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東京「昭和な」百物語<その16> 恋愛事情

2016-11-25 08:07:48 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和の終わり頃になると、それまでの一般的な恋愛観は相当崩れていたような気がするが、実は、昭和の恋愛観を決定的に突き崩したのは、1960年代後半のヒッピームーブメントと学生運動だった。

ボクの子どもの頃は、それこそ女の子と手をつなぐことなど「夢のまた夢」とでも言うような、この世の出来事とは到底思えないことだった。

それが、高校くらいになると、あれよあれよと世相が変化した。それはベトナム戦争、ヒッピームーブメント、反戦という三題噺のような若者の関心事が目の前に突き付けられたことによるとボクは思う。簡単に言えば外国からの輸入モノが呼び水になった。

フリーセックスなどという刺激的な言葉が世の中に登場したのも、この頃だ。ことに北欧の自由奔放な若者の性が雑誌などで取り上げられたりし始めた。

それを後押ししたのは、もちろん映画やお芝居という若者のカルチャーだった。ピンク映画、日活ロマンポルノなどという映像が溢れ、海の向こうのオフオフブロードウェイでは「ヘアー」、「ジーザスクライスト・スーパースター」などといった完全なるサブカルチャーから生れた舞台が好評を博していた。

そうした表現はすべて自由な恋愛、自由な性を標榜していたように思う。

それでは、昭和の元々の恋愛観は、どんなものだったか?

調べて見ればわかる通り、日本は元々フリーセックスの国である。ただし、身分制度に縛られ、なおかつ婚姻は家同士で行うものという前提があった。その前提をわきまえれば、恋愛は自由だった。平安時代の妻問婚の名残りなのか、夜這いなどという風習も全国に偏在していた。

だが、戦争という出来事を前に、性に対する規制や観念的な忌避が生じた。すべては国家によってコントロールされた。

だから昭和の恋愛事情は、そもそもの出発点から国家のコントロール下にあるものという、歪んだものであったわけだ。

女性は何より「貞節が一番」的なコントロール。その割には「産めよ増やせよ」と夫婦の尻は叩いた。

日本人はそのコントロールから戦後もなかなか抜けられなかったが、前述の通り、外国からのフリーセックス等という呼水で、1960年代後半に一気にタガが外れた感がある。元に戻ったといったら言い過ぎか?

その受け皿というか、大義名分というか一つの役割を担ったのが「同棲」という概念だ。

それまではお見合いを通じて家単位での婚姻が一般的だったが、男女の個のつながりでプレ婚姻、お試し婚が広く認知された。上村一夫のマンガ「同棲時代」がその先鞭をつけた。

かくいうボクも1970年に同棲した。3年間だったが充実した日々だった。なにが? と聞かれても答える気はないが……。

とにもかくにも、昭和の後半は婚姻の形もお見合いは一気に廃れ、自由恋愛が当たり前の時代に移行した。手を握ることなどに躊躇している暇もないほど、事は先へ先へと進んだわけだ。

1970年頃には、ディスコなどに行くとトイレでその場しのぎのセックスに興じる男女を見かけることも普通だった。

恋愛を時代でひとくくりにするのは、無理があるなといま感じたが、もう遅いな。
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