ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝焼きリンゴ〟だよ~ん!

2020年05月07日 | 俳句

 昨日の天気予報は、午前中曇り、午後から晴れでしたが、その通りの一日。でも、一昨日と比べると風が結構強い…ああ、5日で正解でした。実はこの連休どこへも行けませんので、主人のウッドデッキの修理完成を記念(?)して、5日か6日に家族みんなで気分転換に茶話会でもしょうと…もちろん三密を避けてですよ。

 このウッドデッキを作った頃はいろんな人を呼んで、句会をかねてよく食事会や茶話会をしていました。その時必ずといっていいほどデザートに出てきたのが、主人の作った〝焼きリンゴ〟だったんです。

 主人の退職してからの夢はキャンピングカーを買って、全国行きたいところへ気ままに旅をすることでした。でも、私が病気をしたり、元気になればなったで今度は俳句で忙しくなったりと…いつの間にかその夢も消えてしまい、その替わりがダッチオーブン!大小のダッチオーブンを揃えて、いろんな料理に挑戦していました。私にとってはありがた~いこと。今日はダッチオーブン料理が食べられると…楽勝でしたものね。

 ところが、何事も〝惚れやすの飽きやす〟の主人。3年もすると全く見向きもしなくなりました。たまにはやって!…とせがんでみても、後始末が大変だからイヤだと。それがこのコロナ自粛で、あれこれとやり始めて、そのうちほったらかしのダッチオーブンに錆びが出ていたので、キレイに磨いていました。だったらついでに何か料理してみて!…という娘の要望に応えて焼きリンゴと鶏の手羽先を焼くことになり、みんなで食べようかと…。そういえば、ダッチオーブンをよくしていた頃は、娘夫婦もおばあちゃんたちも宇部にはまだ来ていなかったんですものね。

 5日はちょっと汗ばむぐらいの暑い日差し…時々吹いてくる風がとっても気持ちいい!傍にある柿の若葉がきらきらして、これぞまさに〝薫風〟やね~と、みんなで久しぶりの英気を養いました。もちろん〝柏餅〟も頂きましたよ。こうやって一家団欒で過ごせるのも〝コロナ様〟のお陰?…何だかヘンなの~(笑)

 まあ、こういうわけで一昨日でよかったんです。もし風が強いと、外で火を使うのは危ないですものね。

 昨日はまた草取りなどをして、今年のゴールデンウイークはこれで終りました。さて、来年はどうなることやら…全く予測がつきませんが、ワクチンや治療薬が開発されて、コロナも一応収って平常な暮らしに戻っていることを期待しましょうか。いやあ、ウイルスはそんなに甘くはないぞ~って!

 そういえば、歳時記を見ていたときこんな句を発見しました。

  紅塵を吸うて肉(しし)とす五月鯉    竹下しづの女

 「紅塵(こうじん)」は、〝立ちのぼる塵の、日に映じてあかく見えるもの〟、「五月鯉(さつきごい)」は〝鯉のぼり〟のこと。五月の空に元気よく泳いでいる鯉のぼり、あれは紅塵をお腹いっぱいに吸って自分の肉にして太っているのだわ…と、しづの女さんは詠んだのでしょう。

 ところで、竹下しづの女は、福岡県行橋市の出身ですから、この紅塵は北九州工業地帯の煤煙かも知れませんね。それに夕日が当たってあかく見えたのかも…。

 私は彼女の名前を聞けば、すぐに思い出す有名な句があります。〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまおか)〉 これを見たとき〝エエッ、こんな句を詠む人、どんな人だろう?〟と、衝撃を受けたことが今でも忘れられません。内容はもちろんのこと、万葉仮名がこんなふうに使ってあるということにも…ただただ驚くばかりでした。

 竹下しづの女(1887年~1951年)は、福岡女子師範学校卒業後、6年間の教員生活を経て結婚し、2男3女を儲け、育児の傍ら、大正8年吉岡禅寺洞のもとで本格的に句作を始め、翌年高浜虚子に師事。早くも虚子が主催する「ホトトギス」の大正9年8月号では、前述の句などをもって初巻頭を飾り、中央の俳壇でも認められるようになりました。杉田久女・長谷川かな女とともに、大正期の女流黄金時代をつくったスゴイ人なんですよ。

 当時の「ホトトギス」では虚子選に一句でも載れば、赤飯を炊いてお祝いするという時代。また、平塚らいてうらが近代的な自我に目覚め、新しい女性の生き方を模索した大正デモクラシーが背景にあったとはいえ、なお確固たる家父長制の根強い世の中で女性が大いに束縛されていた時代に、このような非社会的な自我を露出した句を堂々と発表したしづの女、また、それを男上位の「ホトトギス」の巻頭に据えるという太っ腹の虚子、どっちもどっちで負けていませんね。とにかくこの号を手に取った人々の衝撃の大きさは想像するに決して難くないでしょう。特に男性俳人には…。

 でも彼女にも主観や自我の表現が俳句で可能かという問題で悩み、一時は俳句を中断した時期もあったとか。しかし、女性俳句の先駆者として、また俳句指導者として(昭和9(1934)年「ホトトギス」の同人)、昭和12(1937)年に高校学生俳句連盟の機関誌として創刊された「成層圏」で、中村草田男と共に香西照雄、金子兜太らを育てています。虚子が彼女の句集『颯(はやて)』に与えた序句「女手のをゝしき名なり矢筈草(やはずそう)」が、彼女の男性的作風と生き方をよく象徴しているようです。

 しかし、昭和8年彼女が46歳の時に夫が急逝し、その後女手一つで5人の子供を立派に育てあげたということを知るだけで、私は頭が下がります。持って生まれた気性の強さもあるでしょうが、当時の職業婦人の先駆けとして男社会に伍して生きてゆくためには、当然〝男勝り〟でなければとても太刀打ち出来なかった時代なんでしょうからね。

 以上のことなどから考えれば、この上掲の句にもしづの女ならではの反社会的な眼を感じるのは私だけかしら。「紅塵」には、〝市街地に立つ塵。転じて、世のわずらわしい俗事〟という意味も持っていますから、この当時の男社会へのアイロニーともとれるのでは? ほら、大胆不適な笑みを浮かべたしづの女さんの顔が浮かびません? 私、顔を知りませんので今度よく見てみようっと!ちなみに、もしこれを「黄塵」とすると春の季語になって〝黄砂〟を連想させますからね。

 さしずめこれが今だったら、〝紅塵〟は目に見えないコロナウイルス…このウイルス塵を大きな口で全部吸い取ってくれる強い味方…その思いがこの鯉のぼりに込められるのかもしれませんがね。しづの女さん、いかがですか?

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〝こどもの日〟ならぬ〝自粛の日〟

2020年05月05日 | 俳句

 今日は朝から真っ青に晴れあがった快晴の〝こどもの日〟。今まで何十回とこの日を迎えましたが、そんなに辛いという想い出はなかったような気がします。それぞれの実家が離れていましたので、この大型連休はそのどちらかへ出かけていました。ふるさとへ行けばそこには父や母がいて…わが子とともに自分たちも童心へ帰れたそんな楽しい一日でした。それが…今年のような〝こどもの日〟は初めて!外出自粛なんて…、私たちのような高齢者はまだいいとしても(いやホントはよくないけど…笑)、若者や子どもたちにとっては本当にかわいそうです。

  雨降れば雨にドライブ子供の日   稲畑汀子

  子供の日子供の声を聞きに出る   元田千重

 本来なら、雨が降っても子どもたちのためにどこかへドライブをし、子供のいない老人はせめて元気に遊び回る子どもたちの健やかな声を聞きに外出するという…こんな光景が今年は全国から全く消えてしまったのですから、〝異常〟というしかないですよね。

 月刊俳誌「馬酔木」で、私が毎月選句・講評をしている「あしかび抄」に〝ジュニアの部〟がありますが、今月その中に次のような〈ウイルスで右おう左おうの春のくも〉という句がありました。小学校2年生になったばかりのHちゃんの句なんですが、先月は〈早すぎるはる休みにはよろこべず〉と詠んでいました。

 このように子供心にも今回のような休校がうれしいものではないと、春の雲でさえ困っているんだと思うんですものね。現役の頃の私は〝いつもこんなに休みばっかりあったらいいのに〟と、この大型連休がとてもうれしかったのですが、今回のような緊急事態宣言下での長~い休校なら、それを喜んでいるのは誰一人としていないでしょう。人生では〝平凡〟の有り難みがよくいわれますが、今回のような非常事態下におかれては〝平常〟というものがどんなに幸せかということを身をもって感じさせられますね。

 外に出たとき、このこどもの日には付き物の「鯉のぼり」が泳いでいました。でも何だか今年は鯉のぼりも心から喜んで泳いでいないような…こんなによい天気なのに。しかし、きっと一日も早いコロナの終息を願って泳いでいるはずですし、それが子どもたちの明るい未来へつながっているのだと思っているに違いありません。鯉のぼりも子どもたちも…元子どもだった人たちも、み~んなガンバレ!

 写真は、我が家の〝無花果(いちじく)〟です。無花果はその実が秋の季語ですが、「無花果の芽」といえば春になります。だからこの無花果は葉が出るとすぐに実ができました。恐らくこのままでは大きくならずに落ちてしまうでしょう。去年もそうでしたから。ああ、秋に食べられるようになるのは何時のことでしょう。まるで子供の成長を願うみたい…。でも無花果は成長すれば必ず食べられますが、子どもたちは〝煮ても焼いても食えない〟大人にだけは成長しないでほしいものです。そういえば、先頃行った八重山諸島のどの島にも里芋の葉によく似た〝クワズイモ〟という植物が、道路の脇にはびこっていて困ると、ガイドさんが仰っていましたよね。(笑)

 

 

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昨日は〝憲法記念日〟、今日は〝みどりの日〟

2020年05月04日 | 俳句

 昨日は朝から一日中の雨…でも、それまでが晴天ばかりでしたので、植物にはいいお湿りかも。鉢に植え替えたりした諸々のものが、このところ気温が高くなって毎日水をやらないとすぐにぐったりしていましたが、昨日は自然からのたっぷりの水で生き生きです。やはり何事も偏りすぎというのはよくありませんね。

 この地上を人間の都合ばかりを考えて自然の条理を変えてしまうというのは、いつかそのつけが回ってくるのではと私は思っていました。このところ頻繁に起こる自然災害にしてもしかり、今回の新型コロナウイルスの猛威にしても何らかの関係があるのかも知れません。だって地球温暖化を促進させているのは人間だけなんですから…

 さて、昨日は「憲法記念日」、晩春の季語で、現行の日本国憲法が施行された昭和22年(1947)の日を記念する国民の祝日です。毎年、この日には憲法に関する論議や集会が各地で開かれるはずでしたが、今年はコロナ騒動でそれどころではなかったでしょう。よくは分からないのですが、安倍首相が当初掲げた2020年の新憲法施行という目標も、もうそれにはかまっておられない状況ですから達成するのはとても難しいのでは…。

 現在全国での新型コロナウイルスが完全に峠を越えたとは、まだまだいえない状況です。そのため4月7日に発令された、5月6日までの緊急事態宣言が、今日、5月末まで延長されることが決定しました。政治には全く疎い私でさえ、安倍政権の今までの取り組みなどについては、〝これ、ちょっとおかしいのでは?〟〝なに考えてるのよ!〟と思うことばかりでしたが…。何だか外出自粛や3密、マスク・手洗い・うがいなどというものに段々慣らされてきているような、…まあ、それはいいとして、それよりも日本の経済は今後どうなるんでしょうか?これもまた難しい話で、経済評論家などの談話を聞いても…ウウ~ン、もう私の頭ではムリ、ムリ!

  憲法記念日何はあれけふうららなり  林翔

 翔先生の、これはいつ頃の句でしょう。季候もよく精神的にも穏やかでのんびりとした…まさに〝是好日〟。この句は季重ねになるんですが、〈うららなり〉は季語というより本来の意味そのままで使われたものでしょう。この頃の時候からすればこれが普通かな。私なんか、「憲法」などという七面倒くさいものを思うよりも、一年に一度しか訪れない〝黄金週間(ゴールデンウィーク)〟の中の、ありがた~い一日ぐらいにしか考えていませんでしたから。翔先生にもそんな気分が少しはあったのかしら…〈何はあれ〉という表現にそれが見て取れますもの。〈何はあれ〉というのは〝何はともあれ〟の省略でしょうから、〝まあ憲法論議などという固ぐるしいものは、それはそれとして…〝ということでしょう。

 さて、今日の5月4日は「みどりの日」、う~ん、これは先日も書いたのですが、制定されたのが平成19年と新しくて、まだ有名な例句も知りません。が、〝緑の週間〟や〝植樹祭〟がその頃の関連としてあり、これは戦後からですので、例句もたくさんあります。私も詠んだことがありますが、「みどりの日」はまだありません。ということでここで一句詠めばいいのでしょうが、…やめておきます。そのうち発表できるような句が生まれればその時にでも発表しましょう。アハッ

 そういえば、「みどりの…」ということから、ふっと次のような歌が口をついて出てきました。みなさんもよくご存じでしょう。でも、これいつ頃覚えて、題は何という歌だったのかしら?

 みどりのそよ風 いい日だね / 蝶蝶(ちょうちょ)もひらひら 豆のはな / 七色畑に 妹の / つまみ菜摘む手が かわいいな

 調べてみましたら、この歌の題名は「緑のそよ風(みどりのそよかぜ)」で、作詞清水かつら、作曲草川信の童謡歌曲。春の光景を描いたのどかな歌詞と、明るく朗らかな旋律が特徴。1948年(昭和23年)1月にNHKラジオで発表されたということでした。なるほど!子どもの頃にラジオで聞いて覚えたんでしょうかね。

 写真は、猫と梟(ふくろう)の風車。この〝風車〟も春の季語なんですよ。普通の風車はセルロイドやビニールなどで作られた玩具ですが、これは木で出来ています。だからかなりの風が吹かないと回りません。昨年の秋のお祭で買ったものですが、そのまま納戸においていましたので、先日コロナ撃退に庭の入り口に立てました。さあ、みんなでガンバロウって!

 連休もあと二日になってしまいましたが、そんなこと今回は関係ないですね。でも、こういう中で毎日働いてくださっている医療関係やスーパーマーケットなどの関係の方々、本当にありがとうございます。宇部でも最前線で対応の医療従事者の方々への感謝と応援のため、〝ブルーライトアップ〟を、常盤公園の石炭記念館で10日まで行っています。これも延長されるのかしら?

 

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〝春愁〟?いや〝惜春〟!

2020年05月02日 | 俳句

 昨日は暑かったですね。久しぶりに車に乗ると、車内の温度は31度と。運転するとエアコンが入り涼しい風が…。不要不急ではない、〝必要火急〟の用事で郵便局と病院へ定期的な通院です。もちろん混雑を避けて、午後の3時過ぎに行きました。郵便局はATMですので一人ずつですし、並んだとしても離れて並びます。でも、器械に触って操作しましたが、それは消毒しませんでした。これ大丈夫でしょうか?(笑)

 しかし、その後病院へ行き、入り口の消毒液で手を洗って入りましたのでそれでOKかしら。ここでも患者は一人。その人が診察室に行くと待合室は私だけ。だから接触?するのは受付の人と看護師さん。でも血圧や脈を測るのは器械だし…ああ、体温計を渡されたわね。診察室でも先生とは1㍍以上離れてマスク越しに話して、でも声が小さいので何を仰っているのか??? まあ、こんな調子で次は薬局へ。

 考えてみれば、接触があったと思うのは、処方箋や薬、そのお金のやりとりを通してということになりますが、もしこれで感染するとしたら、もう防ぎようがないんでは?今のところ宇部では高校でのクラスターで出た一人だけで、その後は誰もいませんし、山口県での感染者も濃厚接触者の一人が先日増えて、合計32人です。感染経路の不明だという人は今のところ殆どいませんので、これで県外からの流入さえなければ急に増えるということはないのではないでしょうか。しかし、都会ではそうも言ってはおられないのでしょうね。感染経路の分からない人の方が多いようですから。だからまだ緊急事態宣言を解除するには危ないということでしょうか。部分的に拡散の恐れのない地方だけを解除するという話も出ましたが、それも却って拡大のリスクが高まるとか。素人の私には難しいことは分かりませんが、ああ、本当に息苦しい毎日ですもの。いろいろ考えれば、今は家にいるのが一番楽ですね。人の出入りがなければ感染の恐れは全くないのですから。でも、そういう生活が延々と続くと思うと…ああ

 この気分が〝春愁(しゅんしゅう)〟なのでしょうか。いやいや、これは愁いの原因がはっきり分かっているのですから違います。〝春愁〟というのは、春の生気溢れる季節の中で、何となく哀愁を覚えたり、ふっと物思いにふけったりする軽い気だるさを伴う憂鬱な感覚のことですもの。

  春愁やかたづきすぎし家の中       八染藍子

 この句、どう思います?我が家は全く片付けができていませんので、うらやましい限りなんですが。〈かたづきすぎし〉の〈すぎし〉がここではカギなんです。何事も〝過ぎたるは及ばざるがごとし〟なんですよ。だって、余りにも綺麗に片付いた部屋には人の気配がないでしょう。まるで人に見せるために…展覧されているような気がしませんか。どんなに片付けても部屋って、そこで一週間も暮らせば雑然としてきません? ああ、几帳面な人なら違うかも。私には無理、無理!整理下手ですから…。もし綺麗に片付いた部屋に入れられたとしたら借りてきた猫みたいに…ああ、堅苦しい!やっぱり私はダメですね。

 藍子さんもそうだったのかしら?違うとしても、人間どこかスキがあった方が息抜きできていいと思いませんか。完璧なのは疲れますもの。そんなときにふっとなぜだかわけもなく気の重い暗い気分になる…それが〝春愁〟なんです。

 でももう5月5日は立夏ですから、句を詠むとすれば〝春愁〟というより〝惜春(せきしゅん)〟の情ですかね。

  あんぱんの葡萄(ぶどう)の臍(へそ)や春惜しむ      三好達治

 なぜ〈あんぱんの葡萄の臍〉を見て春を惜しむのでしょう。みなさん、頭の体操です、さあ考えてみて!いろんな答えが出てきっと面白いのでは? 

 写真は、〝杜鵑花(さつき)〟で、ツツジ科の常緑低木。夏の季語です。一般の躑躅(つつじ)に遅れて、杜鵑(ほととぎす)の鳴く頃に咲くのでこの名がありますが、こちらでは杜鵑の初音はまだなんですよ…。2枚目のは紅白の花が一本の木に咲く〝源平咲き〟のサツキです。

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