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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

月のパロディ大全集

2021-10-24 18:04:00 | 丸谷才一

丸谷才一・井上ひさし選 昭和59年 朝日文庫
「花のパロディ大全集」「星のパロディ大全集」の続編、「週刊朝日」掲載は1982年1月~1984年4月ということらしい。
去年の夏に古本買い求めたんだけど、三部作ということで、第二弾の「星の~」を今年手に入れるまで読まずにいた。
内容は、
>現代日本には、新春を三十一文字で祝ふ優雅な二大行事がある。一つは申すもかしこきことながら宮中の歌会始、一つはもちろん「週刊朝日」のパロディ百人一首。(p.23)
と丸谷さんが自ら誇るおなじみ狂歌百人一首をはじめ、いろいろ。
私は和歌の教養ないんで、それより「スポーツ新聞の社説」とか「お伽噺を新聞見出しに」とか「坊っちゃん」なんてほうが読んでておもしろいと思うけど。
くしくもこれらのお題の回には井上ひさしさんの選評で、パロディいかにあるべきかみたいな指導があって、それが非常に参考になる。
社説というものについては、いろいろ具体的な文例をあげながら、
>つまり「主題に大問題を据え、それについての事実を並べ、ちょいと叱り、こうあるべきだと訓戒を垂れつつ期待を述べる、これを社会正義の立場から大上段に、しかし紋切型の文体と及び腰の言い回しで論じること」、これがどうも社説というものであるらしい。(p.64)
と明快にまとめ、そういう調子でどうでもいいような問題を論じてもらいたかったのだが、みなさんできていなかったと残念がる。
お伽噺を新聞見出しにするというのは、実際のパロディ大賞受賞作が、
>帰国の浦島氏に非難集中 買春観光は一目瞭然
>「竜宮女性の人権無視」怒る婦人団体
>「個人的なお礼」とあっせんの亀
>問われる日本男性の倫理
というような、けっこう笑えるものなんだけど、応募作の水準が高かったので、見出し文というものをだれもが熟知していると井上さんは評して、
>入賞作品に共通しているのは、それぞれ原作に、まったく別の、新しい「値打ち」をつけ加えているという事実です。値打ちを「視点」と云い換えても同じことですけれど、これこそがパロディとパロディまがいの分れ目でしょう。原作をどんなに巧みに作りかえても、出来上ってきた新作品に、新しい値打ちが創作されていないならば、それはパロディではない。逆に、新作品が新しい値打ち(視点、見方)を創り出すことに成功しているならば、たとえ原作を手痛く扱っているように見えようと、つまり原作者がどんな苦情を持ち出そうと、それはそれでもう立派なパロディ作品です。パロディというより一個の創作物です。(p.95-96)
というように、パロディ論を説いてくれる。
パロディってなんぞや、これはパロディなのかそうとは言えないのか、みたいな議論はよくあるようだけど、ここまでわかりやすくハッキリ解説してくれると、たいへん勉強になる。
「坊っちゃん」の回の選評では、「「とんでもないもの」をどう盛り込むか」と題して、表面的な文体にこだわるよりも自由で飛躍した考えが重要だとして、
>つまりパロディとは《だれでもよく知っている形式や内容に、どれだけ多くの異分子(とんでもないもの)を盛り込み、しかも出来上がったものが、どれだけ原作と似かよっているか》を競う作物であると云っていいのかもしれません。(p.143)
というように優れたパロディとはなにかと教えてくれる。
コンテンツは以下のとおり。
狂歌百人一首’82
有名人、その日の架空日記
北原白秋の詩・童謡
スポーツ新聞の社説
狂歌百人一首’83
お伽噺を新聞見出しにすれば……
藤村詩集
二百年後の歴史人物事典
夏目漱石「坊っちゃん」
狂歌百人一首’84
この会社の架空新製品 テレビCF台本
丸谷才一/井上ひさし パロディ月見酒
特別調査報告「パロディ人間」の貌


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