と
して敬え。という条文があるくらいです。

 太子の仏教思想は歴代の天皇や、宮中の貴族に受け継がれ、、
奈良時代中期の聖武天皇と后の光明皇后は、全国六十八カ国に国分寺を
建て、国の安泰と民の幸福を祈願する拠点にしました。

 それに併行して国分尼寺をつくり、女人成仏を説いた法華経の教典を安
置して女性の幸福を祈願したのです。

 つづく   





 


人間賛歌 「新・仏教教室」百二十

2010年05月18日 | 新・仏教教室

「未来を創る聖典・御書に学ぶ」      

 テーマ 「日本は法華経流布の国と示す」
 前回のつづき、
答えて云うには「日本国は法華経を広めるべき国である」。
その理由は、法華経フケン菩薩カンパツ品第二十八に、閻浮醍(エン
ブダイ・全世界のこと)の内に流布させて、断絶させてはならない。。

と説かれユガ論、、
 注、釈迦の高弟で慈悲第一といわれたミロク菩薩が著わした論説で
百巻あると伝えられている。

 その中に、
「北東の隅に大乗妙法蓮華経の流布すべき小国あり」とあり、、
安念和尚(伝教大師の縁者)はそれを「我が日本国である」と云ってい
る。。インドから、この日本国は北東の隅にあたるのである。

 また慧心僧都(エシンソウヅ・天台宗慧心流の祖)の一乗要決には、

「日本一州は円機純一(仏性を現す資質が同じであること)であって、
朝廷も在野も、遠きも近きも、同じく一乗に帰し、僧俗貴賎みなこと
ごとく成仏を期すべきである」

とあります。
以上の文証を本に日蓮大聖人は「日本国は法華流布の国と示す」と決
定されました。。

 日本に初めて仏教を取り入れたのは用明天皇の皇子・聖徳太子です。。
 注、昔の一万円札の肖像に使われ、インドのアショカ大王、中国の
文帝に並び称される世界的な名君主であります。

 聖徳太子は、日本に古代から伝わっていた神道を固守する物部一派
と戦って、勝利し、百済(クダラ・今の韓国)から僧や仏像・仏教経典
を取りよせ、、
 自ら仏教に帰依しました。。

 余談ですが、、
いま大阪にある四天王寺は、聖徳太子が物部一派との戦いに勝利する
原因となった仏天の加護に、報恩感謝する目的で建てたものです。

 このときクダラの国から取り寄せた仏教経典の中に、法華経が入っ
ていなかったので、中国に人を遣わしわざわざ法華経の経典を取り寄
せたと、伝えられています。

次回に続く   

 

 


  


人間賛歌 「新・仏教教室」百十九

2010年05月14日 | 新・仏教教室

 「未来を創る聖典・御書に学ぶ」 

 注、

日蓮大聖人の仏法は本因妙(ホンインミョウ)の仏法と言われます。
本因妙とは、、
 只今・現在の心に過去の因と、未来の果が納まっていることを云い
ますが、分かりやすく言いますと、常に「今が始まりである」と意識
する事です。

 今が始まりであるならば、、
いつも、貧乏や、病気・家庭不和など不幸を望む人はいないでしょ
う。
 現在・只今の心が未来の繁栄・健康・和楽の家庭など、などの幸福
を実現させますから、それを教えた日蓮大聖人の御書は「未来(希望)
を創る聖典であると云えます。。。


 テーマ 「日本は法華流布の国と示す」

 質問者。
質問します。。「日本は法華流布の国と示す」と日蓮大聖人はおおせ
ですが、、、
歴劫修行(なん回も生まれ変わって、仏道修行をし、成仏すると教え
た法華経以前の教法)をしなくても、、
 今、生きている一生の内に成仏(仏界を現す)すると説いた法華経
は、無量の国の中おいても、その名を聞くことすら難しいと云われて
います。。

 ナゼ、日蓮大聖人は「日本は法華経流布の国と示す」と断定されて
いるのですか? 」

 回答者。

 回答する前に、法華初心成仏抄にある文の一節を紹介します。
ちょつと難しいかもしれませんが、とにかく読んでみてください。。
初めての人には本文は読みにくいので現代風に訳します。

「問うて云う。。
今、日本国をみると当世は五濁(ゴジョク・生命の濁りの相を五種に
分類したもの)の世で、、、

 一 時代が濁り、環境・社会に悪い現象が重なり起こる。
 二 人間の生命が濁り、心身ともに資質が低下する。
 三 貪る、怒る、愚か、疑う、慢心するなどによって心が濁る。
 四 宗教や思想が乱れ、互いに反目し、争いが起こる。
 五 生命自体が濁っているのに、人間がそれに気づかない。

以上の障りが多く、闘じょう(争い)が盛んで、瞋恚(シンニ・怒り)の
心たけだけしく、嫉妬の思いもはなはだしい。
 (現代とピタリではないか・・)
このような国、このような時にはいずれの経を広めるべきであるか。

次回に続く  

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 百十八

2010年04月14日 | 新・仏教教室

 妙法蓮華経を知らない人 *

ジツチャン、

「人間のもつ最大の欠点の一つは、理解し難いことを信じようとしな
 いことである。」
これは哲学者で大実業家であったアンドリゥ・カーネギーの言葉であ
ります。。。

 前回、妙法蓮華経方便品第二で・・・
方便品とは妙法蓮華経の妙を隠している経であると言いましたが、み
んな妙法を理解できないから信じようとしないのです。。

 その点、今現在、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えている人
が、いかに福徳ある人であるか・・・
 百千万言を使っても説明しきれません。。

 宗祖、日蓮大聖人は、題目を唱える人を、

「天子のむつきにつつまれ、大竜の子の始めて生ぜしがごとし。」
と述べられています。(趣意)

 現在の姿がどうであれ、たとえば病気であったり、貧乏で苦しんで
いたり、家庭不和で泣いている人であっても・・
 いずれは天子になり、大竜の力を持つことは決まっているから、
決して恐れたり、嘆いてはならない。。
 と激励されています。。。

ですから縁深くして御本尊様に出会えることは、難事中の難事であり
ますから、絶対に安心し・・希望をも燃やし・・
題目をあげきってくださいますよう、私からもお願いします。。

 尚、
今、信仰していない人であっても、法華経に出会うことは稀有なこと
であると経典には書いてあります。
   (一眼の亀のたとへ)
どうか機が熟して信仰するときがきますので、法華経を嫌わずに・・
信仰している人を善い友人として付き合ってくださいますようお願い
致します。。」

山本さん、
「お話を伺っていますと、すごい信仰のように思いますが・・・
どうして素直に信仰する気になれないのでしょうか ? 」

ジツチャン、
「それは先程も言いましたが、
信じ難く、解し難いのがこの信仰の特徴ですから、分かってから信仰
しようと思っても、それはムリだと思いますよ。。。
 その点につきましては次回に詳しく述べたいと思います。」

続く   


  


人間賛歌 「新・仏教教室」百十七

2010年03月20日 | 新・仏教教室

 妙を隠している経 *

山本さん、
「先生前の回で、仏界と九界が同時に具わっている不思議な法があって、
それを妙法蓮華経と云うのだと言われましたが。。。
そうしますと、たふん九界の凡夫である私のような者でも仏界の果がある
という意味ですか。」

ジツチャン、
「山本さん、その通りです。。
九界を因とし仏界を果とする不思議な法である妙法蓮華経が、みんなの本
来の姿なのです。。

 これを悟っている人を仏といい、これを知らずに迷っている人を凡夫と言
います。
これを悟るには自分の命(心)に仏界という素晴らしい命があることを信じ
て、南無妙法蓮華経と唱えれば隠れていたのが現れてくるのです。。。

ナムというのは帰命するという意味で、妙法蓮華経という宇宙の法に従う
という意味であります。
もっと正確に言いますと日蓮大聖人が書き顕されたご本尊に向かって唱え
るのが正しい仏道修行のありかたです。

 先に方便品第二から法華経二十八品の説法が始まったと言いましたが、
方便品の方便のことを秘妙方便といいまして、フツウに使う、ウソも方便と
云う方便とは意味が違うのです。。。

秘妙方便とは、妙を秘す(隠す)という意味で、妙を悟った仏は知っています
が、そうでない人は知らないので妙を隠していることになります。。

 妙を隠している九界の凡夫も。。。
 妙を悟った仏も。。。
生命活動をする場合は、次の十の方式にのっとって活動すると方便品は
教えています。
 十の方式といいますのは。。。

一,相(外見) 二、性(性質・心) 三、体(相と性となって現れる生命本体)

四、力(生命の持つ力) 五、作(外界に及ぼす影響) 六、因(九界のこと)

七、縁(因が果となるのを助ける) 八、果(仏界のこと) 九、報(むくい・それ
ぞれの因果に応じた報を現す)

十、本末究境等(ホンマツクキョウトウ・・一の相から九の報まで過不足なく
性質が一貫している状態のこと。。
たとえば仏界は一から十まで一貫して仏の性質(歓喜)であり。。。
地獄界は一から十まで一貫して地獄の性質(苦悩)であることを言います。

 以上を十如是(ジュウニョゼ)といい方便品の中で一番大事なところである
と言われています。

続く   

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 百十六

2010年03月07日 | 新・仏教教室

 即身成仏とは ?

山本さん、
「先生、法華経を説く前の爾前経では歴劫修行しなければ成仏(仏界を開
くこと)出来ないとされていたのが、
法華経に来て即身成仏(その身そのままで仏の境涯になること)できるのは、
ナゼなのですか。」

ジッチャン、
「爾前経は、仏の悟りを直接教えても、みんなが理解できず逆に疑う心を
起こしますので、みんなの能力に応じて分かる範囲で説いた教えです。
だから、修行も長い歴劫修行が説かれたのです。。

しかし法華経を聞いて理解できるまで能力を高めた衆生には、仏の悟りで
ある法華経をそのまま説きました。。
これを随自意(仏の真意を説いた)の教えといい。。
爾前経は随他意(衆生の能力にあわせて説いた)の教えと言います。

 釈迦は法華経の説法をする直前に無量義経という経を説きます。。
無量の義、無量の現象は妙法蓮華経の一法より生じることを明かした教え
です。
それに続いて、
妙法蓮華経方便品(ホウベンボン)第二の説法が始まりますが、その冒頭
で、諸仏が悟った智慧は甚深無量で、衆生の想像をはるかに超えており、
その智慧を得るのはたいへん難しいと言います。。

 では釈迦を始、諸仏はどうしてその智慧を得たかといいますと。。
無数の仏に仕えて修行した結果、妙法蓮華経を悟って無量の智慧を得た
のだ。。と明かすのです。

妙法蓮華経をひとことで言い表すことは出来ませんが、日蓮大聖人の御書
の中に、

 「至理は名なし、聖人理を観じて名をつけるとき、因果具時・不思議な
 一法を妙法蓮華経と名付け給う」 (趣意)

の御文があります。。。

因果倶時不思議な一法とは、九界の因と仏界の果が同時に具わっている
ことです。別々に有るのではなく、どちらを現しているかの違いで・・
 九界の因を現しているのが凡夫であり・・
 仏界の果を現しているのが仏であります。。。

 妙(仏界)法(九界)蓮:華(華=因と実=果が同時なので因果倶時を表す)経
 (比類のない最高の教え)

という意味であります。
 続く  

 

 


 

 

 


 

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 百十五

2010年02月28日 | 新・仏教教室

 法華初心成仏抄 研鑽続き。

ジッチャン、
「ケイタくん本文の続きを読んでくれませんか。」

ケイタくん、
「はい、拝読します。」

 「己説とは法華経より己前の四十余年の諸経を云う。今経とは無量義経を
云う。当説とは涅槃経を云う。
 この三経の外に法華経ばかり成仏する宗なりと仏定め給えり。
余経は仏涅槃し給いて後、あるいは菩薩あるいは人師達の建立する宗なり」

ジッチャン、
「はい、そこまで。。それでは本文を現代語に訳します。。

「今までに説いた教えというのは、法華経を説く前の四十二年間の経のこ
とで。今説く教えは無量義経のことです。。
当説というのは涅槃経のことで、釈迦が入滅直前に説いた教えでありま
す。
この三経を超えて法華経のみが成仏(永遠に壊れない幸せな境涯)する宗
であると仏は定められたのです。。
余宗は仏の入滅後に菩薩や人師が建立した宗派であります。。」


 解説

法華経を説く前の仮の教えでは、初心者が仏道修行をして仏の境涯にな
るには何回も何回も生まれ変わって、過去世の罪障を消滅した後に成仏
すると説かれていました。
これを歴劫修行といい、気の遠くなるほど長い時間がかかると言われてい
ました。

 ところが釈迦の悟りを直接説いた法華経では、歴劫修行を必要とせず、
初めて信仰する初心の修行者が、その身そのままで成仏できると教えた
のです。

これを即身成仏といい、日蓮大聖人は即身成仏の修行法として、己心で
悟られた仏の命を御本尊として顕され、この御本尊に南無妙法蓮華経と
唱えることで、だれかれの差別なく一生の内に成仏できると確約されまし
た。。
 このことは一生成仏抄の御文を通して、未来の信仰者を励まされていま
す。

続く