かったかくんのホームページ

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「友の活躍を新聞から」

2017年08月31日 | 大分県
朝のあいさつ運動に立っていると、青空の中に、うろこ雲が広がっていました。一緒に立っていた、環境整備の方と「秋になりましたね。」という話をしました。




入道雲とうろこ雲が、夏と秋を入り交じらせてのふるさとの美しい青空を創っています。その空の下で、生徒たちが登校してきました。
 

昨日の新聞を見ながら、びっくりしたことがありました。かったかくんは、勤務する中学校を卒業してから、中津市内のかつての「キャラハン邸」というところに下宿をしました。



高校生になってから親元を離れ、中津の街に住みました。
 


郡部をはじめ、宇佐、国東の人たちが下宿をしていました。男所帯でした。今でもこの下宿の「同じ釜の友」と会うことも多いです。同級生をはじめ、先輩、後輩がいます。結構規律が厳しい下宿でした。


門限、学習時間、男女交際、部屋の行き来すべてに規律がありました。
 


1年生の時は、相部屋、3年生になってから、個室をもらうことができました。



休みの日には、川べりで遊んだり、天仲寺山、その山のふもとの小学校、下宿の近くの南高でみんなで遊んだり時間を過ごしました。



勉強の合間には、みんなで、「オールナイトニッポン」を聴いたり、思い出を話せばきりがありません。風呂は、なかったので銭湯。

金谷の鉄道の高架下の銭湯にみんなで自転車をとばして入りに行っていました。




懐かしい思い出です。
 



中学校は、当時学年、5クラスありましたが、中学校3年生の時に同じクラスだった友だちと、高校1年生の時は、一緒の部屋になりました。スポーツはできる、年中モテキ、学習はする・・・そんな同室者でした。
 



部屋は、つい立て1枚で机のところだけに仕切られていました。実に寝心地が悪かったです。こちらが布団に入っていても、サラサラサラと鉛筆の音が聞こえてきます。



その友だちが勉強している中で、寝るのも勇気がいることです。



いつ寝るのかと思うほどの勉強量。こちらも焦りがでます?できるということは、「努力」であることを痛感します。
 


そして、彼は、浪人も経験しましたが、見事東大へ。すごい。彼が進学して以来、耶馬溪から東大生が出たのは聞いたことはありません。
 


東大卒業後、就職・・・。
 


昨日の朝刊に、彼が大分県の「豊の国かぼす特命大使」として、大きく掲載されていました。すごい。現在の仕事をしながら、大分県を支援している記事も書かれていました。



ふるさとを大切にしていく気持ちに尊敬をします。


さすが、年中モテキ男の優しい生き方です。