『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・「効果音」に憧れた小学生

2014年10月04日 00時00分39秒 | □Sound・Speech

 

 イメージ喚起力を養った「ラジオ・ドラマ」

   「テレビ」なるものが、町内のお金持ちの家庭にやっと1台あるかどうかという時代の話――。1950年代半ば頃(昭和31年~33年)であり、少年(筆者)が小学3年から5年生の頃だった。

   当時、少年の第一の楽しみは、何と言っても「読書」。第二は「ラジオ番組」を聴くことであり、ことに「ラジオ・ドラマ」だった。当然、それは “” すなわち「ナレーション」「出演者(配役)の声」、「BGM」、そして「効果音」だけの世界を意味した。

  少年が特に興味を抱いたのは「効果音」であり、“音” だけで表現される “物語の世界” だった。言い換えると、“音” だけを頼りに自分自身の映像想像)の世界を創り出す” ことを意味した。まさしく “世界にたった一つの物語” であり、その展開を自由に操る楽しみ、そして喜びと言える。何といっても、果てしない空想の空間に浸る喜びは格別のものがあった。

       ☆

   少年にとって、「ラジオ・ドラマ」の中で特に印象深いもの――。それは今でも少しも色褪せてはいない。

   「大いなる憧れの未来都市」……その街の様相も建物も奇妙な服装の人々も、そして空間を自由自在に移動する乗り物も、総て少年の頭の中で勝手に映像化され、また創り替えられた。空間をピ・ピュン、ペヒュル、ピ・ピュン、ペヒュルと飛び交う不思議な乗り物の音はとても心地よかった。

   「宇宙空間」の “静寂” ……そこに放たれた「タイムマシン」の “スタート音” ……ブシュ~ン! ブシュ・ブシュ・ブシュ・ブシュ!……その後の沈黙がとても長く感じられた。何も見えない漆黒の闇に、少年は輝く銀色のロケットを描き出し、それをどんなものよりも速いスピードで飛ばし続けた。“未来 から “現在” 、“現在” から “過去” へと、時間を逆に進むことができるという発想に、どれだけ少年は驚き、また感動したことだろうか。

   「別れを告げに来た優しい宇宙人」……自分の星に帰るために宇宙人が乗り込んだ「宇宙船」。その扉を完全に閉ざし終えた音……ヒュワァ……グゥアイン……パシュ……それは二度と会うことができないことを意味していた。少年は涙が止まらず、音の記憶だけはあるものの、どのようなイメージを創り上げていたのか、これだけはよく想い出せない。ただ悲しみに包まれていただけのような気がする。その後もしばらくの間は、このときのことを想い出しては涙した……。

   イマジネーションの拡がりは、無論、以上に留まらなかった。「怪人二十面相」に「明智小五郎」、「少年探偵団」に「小林少年」……。謎めいた物語の展開やスリリングなシーンの連続は、少年のイマジネーションをいやが上にも高め、いっそう空想力を強化して行った。

   真っ暗やみの中、小さな蝋燭を頼りに地階へと降りて行く足音……幾重にも響きながら遠ざかり、そしてまた大きく聞こえ始める……ようやく辿り着いたその男が、何百年も鎖されていた扉をこじ開ける音……ギュー ギー ギコーッという不気味な鈍い音をたてて、ゆっくりと開き始める扉……開いた先に蝋燭の灯を高く掲げた男の驚愕の叫び声が……。この時ばかりは、予想されていたとはいえ、本当に怖かった。

   スリル満点であり、「効果音」によって「情景」を表現する「ラジオ・ドラマ」の素晴らしさにますます引き込まれて行った。そのため本来臆病な少年は、スリリングなドラマが夕方以降にある場合はあえて電気を消し、自らを恐怖の中においた。“怖いもの見たさ” というが、少年にとっては “怖いもの聞きたさ” だった。

      ☆

  あれから60年――。現在、「舞台演劇」に親しむ少年すなわち筆者は、こと「効果音」や「BGM」については、ことのほか愛着をもっている。「効果音」は、ちょっと小さく短いくらいがちょうどいいようだ。

   最近観た舞台で感心した「効果音」は、九州大学演劇部の『カノン』冒頭だろうか。「弓矢」が飛び交う音が非常にクリアであり、高い中空を鋭く突きぬけて行く感じがとてもよく出ていた。この「効果音」のために、その直後の役者たちの戦いにリズムと躍動感が生まれ、見事な “つかみ” となっていた。

  なおこの『カノン』の幕が開く前の「カノン」の曲も、とても抑制されたボリュームのため、効果音や台詞回しが、いっそう印象的に残っている。「BGM」も、ちょっと小さく短いくらいがちょうどいい。

  やはり、「効果音」は、一にも二にもクリアすなわち鮮明であること。まずはここから始まる。筆者はときどき、海岸の波打ち際を散歩することがある。ただ散歩するのはもったいないので、ときどきICレコーダーで「打ち寄せる波」を「録音」している。

   自分で気に入った「波の効果音」ができたときは、夜中に聞き流すことがある。その「音」が鮮明であればあるほど、脳裏に甦る潮騒も潮の香も沈みかけた夕陽も、同じように鮮やかだ。この密かな楽しみは、もう何回になるだろうか。そろそろ、他の「効果音」をと考え始めてもいる。

 


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