ヒットラーに4日遅れて生まれたチャップリン
先週4月18日土曜の午前零時、帰宅途中の車の中で『ラジオ深夜便』を聞きました。「オトナの生き方」というコーナーがあり、《喜劇王・チャップリンから学んだこと》と題する「日本チャップリン協会」会長の大野裕之氏の話がありました。
今回、筆者が興味を持った第一の話は、チャップリンには、一般に公開されていない「NG作品」がかなりあるということ。しかも、それが現存するということでした。
第二は、映画『独裁者』(原題:The Great Dictator)に関する「エピソード」の凄さです。映画は、アドルフ・ヒットラーをモデルとした「アデノイド・ヒンケル」という人物と“瓜二つ”の「チャーリー」(ユダヤ人)なる「床屋」の男をめぐる物語となっています。
この映画を初めて観たのは中学生の頃、学校からの一斉鑑賞でした。今でも鮮明に記憶しているのは、「地球儀のバルーン」をヒンケル(チャップリンが演じている)が“弄(もてあそ)ぶ”シーンです。手や足、それにお尻を使って地球儀を高く突き上げたり、指先で回したりするシーンでしたが、その持つ深い意味や演出に感動し、映画の持つ素晴らしさを感じたものです。
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ところで、「エピソード」とは、ヒットラーとチャップリンの生まれた日がわずか4日しか違わないことでした。ヒットラーは1889年4月16日、チャップリンは4月20日に生まれています。
ちなみに、この1889年の100年前すなわち1789年(7月)は、「フランス革命」が勃発した(バスティーユ牢獄襲撃)年でした。そこで仏国はその年1889年、「フランス革命100周年」を記念し、パリ開催「万国博覧会」の際に、会場のモニュメントとして「エッフェル塔」を完成させたのです。なおこの1889(明治22)年、日本では「大日本帝国憲法」が公布されています。
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70数年前の主人公の演説が意味するもの
チャップリンが『独裁者』の制作を開始したのは1939年1月1日です。
同じ年の9月1日にドイツ軍つまりヒットラーはポーランドへ侵攻を開始し、その2日後の1939年9月3日、英仏両国はドイツに宣戦布告をしています。『独裁者』の撮影開始はそれから6日後の9月9日でした(撮影場所は、ロサンゼルス郊外とスタジオ)。撮影は1939年中に終了したようです。
ドイツ軍はいっそう攻勢を強め、翌1940年4月、デンマーク、ノルウェーに侵攻、5月にはベルギー、オランダに侵攻しています。そして、1940年6月14日、「パリが陥落」したのです。この「陥落」から4か月後の10月15日、映画『独裁者』は米国で公開されました。
もうお判りのように、以上のことは次のことを物語っています。
すなわち、ヒットラーが独裁者そして征服者としてヨーロッパを侵攻しているまさにそのとき、チャップリンは『独裁者』という映画を撮影し、編集作業をしていたことになります。
つまり、不条理の“ノンフィクション”として破壊と蹂躙とが現実に行われているとき、人類愛の“フィクション”が産み出されようとしていたのです。
そこに、ご紹介する映画『独裁者』での「スピーチ」のシーンとその言葉の意味があるように思います。独裁者に間違われたユダヤ人の床屋である主人公が語りかけるもの――。
この70数年間、国家は、そして人類は、何をしてきたのでしょうか……。
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◆チャップリンの映画『独裁者』のラストの演説シーンの動画(3分34秒)
「動画」部分は、少し下の方にあります。この動画は投稿者がかなり今日の「ドキュメント」形式にアレンジしています。
なお演説の「英文」とその「和訳」、それに解説をご希望の方は、下をクリックしてください。
※このサイトの「演説部分」の「1番目」と「2番目」の「動画」は削除されています。
!!! しかし、「3番目」の「動画」は、「独裁者」が「地球儀のバルーン」を弄ぶシーンです。この「動画」だけは削除されていません。ぜひご覧ください。