1963(昭和38)年10月7日。NHKテレビ番組『新日本紀行』の第1回目がスタートした。以来、1982(昭和57)年3月10日までの18年半に製作された本数は793本に上る。その第1回目に選ばれた都市は「金沢」(石川県)だった。栄えある「初回」に選ばれた理由は、この「番組創り」のために地方各局に呼び掛けたとき、最初に反応したのが金沢支局であった由。その当時の熱心なスタッフは、後にこの番組のデスクに迎えられる。
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この「テーマ音楽」の作曲者が冨田勲氏であることは、多くの人が知るところだ。この曲のように、「やまとの国・日本」を、また四季折々の移ろいとその美意識を感じさせる曲は少ない。老若男女を問わず、日本人に懐かしさと愛しさを抱かせ、また慕われた……いや、今でも慕われている。だがこの「曲」は、番組スタート当初からの「テーマ曲」ではなかった。
ところで、金沢時代の熱心なスタッフとは菅家憲一氏。氏はデスクとなるわけだが、同番組に対する力の入れ方は特筆すべきものがあったと、高柳氏は語る。
手始めに菅家デスクは、テーマ音楽を変えるため冨田氏に作曲を依頼する。完成した曲の収録日、全班員がスタジオに集合した。収録が無事終了したとき、菅家デスクは感想を述べた。『どうも物足りない』と。高柳氏は続けて語る――。
『……皆が固唾を呑んで見守るうち、冨田勲さんが楽器倉庫から、やおら、魚の骨のような形の楽器をひっぱりだしてきた。カーン、カーンと、あの打楽器音が加わり、力強い曲の流れに、一層の迫力を増した。“はい、これで決まり!”(菅家)デスクの満足気な声がスタジオに響いた。』
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それにしても、この「カーン」という高い木の音――。2回に分けて各12、計24回鳴っている。……何処から聞こえて来るのだろうか。ずっと遠い所からのような……それでいて親しみと恋しさを感じさせるような身近な感覚……。なんとも不思議な安らぎと落ちつきをもたらすとともに、大切なものを探り当てたような気持にさせられる。
何よりもこの「木の音」は、いろいろなものを想像させる。……森林の奥から響き渡る樹の切り出しの音。人里離れた村はずれにポツンと立っている路標。朽ち果てて行くばかりの社や東屋……その佇まい。村を去らなければならない人……それを見送る人。互いに遠ざかって行く小さな道……そのずっと先に一点となって消えようとする……。
無論、四季の風物も映し出す。“日本人による日本人のための日本の原風景”を音楽として表現したと言える。聴くたびに、新たなイメージが湧いてくる。筆者の独断だが、この「カーン」という「清澄な木の響き」によって、《原風景》に神聖さと郷愁とがいっそう加わったと思う。
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それにしても、テーマ曲完成の際に『物足らない』と言った菅家デスク。そして、それにすぐに反応して「曲に木を入れた」冨田氏。まさしく“阿吽の呼吸”というものだろう。
『その菅家さんも今は亡い』と高柳氏――。菅家氏の葬儀の日、読経に併せてこの「テーマ曲」すなわち『新日本紀行』が境内に流れていたという。……ひょっとしてこの曲は、ある人々にとっては『鎮魂歌』でもあるのかもしれない。
よりよいものを創ろうと情熱を傾ける人々がいる限り、優れた素晴らしいものが残される。
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※冨田勲(とみたいさお) 1932(昭和7)年、東京生まれ。作曲家、シンセサイザー奏者。NHKの『新日本紀行』『きょうの料理』をはじめ、大河ドラマ『花の生涯』『天と地と』『新・平家物語』『勝海舟』『徳川家康』等のテーマ音楽を作曲。
ぜひ「小さな旅」の記事もお願いします。
実は、『小さな旅』については近々、原稿をと思っています。『新日本紀行』も『小さな旅』も、そのテーマ音楽は「日本の原風景」と言う点では共通していると思います。
両者の違いは、後者が「人との関わり」に重点を置いているということでしょうか。ナレーターの国井雅比古及び山田敦子の両アナウンサーが、まれに「旅人」として登場するのも、この番組の特徴です。
今しばらく、お待ちください。
た。
「音楽は時代の雰囲気を代表する表現手段である」とは誰かのメッセージにあったように記憶しています。「そのような特定の時代の中で生きている人間」は、当然、「その時代の音楽」に影響を受けるわけでしょう。無論、作曲家も演奏家も。
それでも、この「新日本紀行」に流れる旋律は、「およそ日本人そのものの心のふるさと」とも言うべきものかもしれません。
とはいえ、これもさらに時間を経るとき変化して行くのでしょうか。はたして、どうなることやら……。