普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

春よ、何処へ?

2012-04-25 10:30:34 | 普通な生活<的>な
日本には四季がある。さらにその四つの季節を細かに分け、二十四節季などを立てたりする。さらにはそれぞれを初・次・末と細分化し、七十二候を立てたりもする。こうなると一年365日は、およそ5日ちょっとに一度、その時節を表す名前がついていることになる。

日本人の自然に対する観察眼というか、思いの深さは世界にも類がない。

風の呼び名、雨の呼び名、色の呼び名、音の聞き分け、気温の変化……五感どころか六感まで駆使して、表現しようとした。世界中の言語を総動員しても、例えば日本語で表される風を意味する言葉の数に及ばない。

数だけでなく、その意味する内容の豊さ深さは、はっきり言って日本人以外には想像の埒外だろう。

なぜ日本語は、それほど豊かなのか?

理由は意外に簡単で、豊かな自然に囲まれた環境であったことも無論だが、日本が国として成立する過程で、多くの大陸からの渡来人、南方からの海洋民などが、互いを理解し合うための共通言語を模索し定着させる過程で、あらゆる言葉、表現を排除しなかったから、だと思う。と言うより、むしろ新しい表現を奨励した節さえある。

万葉集や古事記などの歌を読んでいるとそう思えてくる。

だが、そうした古人の智恵の集大成としてあった日本語も、近年、端的に言えば戦後、おおよそ崩壊した。その理由は書かない。余りに悲しい。

さらに追い討ちをかけるように、自然のサイクルも狂いはじめたか、この数年、昔肌で感じた春と秋を感じられずにいる。

むしろ、春と秋がない。だから、急速に四季を表す言葉や二十四節季七十二候などの言葉が意味するものも、失われている。

今年は冬が半年近く続き、春を跳び越え夏が来る、そんな気がしてしょうがない。

日本の豊かさは、ある意味ゆったりと流れる時間と空気の色や匂いを愛でるという、経済活動とはまったく相容れないところにあったのかもしれない。

そうした自然のサイクルの狂いは、ただただ人の営みの狂いから来ると、いい加減気付いても良い頃なんだけれど……。
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