明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

私がライターをやりたい理由

2010-09-25 12:35:14 | 仕事
今日はすごく気持ちの良い天気
原稿の締切にもなんとか間に合い、一段落。
夜中3時までかかったけど、一旦寝て、朝起きてからもう一度推敲して提出した。

「人」のことを書くのが一番面白いな。
10年やっていた社内報の仕事を辞めてからは、
企業のことや商品のことを書くことばかりだったから、
この1年、新たに社内報の仕事をさせてもらえるようになって実感する。
「あー、やっぱり人のことを書きたいんだな」と。

それも、「なんでもない人」のこと。

偉い人とか有名人とか・・・そういう人のことじゃなくて、
普通の一般の人。
でも、どんな人にも想いがあって、輝く瞬間がある。
それを文章にできたときが一番嬉しいのだ。

2年くらい前、人物アルバムを製作するというプロジェクトに、ある社長さんに誘われ、
喜んで参加し、実際に取材をして原稿を書いて、サンプルが出来上がった。
すごくいい出来で、ワクワクした。
人の人生を・・・生き様を聞いてストーリーにするのは本当に楽しかった。
小説を書いているみたいだった。

私は昔、沢木幸太郎の『壇』を読んでから、「いつか人の自叙伝の代筆をしたい」と思って生きてきたので、
このプロジェクトを本当に楽しみにしていた。

自分の人生を文章にして残したいと思っている人は、世の中にたくさんいる。
でも、自分では書けない。
それが、私は書ける。
人の話を聞いて、その人になって書ける。
他は何も自信がないけど、これだけは自信をもって言える。
私の最も得意とする「感情移入」と小説を書くときの「創作力」を思い切り発揮できる。
だから、それをやりたかった。

でも、他にもいろいろと事業の忙しい社長さんなので、
サンプルを製作しただけで、この話は立ち消えになってしまった。
時々、「すみません。必ずやるので少し時間をください」とメールをいただくが、
たぶんもうないだろうな・・・と、そんな気がしている。

残念だった。
まだこれをやりたいという想いはあるけれど。

こういう話をすると、よく夫が、「かおりはこういうことを自分でやれば?」と、私に事業をおこすように促す。
「こういう事業やれば?」
「こういう店やれば?」
「自分でやったらもっと儲かるんちゃう?」等・・・

私の力を信用していて言ってくれるのはわかるのだけど、そのたびに嫌な気持ちになる。
私は事業も店も儲けることにも興味がない。
今、仕事としてただ1つ興味があるのは、
誰かに「書いて」と言われたことを書く、それだけなのだ。

そういうと、「職人やなぁ」と夫は言う。
本当に、いつの間にか職人風を吹かすようになってしまった。

数年前は、ライターなんてもう辞めようと思っていた。
塾の講師や店経営のほうが向いているんじゃないかと思うこともあった。
でも、今はとにかく「書く」ということだけをやりたいと思っている。

社内報をやっていたときは定期的にお給料をもらえて、
その他の時間で新聞やら雑誌やら広告やら、やりたい案件だけをやって、
とりあえず収入に関しては悩むことがなかった。
気持ちに余裕があるし、流通や商売の話ばかり勉強していたから、
自分はもっと他のことができるような気がしていた。
塾に関してもそう。
人並みはずれた体力と健康があったので、いくらでも働けた。
朝から夕方までライター業をしながら、
夜はほとんど毎日塾で働いていた。
それでも一度もしんどいなんて思わなかった。
教えるのは楽しくて仕方がなかったし、塾の講師も向いていると思っていた。

自分にはもっといろんな可能性があるような、そんな錯覚に陥っていたのだ。
これが「若さ」なのかもしれない。

でも、4年前に全部なくなった。
社内報をクビになり、他の取引先がつぶれ、仲がよかったライターさんと仲違いし、
偶然いろんな案件が終了し、ほとんどの仕事を失った。
ちょうど塾も辞めたところだった。

こうしてゼロになった時に私が思ったのは、
「どうしても、書きたい」だった。
じゃあ、やりたかったほかの仕事をやってみようとは思わなかった。
書かないと、この10年も、自分の存在意義も、すべてなくなってしまうような気がしたのだ。

傲慢だった自分。
定期的な収入の上にあぐらをかいていた自分。
恵まれていることに感謝もせず、もっと何かできるんじゃないかと自惚れていた自分。
悪いことは全部他人のせいにしてきた自分。
気に入らないことがあるとすぐにケンカして、好きなことだけやってきた自分。

何もかもなくしたときに、今まで見えなかった自分の姿がはっきりと見えた。
それは、抹殺したくなるほど恥ずかしい、未熟で自分勝手な姿だった。

そして、自分に残された唯一の武器は、いよいよ「書くこと」だけだ、と思った。

「ペンでご飯が食べれるようになりたい」と思っていた10代の頃の夢は、
皮肉にも「ペンでしかご飯は食べられない」現実に代わっていたのだ。
今更親の世話になるわけにもいかず、家賃も食費も必要だし、
とにかく書けるならどんなことでも歯を食いしばってやろうと思い、営業を始めた。
1記事400円のリライトまでやった。
こんなのライターの仕事じゃない・・・恥ずかしい・・・
そう思って泣きながら書いたが、それでも、言葉を扱う仕事しかしたくなかった。
自分がどんなに「言葉」が好きか、
どんなに「書くこと」が好きか、
不思議なもので、嫌な仕事をやればやるほど実感した。
なぜなら、そんなリライトの仕事ですら一生懸命やっていると、次第に楽しくなっていったのだから。
文章を書くのが、言葉に触れるのが、喜びだった。
(まあ、1ヶ月で終わったけど)

綱渡りのような日々だったが、
私はなぜか人に恵まれるので、なんだかんだと言いながらも何とか仕事にありつけている。
本当に、日雇い労働者のような日々だけれど。
ゼロになったことで逆に新たな取引先もでき、仕事の幅も広がった。
1年で何十社という企業を取材する機会にも恵まれたし、冊子にまとめることもできた。
誠実に仕事をしていれば、また次の仕事へとつながった。

そして、傲慢さを捨て謙虚に暮らしていたら、神様からのプレゼント。
また社内報の仕事がやってきた。それも、向こうから。
本当に、それは突然の贈り物・・・ご褒美のようだった。
とても素晴らしい人達と出会え、この1年、楽しい仕事をさせてもらっている。
大好きな社内報の仕事がまたできるなんて・・・
「なんでもない人」の取材をして書くことができるなんて・・・
またそんなことができるとは、4年前は思ってもみなかった。

私は人に恵まれている。
でも、もう傲慢にはならず、いつも感謝して誠実に仕事をしようと思っている。
一度失ってよくわかった。
自分が言葉を好きで好きで仕方がないこと。
もうこれがないと生きていけないこと。
だから、もうライター以外のことをやりたいとは思わない。
そんな時間があれば、もっといいライターになりたいのだ。
そう思える仕事に出逢えて、幸せだなぁとも思う。

まだまだ未熟だけれど、まあ、一歩ずつマイペースで行こう

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろ君)
2010-09-26 08:31:38
成せばなる、成せばなる何事も・・・
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Unknown (かおり)
2010-09-27 16:52:44
そうですね。
これからもがんばりたいと思います!
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Unknown (通りすがり)
2010-11-11 19:19:02
この記事を読んで本当によかったです。

私も漠然となんですが、ライターになりたくて記事を読みました。


いつも、嫌なことがあるとすぐ逃げていた自分ですが、嫌なことでもやり続けていくと、ちゃんと道ができると知って安心しました。

仕事でも何でもとりあえず続けていこうと思います。

勇気を
ありがとうございます。








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ありがとうございます (通りすがり)
2010-11-11 19:20:01
この記事を読んで本当によかったです。

私も漠然となんですが、ライターになりたくて記事を読みました。


いつも、嫌なことがあるとすぐ逃げていた自分ですが、嫌なことでもやり続けていくと、ちゃんと道ができると知って安心しました。

仕事でも何でもとりあえず続けていこうと思います。

勇気を
ありがとうございます。


返信する
Unknown (かおり)
2010-11-12 10:50:56
通りすがりの方、コメントありがとうございます。
何か少しでも力になれたのなら嬉しいです。

誰だって嫌なことからは逃げたいものです。
でも、その先に何かを見ているのなら、続けてください。
きっといいことあると思います!

こちらこそ、ありがとうございます。
私もまた頑張れます。
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Unknown (通りすがり)
2010-11-15 16:26:04
かおりさんからコメントもらえてうれしいです!!!感謝してます。

やる気がたくさん出てきました!!元気!元気!元気!

素晴らしい文章をたくさん読ませてもらって勉強になります。









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よかった! (かおり)
2010-11-17 01:03:38
通りすがりさん

素晴らしい文章かどうかはわかりませんが、
そう思っていただけるのなら嬉しいです。

元気が一番!
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