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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

人魚はア・カペラで歌ふ

2024-02-29 20:08:08 | 丸谷才一
丸谷才一 二〇一二年 文藝春秋
丸谷さんの随筆集、いま調べたらおととしの秋に買い求めた古本、1年以上もほうっておいて最近読んだ、もともと怠け者だが、なんか読んぢゃうのが惜しいような気がしててってのもある。
っていうのは、丸谷さんは2012年に亡くなったんで、これは最晩年の執筆・出版ってことになるから、これのあとはないのかあとか思ってしまったら寂しくなるような気がしたもんで。前のもの何度も読みかえしゃあいいんだけどね。
初出は「オール讀物」2009年4月号から2011年9月号だという、この連載ものはほかにいくつもあって、いま思えば時系列に読めばよかったのかもしれないが、私はとにかく手に入ったものから適当に読んでった、これが最後になったのもただの偶然。
ちなみに「オール讀物」初出ものをシリーズとして並べれば、以下のようになりそう、こんど読み返すときにはこの順でどうだ、というための私的なメモにすぎないが。
『猫だつて夢を見る』1988年1月号~1989年6月号
『青い雨傘』1992年1月号~1994年12月号
『男もの女もの』1996年1月号~1997年11月号
『花火屋の大将』2001年2月号~2002年4月号
『絵具屋の女房』2002年5月号~2003年8月号
『綾とりで天の川』2003年9月号~2005年1月号
『双六で東海道』2005年2月号~2006年5月号
『月とメロン』2006年6月号~2007年9月号
『人形のBWH』2007年10月号~2009年3月号
『人魚はア・カペラで歌ふ』2009年4月号~2011年9月号
さて、丸谷さんのこういう書きものを私はエッセイとか随筆って呼ぶんだけど、本書には、
>今わたしがかうして書いてゐるこの手のもの、これを業界用語で雑文と呼ぶ。作家は小説だけで暮しを立てるのは大変だから、せつせと雑文を書くのである。(p.277)
なんてあるので、もしかしたら雑文集というのかもしれないが、本人ぢゃなく読者側が業界の符丁で呼んぢゃあ失礼だよね。
で、丸谷さんは、かつて野坂昭如さんに「雑文とは、冗談、雑学、ゴシップである」と教わったそうである。(ちなみに雑文界では野坂昭如・山口瞳が天下を二分してたというのが丸谷さんの評。)
そのうちの冗談について、
>(略)今の日本で冗談といふと、普通、これは猥談ですね。嫌ふ向きもあるけれど、わが雑文においてはこれを避けることは決してしない。平然として許容する。つまり書く。(略)
>しかしわたしの得意とする冗談はこの方面のものではない。偏痴気論である。このヘンチキロンといふのは、どうしたわけか『日本国語大辞典』その他の辞典類に載つてゐないけれど、これはをかしい。江戸文藝で非常に重要な一ジャンルなんです。(p.280-281)
ということで、「変な理屈、をかしな議論」をあげて話を展開するのを雑文の心得のひとつとしている。
そういえばいつも、妙な仮説を考え出して、これは意外といいセンいってんぢゃなかろうか、みたいなこと書かれてたような気もする。
本書にもいろいろあるんだけど、第二次大戦中のイギリス軍が、歴史家や数学者や言語学者を集めてドイツの暗号文の解読に取り組んだなかで、チェスのプレイヤーたちも加わったってのは雑学の部類かもしれないが、そっから、
>かういふ事情を知るにつけて、わが日本軍の戦ひ方がいかに馬鹿げてゐたかがよくわかりますね。
>わたしに言はせれば、日本軍は、升田とか大山とか、ああいふ若手の将棋指しを集めて暗号解読を研究させるべきだつたのだ。碁の藤沢秀行なんてのもいい。升田と秀行が酒ばかり飲んでゐて、ちつとも仕事をしなくても、天才にシンニュウをかけたのが二人寄れば、李白一斗詩百篇の自乗といふことになつて、すごい鬼手を思ひつき、たちまし暗号解読法とか、暗号作製法とかを案出したかもしれない。(p.84-85)
なんてぐあいに言い出すのは、ヘンチキロンなんぢゃないかと。
この話は、そのあとに、吉田健一を招集して水兵にしたのもひどい話で、「あんなに運動神経がなくて、日本人の風俗習慣を知らなくて、英語がよく出来て、むやみやたらに酒が強い人を水兵にしたつて、何の意味があるか」と続くところがさらに面白いんだけど。
雑学もあちこちにあっておもしろいんだけど、たとえば大名行列を考えるところで、
>(略)参勤交替は言ふまでもなく徳川幕府が諸国諸大名を支配するために導入した政治制度の一つ。(略)「導入」といふ言葉を笠谷さんが使ふのは、どうやら、中世ドイツの「主邸参向」Hoffahrtを念頭に置いてのことらしいが、さうすると寛永といふのは三代家光のころですから、家光はオランダ人から中世ドイツの制度を教はつたのでせうか。(p.152)
みたいなのを披露してくれるのを読むと、そうなのか徳川幕府オリジナルぢゃなかったんだ輸入ものだったのね、と蒙をひらかれる。
しかし、やっぱ私が好きなのは、戦前に橋本夢道という無季自由律の俳人がいたんだけど、
>しかしおもしろいのは、この夢道の勤めてゐた雑貨商が銀座に甘味処[月ヶ瀬]を開店したとき、彼が、普通の蜜豆に餡をのせた「あんみつ」を考へ出し、これが大当たりしたことである。このとき夢道の作つたコピー、
>蜜豆をギリシャの神は知らざりき
>が大受けに受け、市電の吊り広告にこの句を載せたら大評判。(p.120-121)
みたいなやつ、あんみつを考案したかどうかは定かではないらしいけど、とにかくこういうどうでもいいような話がおもしろい、名句ですね「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」。
あと、当然のことながら、毎度おなじみのように、いろんな本を紹介してくれてるのも丸谷さんの雑文のいいところで。
(全部が全部わたしの興味にあうとは限らないけど、そういうのも、今後読み返したりしたら、前には引っ掛からなかった分野でも、いまなら読んでみたいとなるかもしれない。)
今回気になったのは、十九世紀のウィーンはすごかったみたいな話のなかで、
>文学へゆきますよ。まづシュニッツラー。(略)
>(略)彼の作品の魅力についても言はない。そんな暇あつたら、池内紀訳であれこれを読み返したい。きれいですよ。たとへば『ウィーン世紀末文学選』(岩波文庫)所収の「レデゴンダの日記」といふ短篇小説。ただ吐息をつくしかない。池内紀・武村知子訳の『夢小説・闇への逃走』(岩波文庫)もいいなあ。(p.354)
というようにあげられてるものかな、丸谷さんの小説の趣味が、かならずしも私にもヒットするものではないことはわかっているけど。
でも、ミステリについて、
>(略)結城、谷沢の両氏があげるのだから、『門番の飼猫』はよほどの名作にちがひない。もちろんわたしだつて読んだに決つてるが、これを書き終へたら書架から探し出して読んでみよう。一般にミステリのいい所は、ストーリーをまつたく忘れてゐることで、ガードナーの本はその特質が図抜けてゐる。つまりことごとく忘れてゐる。再読三読に向いてゐるのである。殊に風邪なんか引いたときにはこれに限る。すばらしい美点と言はなければならない。(p.220)
みたいに言ってるとこには、おもわず同意しちゃうな、忘れちゃうものなんだ、忘れてていいんだ、私も読んだはずなんだけどな『門番の飼猫』、こんど読もう、忘れてると何度でもたのしい。
それはそうと、これまでも丸谷さんは日本の文学というか小説は深刻ぶってばかりでおもしろくなくてよろしくないよ、みたいな論をいってますが、本書のなかでも小説の読み方について、
>長篇小説といふのは時間の藝術です。時間の流れ具合のなかに身をひたして、作者や主人公といつしよに泳ぐ。その快感が大事なのです。半年も一年もかけてダラダラと遠泳(?)を行なつたのでは身にしみない。(略)長篇小説は、なるべくなら、一気に読まなくちやあ。
>ところがわれわれ日本人は、明治以来、長篇小説を一気に読むといふこの習慣を身につけてゐない。とかくだらだらと読む。(略)精読のあまり、長篇小説の妙趣を解しない。(p.216)
というように指摘してくれてます、そうかあと思う、けどなかなか一気には読めない、現実的には。
(ゼータクいうわけぢゃないが、いい文章ぢゃなきゃ読めないよね、村上春樹のいうリズムのようなものがほしい。)
でも、そういう真っ当な理論のあとに、むかしは小説家は原書で海外小説を勉強したもんなんだけど、
>島崎藤村の長篇小説が『破戒』以外はみなあんなに詰まらないのは、彼が辞書を片手に英書を読んだ結果だとわたしは睨んでゐます。(同)
って付け加えるのは、ちょっとヘンチキロンっぽくて、おもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
鍋の底を眺めながら
検定ばやり
象鳥の研究
浮気な蝶
007とエニグマ暗号機
敵役について
村上春樹から橋本夢道へ
北朝びいき
人さまざま
槍奴
古雑誌の快楽
小村雪岱の挿絵
赤い夕日の満州
ハヤカワ・ポケミスのこと
エロチックな方面
新・維新の三傑
歴史とレインコート
小股の切れ上つたいい女
人間的関心
モーツァルト効果
歴史の書き方
ズボンのボタン
好きな帝国
姦通小説のこと

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