久しぶりです。ほとんど毎日、午前様状態。
原稿一つも書けませんでした。
さて、タイトルの、この言葉を知っている人は、最早それほど多くもないかな?
ショカクヤチトセ(松鶴家チとせ)という落語家(名前はそれ風でも、単なるピン芸人だったかもしれない)の生み出した、1970年代に一世を風靡した流行語。
なぜこの言葉をここで選んだのかというと、この言葉の持つ、深い哲学的な側面をみたからだ。
ポイントは、はじめから「わかるはずがない」と決めつけていることで、「イェーイ!」でダメを押している。
要するに、俺の話が分かる奴はいるはずがない、という意味合いを、少しだけオブラートでくるんで断定しているという言葉。
当時も今も、これほど相手に対して断定的にものを言っている言葉は、そうない。
正直、当時、あか抜けない田舎の兄ちゃん然とした松鶴家チとせを、鼻で笑っているようなところもあったが、今となっては、ひれ伏すのみ。
要は、人を小ばかにしたようなこの言葉も、今となってはとても人に対して優しい言葉と受け取られるのではないかと、ちょいと思ったりするのだ。
ボクとしては、言葉は生き物で、いつ何時豹変するかもしれず、いつ何時色を失うことがあるやもしれず、いつ何時思いもよらず人の心を打つこともあるかもしれないということが、言いたいだけなのだ。
たったひとつの言葉が、まるでカメレオンのように意味も、姿も変える。
これは面白いことなのかもしれないと、最近思い始めているのだ。
久しぶりの原稿が、こんな話?
この回路でしか頭が回らないのよ、今日は。
原稿一つも書けませんでした。
さて、タイトルの、この言葉を知っている人は、最早それほど多くもないかな?
ショカクヤチトセ(松鶴家チとせ)という落語家(名前はそれ風でも、単なるピン芸人だったかもしれない)の生み出した、1970年代に一世を風靡した流行語。
なぜこの言葉をここで選んだのかというと、この言葉の持つ、深い哲学的な側面をみたからだ。
ポイントは、はじめから「わかるはずがない」と決めつけていることで、「イェーイ!」でダメを押している。
要するに、俺の話が分かる奴はいるはずがない、という意味合いを、少しだけオブラートでくるんで断定しているという言葉。
当時も今も、これほど相手に対して断定的にものを言っている言葉は、そうない。
正直、当時、あか抜けない田舎の兄ちゃん然とした松鶴家チとせを、鼻で笑っているようなところもあったが、今となっては、ひれ伏すのみ。
要は、人を小ばかにしたようなこの言葉も、今となってはとても人に対して優しい言葉と受け取られるのではないかと、ちょいと思ったりするのだ。
ボクとしては、言葉は生き物で、いつ何時豹変するかもしれず、いつ何時色を失うことがあるやもしれず、いつ何時思いもよらず人の心を打つこともあるかもしれないということが、言いたいだけなのだ。
たったひとつの言葉が、まるでカメレオンのように意味も、姿も変える。
これは面白いことなのかもしれないと、最近思い始めているのだ。
久しぶりの原稿が、こんな話?
この回路でしか頭が回らないのよ、今日は。