普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

二重人格の割に、たいして変わらない人格だったりして……

2015-04-26 17:53:57 | 普通な人々<的>な
「少し疲れたかな……。
帰りの電車内で、運の良いことに座れた。座った瞬間に寝込んでしまった。
降りる駅を乗り過ごし。次の駅まで行った。戻る電車はない。20分、いや30分かけて家まで歩くことになった。
それでも。あまり辛くはない。むしろ家で何をすることもなく、蛇口から流れ出る水をコップになみなみと注ぎ、一気に薬を飲み下しているような生活よりは、はるかにましなのだ。
毎日仕事のある有難さは、きっと息子や娘、ひょっとすれば奥さんにもわかってもらえないかもしれない。
そうは言っても、毎日夜中になるのは、やはり疲れる。
職住隣接などとイカシタ環境があるわけではないから、仕事先への往復に、3時間弱はかかる。
だから例えば、仕事場を22時に出ると、家には23時半に帰り着く勘定で、家に戻ってから何かを考える暇もない。
今日は、23時に仕事場を出たから、いますでに夜中の12時半を回っている。家に帰りつくのは夜中の1時になるだろう。
だが、そんな仕事を選んだのはボク自身なわけで、誰に文句を言える筋合いもない。
最早人っ子一人いない、街灯も50㍍おきにしか人助けをしないような田舎道を、とぼとぼと歩きはじめる……」
と、いうようなことを頭の中で考えていた。原稿の中に登場する人物は、たいていの場合自分の別人格の投影、自分の中の別人格に光を当てているようなもの。だが、最近は別人格のつもりで書いているのに、妙に近い。自分に近い。
なんだか二重人格や多重人格のようでありながら、あまりというかほとんど区別のつかない人格しか、頭の中に登場しない。これって、オレじゃん? って話だ。
小説の中で、呻吟する60歳代のオヤジを書くと、自分が登場してくる。同じ穴の狢というか、同じような環境に身を置くオヤジなわけで、結構彼の意識に寄り添いすぎてしまうのかもしれない。
とはいえ、いつか、高齢者の思いを素直に書いてみたいと思う。
コメント
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