「女湯」を空っぽにした伝説のラジオドラマ
このNHKのラジオドラマが始まると「女湯」が空になったと言われたようです。放送期間は、昭和27年(1952)4月10日~29年(1954)4月10日。番組冒頭の「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションはあまりにも有名です(ナレーター:来宮良子さん)。
おかげで、当時、五歳から六歳にかけての筆者も、『キクタカズオ、サク(菊田一夫:作)』のアナウンスとともに、いつしか記憶していました。
配役は、氏家真知子を阿里道子さん、後宮春樹を北沢彪(きたざわひょう)氏。北沢氏はこの7年後の昭和36年(1961)4月から翌年3月まで、NHKの朝の連続テレビ小説『娘と私』(作:獅子文六氏)の「語り」と「主人公」を務めました。
音楽は古関裕而(こせきゆうじ)氏が担当し、自ら伴奏のハモンドオルガンを演奏したようです。そのため、「生放送」の当時は、ドラマの中のBGMもすべて即興で演奏したとのこと。凄いですね。
『君の名は』の放送が終了した昭和29年4月は、「団塊世代」の“はしり”である昭和22年生まれの「小学校入学の年」でした(筆者もその一人)。
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別格の美しさ――岸恵子さん
『君の名は』は翌年、映画化されるわけですが、ヒロインの真知子に岸恵子さん。春樹は中井貴一氏の実父、佐田啓二氏でした。ロケが始まったとき、岸さんはまだ二十歳だったようです。
この映画の中の岸恵子さん――。 無論、お化粧はしていたでしょう。しかし、特に“作ったという不自然さ”を一切感じさせない“素の顔立ち”。まさに“別格の美しさ”でした。それに、備わった知性と品性。しっとりとした落ち着きに包まれた貞淑感。ただただ美しいとしか言いがありません。
“女の性”など感じさせない慎ましやかな物腰……ではあっても、どこかに秘められた危うさのようなもの。それが抑制された中にもふっと漂うのです。当時の男性ファンはたまらなかったと思います。
かく言う筆者も、実は小一の頃、母親に連れられてこの映画を観ていたのです。子供心にも、恋愛的なものの持つ独特な緊張関係を感じていました。離れた所から二人が次第に近づいて行くシーンを、心臓をどきどきさせながら観ていたのを鮮明に憶えています。
そして、もう一つ強烈に憶えていることは、『なんてきれいなお姉さんだろう。こんなお姉さんは、どこに住んでいるのだろうか?』……真剣にそう想ったものです。
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※以上が、本当にNHK放送の「第1回目」であるかどうかは保証の限りではありません。動画をアップした方のメッセージを信じたものです。事情をご存知の方は、ぜひご連絡ください。
せっかくですから、「映画」をどうぞ。有名な「数寄屋橋」での再会のシーンです。やっと再会できたはずなのに、真知子の表情が……。