JR東海の相談役・須田寛さんから今回いただいた名刺には「鉄道友の会会長」と書かれてあったが、須田さんは鉄道マニアとしても知られた存在である。今回「第五回産業観光ワークショップin京都」の行事の一つとして、須田さんを含む関係者とともに蹴上地区の琵琶湖疏水施設をご案内する機会を得た。
須田さんは鹿ケ谷通の第三錦林小学校卒で、南禅寺・蹴上インクライン地区は子供時代を過ごした遊び場であり、私の方が案内していただくことになった。教えていただいた話題の中で、今回は掲題の話を紹介する。
地下鉄蹴上駅の①番出口を左に折れ、少し先にある「日向大神宮」の参道を登ると,格調の高い大神宮橋に突き当たる。①番出口から徒歩7分くらいの場所である。そこはインクラインの頂上に位置し、琵琶湖疏水が京都側に顔を出したところで、蹴上舟溜りと称して昔は荷物の揚げ降ろしで賑わった場所(舟溜りの面積はその後の施設増強で数分の一の面積に縮小)であった。そこから蹴上広場の中央部に向うため、インクラインのレールを跨ぐ必要があるが、レール部分はコンクリート舗装されており、過去数十回にわたり無意識に通過していた道路であった。
インクラインの踏切跡 09-10-15-2672
インクラインのレール幅は100インチ(約2.5m)で、往復2本あるので長さは6m弱、幅は約4.4mあり、南北方向(蹴上地区はカーブした三条通に沿っているので磁石で確認)のコンクリート造りの短路で、コンクリートの縁がL字型鋼で補強されている。
須田さんの説明によると、この踏切は昔の姿を維持しており、往復する三十石船が通過するときに踏切番が居たとの説明を受けた。蹴上以前にも、炭鉱の斜坑用・森林木材の輸送用にインクラインが利用されたようであるが、船用のインクラインは蹴上が日本最初であり、インクライン線路を横断する大勢の人のために踏切番がいた場所は、日本唯一ではないかと考えて皆さんに紹介する次第である。
ウォーキングを楽しむ場合、目線は足元になく前方にあり、足元に存在する話題は年を重ねても気の付かない場合が多い。地元出身の須山さんは、子供時代にこの踏切で船を載せた架台の通過を見送った記憶が蘇ったものと思われる。