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東京「昭和な」百物語<その17> 雑誌①

2016-11-29 01:06:18 | 東京「昔むかしの」百物語
子どもの頃を思い出してみた。

上板橋に住んでいた頃、ボクはまだ未就学の幼稚園生で、父も母もまだボクにそれほどの手をかけはしなかった。例えば習い事や、勉強。

畢竟、姉には少女雑誌や少女漫画を買い与えたが、ボクにはまだ何も与えられなかった。

だから姉の手元に届く「少女クラブ」などを読んでいた。その中で最高に面白かったのは『リボンの騎士』だった。時々付録のような小冊子になっていた記憶がある。

やがてボクは両親の許しを得て「少年」を読み始める。横山光輝の『鉄人28号』、堀江卓の『矢車剣之助』、テレビとメディアミックスしていたような九里一平の『海底人8823』とかわくわくしながら読んでいた。もちろん『鉄腕アトム』もだ。

少年誌では「冒険王」「少年クラブ」などあったが、「少年」が最高峰だった。

内容に触れていると膨大になるので、雑誌名だけ取り上げることにする。

小学校4年生の時に画期的にも週刊少年漫画誌「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊、第一号から読み始め、結局34歳まで欠かさず読んでいた。

ボクの子どもの頃の少年誌は、実は戦争色の濃いものだった。作品ではなく、巻頭の特集などは野球や相撲といったスポーツヒーローもの以外は、日本の戦艦や武器などの解説、どれほど日本の科学力が優れていたかといった内容のオンパレードだった。中にはドイツとの比較やら、ヒトラーを肯定的に紹介するような記事もあったように記憶している。宇宙ものも多かった。光子ロケットなどと言った宇宙航行のアイデアは、当時「少年マガジン」や「少年サンデー」ですでに取り上げられていたと思う。

やがて第二次性徴期を迎える頃になると、青年誌に移行するわけだが、ちょうどその間を埋める「ボーイズライフ」などという雑誌もあった。この雑誌はオカルト的な記事もあり、ボクらの脳髄を刺激してやまなかった。

青年誌では「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」と並んで「F6セブン」という雑誌があった。ちょうど「パンチ」と「プレイボーイ」の間に創刊された記憶がある。活字の多い雑誌だったがピンナップは結構刺激的だったかな?

(この項続く)
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